「それ、やってみよう!」at Ameba

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このページは、興味のある事を「それ、やってみよう!」と、あれこれやってみた記録です。

「日米半導体戦争」の真実

生成 AI が回答した「日米半導体戦争の真実」を、最終回にまとめます。

 

日本が1980年代まで持っていた半導体の世界シェア No.1 の地位は、1990年代から雪崩のごとく落ちていきました。

最盛期は世界シェアの半分(DRAM は80%以上!)を持っていたNEC、東芝、日立などの日本企業は、その後10年ほどの短期間で消えていきました。

 

その一番の原因は、日米半導体協定を始めとするアメリカ議会が日本に押し付けた不平等な条約でした。

これらの条約は、「半導体協定」と名乗っておきながら、実際にはテレビやパソコン、電動工具など日本企業が世界シェアの上位を占めていた製品も規制して販売させず、米国製品を多量に購入させるというものです。

 

この不平等な条約を成立させたのは米国半導体工業会(SIA)に所属する民間企業ですが、その裏には DARPA による多額の資金によるロビー活動と大手新聞を使った世論誘導がありました。

 

DARPA は、アメリカが世界で戦うときに、裏で多額の資金を使って情報を操作したり新技術を開発する組織ですが、ソビエトを解体してベトナム戦争を戦った後に、1980年代には極東の国をターゲットに選びました。

 

日本の次世代コンピュータ開発(多分 TRON も)や半導体製造を貿易障害であり、「新しい戦争だ!」などと、アメリカ議会や世論を誘導したのは、DARPA 長官だったロバート・S・クーパー氏です。

 

NASA の副所長だった技術畑のクーパー氏は、当時の日本のコンピュータ開発技術が DARPA の高度な技術にも、アメリカの民間企業にも及ばないことを知っていました。

そのうえで日本に出かけて実地調査を行い、通産省、東京大学、第五世代コンピュータ開発部門、半導体・コンピュータを製造している各企業から大歓迎を受けます。

そして、帰国後に議員に対して「日本脅威論」をでっち上げたのです。


その後、日本のシェアの減少によって相対的にアメリカ・韓国・台湾の半導体販売シェアが上昇しました。
 

また、いわゆる日本の「護送船団方式」は、日本の新聞や野党など色々な方面から批判を受けて2000年までには解体されましたが、アメリカはこの方式の利点を理解していました。

そこで、通商産業省をモデルにし(パクッ)て米国の独占禁止法を改正してまで SEMATECH という組織を立ち上げて関連企業を保護するために資本を投下しました。


冷戦中にアメリカ政府は、国防費を核開発のために物理学者に投入していましたが、冷戦後は半導体設計技術者へ投資しています。また、半導体関連業者が負うリスクも政府が負担すると証言しています。

 

歴史に「if」は良くないですが、もし当時の日本の政治家・役人・大学研究者・半導体技術者が、お客さんとして来日していたアメリカ人が「日本は敵国で、これは戦争なんだ!」と思って会いに来ていると分かっていたら何か変わっていたのでしょうか?


通商産業省が半導体業界を保護していたら、世界シェアは維持されていたのでしょうか?


独自の資金と技術力で半導体を開発して販売していたと思われていた IBM、Texas Instruments、Intel、AMD、Micron といった米国半導体製造の大企業には多額の「軍事費」が流れており、主要な開発技術は SEMATECH を通じて裏で共有していました。

そして、日本の通産省をまねた米政府の組織が指揮をとっていたのです。


1988年頃に、もし通産省や防衛省(当時は防衛庁ですね。)がアメリカと同じように NEC、東芝、日立、富士通などに援助をして、さらに日米半導体協定を受け付けなければ歴史は変わっていたでしょう。


2025年の世界半導体販売額(予想)は、7000億ドル(約103兆円)なので、シェアが半分のままなら56兆円の売り上げになります。

この金額は、2025年の日本の国家予算 115兆円から赤字国債の発行をやめて消費税をゼロにしたのと同じぐらいの金額です!


