参ると 悲しき 美容院
あたりまえのことに気付いたのだけど人間の半部、女子は必ず美容院に行く。例外的に参らない方もいらっしゃると思いますが。近頃は男の方も参りますね。化粧水も塗る。小耳にはさんだのですが刑務所の受刑者さんにも化粧水が配られるとか。そこらじゅうに美容院があるのもあたりまえねといまさらながらにきづきました。おそっ💛話はころりとまではいきませんが斜めに傾きますけれどもコロナ前とコロナ後の美容院のサービスに悲しさ?わびしさ?を感じます。ずっとチョキチョキお姉さんが産休に入るというので私は今現在美容院ジプシーであります。2か月に1度行くのでかなりの数の美容院をこなしております。すごいこともあるものですね。ドリンクにペットボトルをだしてきてくださった美容室がありました。こんな扱いをうけるなら出していただかなくて結構です。最近家の近くに美容院を見つけました。コンセプトは隠れ家美容院だそう。隠れ家美容院。まさにそのとうりです。歩いていても全く気付かないでしょう。というかそもそも歩いている人がいない。ここは結構な高級住宅街だから(自慢じゃないよ。事実だよ。)その隠れ美容院、その中でも一等地にありますゆえ家賃はかなりのものでしょう。控えめに申しあがても広くない。しかし雰囲気はものすごくよい。町に融合している。しつこいが家賃はかなりのものでしょう。わたしは驚いた。机のような台がない。通じるだろうか。美容院といえば体が半分しか映らない。それがわたしの中の常識です。しかし全身が移る。だからかわりに台がない。ということ。くどい。説明がわからない。ごめんなさい。そこまで驚くほどのことでも、もはやないのでのでしょう。タブレットなし加えてカラー時のお茶はありません。あたりまえといえばあたりまえ。台がないのでおけません。これは最高のおどろきでした。シャンプーなどの時にお顔にかけてくださる布?がない。あなた、水滴がとぶ。キャッシャーがなく席払い。高級レストラン的演出でしょうか?なんだか隠れ家装って、かなり経費を削減してるな、と分析致します。まああの土地であの値段でチョキチョキするにはこのくらいやらなきゃ無理でしょう。私の知らないところでさらなる経費削減してたらあくどいね。例えばカラー剤とかシャンプーとかね。ですがすごく近いのでもう一度行ってみますかね。遠いのはめんどくさい。2回目は少し安いらしい。とにかく縦になって話を戻しますとスーパーだけでなく美容院にまでも日本の貧しさを感じます。あったものがなくなる。喪失感。この貧しさにまだなれません。チーン。どうでもいいですが今日は月1のファミ会(家族でちょっと贅沢なお食事会をする)の日です。ふぐをたべる。贅沢は控えたほうがよいこのご時世にね。ではさようなら。またね。かもね。