今回の「捜査」のような内容は、検索しても日本の情報源には出てこないようです。これを書くと消されちゃうのかな?

それとも生成 AI が嘘を言っているのかな?(当時の DARPA 長官だったクーパー氏の口述記録は、見ることが出来ますが・・・)


生成 AI は、「捜査」の強力なツールになることが分かりました。
また、何か疑問に思ったら、生成 AI で調べてみます。

生成 AI を使って「日米半導体戦争」の真実を捜査する4回目です。

 

今回は、明治以来の「第2の不平等条約」と呼ばれた 「日米半導体協定」 という不平等条約が、どのように成立したかを確認します。 

その前に、アメリカ連邦議会の法案成立過程を知らなかったので、生成 AI に教えてもらいました。

アメリカ連邦議会の法案成立について

連邦議会で法案などを議決するには、次の5つの段階があります。
1 議員が法案を提出(ロビー団体が議員を通じて提出する事が多い)
2 法案は関連分野の常任委員会で審議されるが、公聴会で関連団体の協力が得られないと審議入りが出来ず廃案になります。
3 上院または下院の本会議で審議
4 上院と下院の両方で可決すると大統領へ提出
5 法案に大統領が署名すると可決、拒否すると法案は議会に差し戻される。

法案成立とロビー活動

アメリカ議会では、関連企業などによるロビー活動は合法です。
提出されたほとんどの法案は委員会審査のロビー活動で審議できず廃案になります。

そこで、関連分野の常任委員会に対するロビー活動が最も重要になります。


半導体のような専門分野では業界団体による強力なロビー活動と、法案を提出する議員に対する選挙資金の提供が法案成立の成果を左右します。


さらに、世論も重要です。アメリカ議会はワシントンポストなどの新聞に書いてある意見に非常に影響を受けます。

 

1980年頃の新聞記事の要約も ChatGPT がまとめてくれました。
直接的な DARPA による世論誘導の証拠はありませんが、アメリカのメディアは全般的に第五世代コンピュータを国主導で開発する日本を「戦争の敵」的な表現で記載しています。

以下は、Washington Postなどの該当部分の要約です。それぞれ「日本のFGCS(第五世代コンピュータ開発計画)が米国の技術政策に与えた影響」とその文脈を明快に示しており、DARPA戦略の“フレーミング“にも合致します。


Washington Postの記事より

① “’5th Generation’ Spurs A Global Computer Race”(1984年7月11日)

概要:
日本のFGCS(第五世代コンピュータ計画)が、アメリカやヨーロッパを刺激し、グローバル規模のコンピュータ競争(“science race”)を引き起こした、という論調。英国の Alvey プログラムを率いる Brian Oakley が「まるで戦争のようだ」と表現。

和訳抜粋:

日本の「‘第五世代コンピュータ’は世界的なコンピュータ競争を引き起こしている。まるで戦争のようだ」と、英国の Alvey プログラム責任者 Brian Oakley は語った。

通商省の調査委員会長 David Brandin は、「私たちは科学レースをしている。誰が第五世代コンピュータ技術を初めて商業利用するかが問題だ」と述べた。


② “Pentagon Plans to Build Computers That See, Talk and ‘Think'”(1983年11月4日)

概要:
Pentagon(国防総省)が、視覚や自然言語を処理できる「thinking」コンピュータ開発の予算提案を行い、それが日本の第五世代コンピュータ開発計画への対応として位置づけられている。

和訳抜粋:

米国防高等研究計画局(DARPA)のクーパー長官 は、「このプログラムを、大学にあるアイデアを産業界に移転するメカニズムとして使いたい」と述べた。

DARPA は、この計画を「日本の第五世代構想に対応するもの」として考えている。


③ “Computer Effort Falling Behind”(1984年9月5日)

概要:
Pentagon の Strategic Computing プログラムが、日本の第五世代コンピュータ開発計画への対応として作られたものと見られている。しかし企画は遅れや内部対立により問題を抱えていると報道。

和訳抜粋:

Pentagon の Strategic Computing プログラムは、日本の高く評価された第五世代コンピュータ開発計画への対応として見られており、国防技術研究強化のために創設された。

多くの専門家が進捗の遅れやDARPA内部での対立を問題視しており、計画が目標に達するか疑念を抱いている。


実際の日本の姿

1980年代当時の実際の日本の半導体業界や第五世代コンピュータ開発計画はどうだったのでしょうか?
アメリカが「世界の脅威」「次の戦争相手」を考えるほどの強敵だったのでしょうか?

 

DARPA 長官のクーパー氏の口述記録が残っています。(lnteNiew: February 23, 2007 より引用)

 

翻訳です。

クーパー:私は日本へ小旅行に行き、通商産業省の友人たちを訪ねました。彼らは第五世代コンピュータプログラムに取り組んでいましたが、DARPA で私たちが取り組んでいたことにほど遠いものでした。
まったく及ばないものでした。彼らは、DARPA をまるで神のように尊敬していました。彼らは、私たちがやっていることをすべて知りたがり、自分たちがどうすればもっと良くなるかを知りたがっていました。

クーパー:私はあらゆる人と話をしました。ボブ・カーンと私は、アメリカのあらゆる大手マイクロエレクトロニクス企業、あらゆる大手コンピュータ企業を回り、それぞれの企業の幹部と話をしました。
日本にも行き、日本の大企業の幹部と話をしました。第五世代コンピュータプログラムであるICOTプログラムも視察しました。東京大学も訪問しました。あらゆる場所を訪れました。
ボブ・カーンとは、膨大な時間を共に過ごしました。MIT、スタンフォード大学、カーネギーメロン大学、バークレー大学など、情報処理事業に投資し、関与している幹部がいるあらゆる大学で、あらゆる人と話をしました。私は彼ら全員と会い、例えば1億ドル規模のプログラムを立ち上げ、そのうち3000万ドルから4000万ドルを稼ぐことができたら、何に投資すべきか、防衛分野でレバレッジの高い分野はどこにあるのか、そしてその理由は何なのかを、自分自身で理解しようと努めました。

ARPA and SCI: Surfing AI より引用(ARPA は DARPA の旧名称)

では、SCI とは何だったのか? それは、1980 年代から 1990 年にかけて ARPA の既存の資金提供プログラムに追加されたもので、日本の第五世代プロジェクトの亡霊を利用して議会に働きかけ、ARPA が米国で見据えていた一連の相互に関連した技術的機会に充てられる追加の研究開発資金を獲得し、それらを同時に推進して行き詰まりを打破しようとした。(いつものように、「資金は脅威から生まれる」が、第五世代プロジェクトが成功するのか、またはその本来の目的 (その多くは単に日本語処理の欠陥を回避することだった) がそれほど脅威になるのかについて、多くの人は非常に懐疑的だった。また、西側諸国の評価のほとんどでは、概して失敗作、あるいは少なくとも目立った生産性の高い研究開発投資ではなかったと評されている。)

AI and Tech Industrial Policy より引用

1980年代初頭、日本政府が第5世代コンピュータ・システム(AIと論理プログラミングに重点を置く)とスーパースピード(スーパーコンピューティングに重点を置く)プログラムを発表した頃には、議会では共産主義国家に関連するものよりもこの脅威の方が切迫していると多くの人が考えていた。
これを受けて、1983年の戦略コンピューティングイニシアチブ(SCI)により、さまざまなコンピューティング・プロジェクトへの資金提供が劇的に増加した。
一方、技術コミュニティでは、この発表の可能性についてさまざまな評価を下していた。多くの人は、これをコンピューティング研究への連邦資金を増やす手段と捉えた。実際そうだったケースもあった。


他のケースでは、コンピューティングとマイクロエレクトロニクスの関係者は外国との競争を最大の脅威と真に考えていた。

国防総省は、「米国の安全保障上の利益に極めて重要な技術を外国人の手に渡すこと」を深く懸念していた。

日本との戦争は、経済こそが将来の戦場であると、評論家や国家安全保障の専門家たちに確信させた。彼らは「経済安全保障」という言葉に確信を表明した。これは国家安全保障を「火力に代わる可処分資本、軍事技術の進歩に代わる民間の革新、駐屯地や基地に代わる市場浸透(中略)……商業の文法における戦争の論理」へと拡大したものである。最も重要なのは「市場、投資、そして技術の支配」であった。

特に半導体業界は、日本の組織や手法を忠実に模倣した。例えば、米国の官民連携組織であるSEMATECHは、日本の通商産業省を明確にモデルとしていました。


1984年の国立共同研究法は、「研究コンソーシアムを一部の独占禁止法の適用除外とし、合併を容易にした」。これにより、SEMATECHのような取り組みが可能になりました。

防衛ニーズも反映されていました。例えば、「DARPAの目標」は「SEMATECHの戦略計画に言及されており、製造技術を迅速に実用化し、より柔軟な半導体生産技術を開発する取り組みが含まれていました」。SEMATECHの調整により、「機器メーカーは、企業ごとの多様な仕様ではなく、業界共通の仕様を満たすことができました」

 

日本との紛争は、リアリスト学派にとって強制的な貿易協定を正当化するものでした。これは、レーガン時代を新古典派経済学の覇権が中心であった時代という一般的な認識に反する点で特に興味深いものです。むしろ、この紛争への反応は、半導体企業と連携した国家安全保障国家の力(コンピューティング業界の短期的な利益とは対照的)を如実に示しています。

アメリカと日本の紛争が、想像上の脱工業化時代における戦争と平和の理解をどれほど変えたかは、1995年のホワイトハウスフォーラムでの元DARPA長官クレイグ・フィールド氏の発言にはっきりと表れている。

 

1980年代の対日恐慌と、将来の冷戦後の紛争がそれに類似するだろうという確信から、米国企業は米国国家および国家権力の延長であると多くの人が確信した。

連邦政府は、リスクを民間機関から公的機関に移し、同時に利益を公的機関から私的機関に移す、ハイテクを中心とした新しいエコシステムの構築を支援した。

他の利点はより微妙なものだった。冷戦中は防衛費と連邦政府の資金が物理学者の育成に重点を置いていたが、今ではムーアの法則を維持し、関連技術者を育成することを目指してチップ設計者の育成に重点を置き始めた。

ハイリスク投資の負担を引き受ける見返りに、連邦政府機関は新しいテクノロジー企業の取締役会の席、新しいテクノロジーへのアクセスと形成における役割、システム全体に対する影響力を獲得した。

文字ばかりで長い記事になってしまいました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 
次回は、今までの内容を振り返り「日米半導体戦争」の真実をまとめます。

生成 AI を使って「日米半導体戦争」の真実を捜査する3回目です。

 

今回は、生成 AI が一番怪しいと回答した当時の DARPA 長官 ロバート・S・クーパー(Robert S. Cooper)氏を中心に調査してみます。

当時の DARPA 長官

1981年から1985年までアメリカが半導体のシェアで日本に逆転され引き離された時期に DARPA の長官だったのがロバート・S・クーパー(Robert S. Cooper)氏です。

NASA より引用

略歴
・1936年生まれ
・1954年:アイオワ大学で電気工学の学士号
・空軍に2年間勤務(1950年半ば以降にエグリン空軍基地(フロリダ州)に勤務、詳細は不明)
・1958年:オハイオ州立大学で電気工学の修士号
・1963年:マサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学の理学博士号(Sc.D.)
・1963年~1966年:MIT 助教授
・1972年:国防長官室 防衛研究技術担当次官
・1975年:アメリカ航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙飛行センター副所長
・1975年:国防における功績により国防長官功労文民賞(Secretary of Defense Meritorious Civilian Service Award)を受賞
・1976年~1979年:ゴダード宇宙飛行センター所長
・1981年~1985年:DARPA 所長
・1985年~2005年:Atlantic Aerospace Electronics Corporation を設立し社長兼取締役
・2007年没

 

調べてみたら、彼はバリバリの現場技術者で空軍関係者ですね。(NASA は元々軍用機(民間用に応用も)を開発する NACA が改編した(軍と非常に関係の深い)組織です。)

 

ChatGPT にクーパー氏の DARPA 長官時代の経歴についてまとめてもらいました。
どうやら、素晴らしい手腕で米議会から予算を獲得して、DARPA が衰退しつつあった状態を魔法のように改善して生き返らせた人物のようです。

DARPA長官時代(1981〜1985年)の主要業績

クーパー氏の DARPA に残る長官時代の経歴では、下表のとおり毎年のように巨大な計画を立ち上げて成功させています。

 

主なプロジェクト 概 要
1981〜 高エネルギー・レーザー計画 軍事用レーザー兵器や宇宙配備型システムの研究開発を統括
1982〜 GPS統合運用の推進 各軍種がバラバラに運用していたGPSを統合管理する枠組みを構築
1983〜 Strategic Computing Initiative(SCI) スーパーコンピュータ、人工知能、並列処理を統合した長期研究プログラムを開始
1983〜 SURANプロジェクト モバイルAd-Hoc無線ネットワークの研究開発
1980年代前半 X-29実験機計画 前向き後退翼や複合材技術の実証機開発
同時期 Assault Breaker計画 精密誘導兵器とセンサー融合の基礎研究、後のJSTARSや無人機技術の基盤

実際の1980年頃

実際の当時の世界情勢です。

・1975年:ベトナム戦争終結
・1979年~1989年:ソ連が長期間に及ぶアフガニスタン侵攻で弱体化
・1985年:ソ連でゴルバチョフがペレストロイカを断行
・1989年:冷戦終結

 

1980年前後、アメリカはベトナム戦争の後遺症が残り、対する超大国のソビエト連邦も国力が低下して、アメリカの軍事予算と DARPA の開発予算が大幅に減額されつつあった時期になります。


つまり、軍の将来兵器を開発する機関であった DARPA は、予算的には厳しい時期だったのです。
しかし、実際には上の表のように DARPA はクーパー氏の活躍により、大幅に増えた予算で巨大プロジェクトを行っています。
これは矛盾するのでいろいろと調べてみます。

 

「DARPA the imagineers of war」第16章に、このような記載があったので引用します。

 

日本語訳です。(Google 翻訳)

冷戦の直接的な根拠を欠いた巨額の支出増を正当化するため、DARPAは日本に言及した。

1981年、日本は人工知能の開発を目指す第五世代コンピュータ・プロジェクトの計画を発表しており、強力な通商産業省に率いられた日本経済が新たな脅威となった。

「我々は日本を最大の敵として引っ張り出し、日本を始末しなければならない。そのための手段は何でもありだ。」と、当時のDARPA長官ボブ・クーパーは回想する。
「何でもあり」はまさにそのとおりだった。

DARPA長官は個人的に、これは策略であり、便宜上日本を選んだことを認めた。

DARPAは、戦略的コンピューティング・イニシアチブと呼ばれる、人工知能を開発するため10年間で10億ドル規模の取り組みを策定した。

これは、ARPANET計画(インターネットの開発計画)以来、DARPAにとって最大かつ最も野心的なコンピューティング投資となる。

この計画は、「アタリ民主党員」、つまりコンピューターがアメリカ経済を救うと信じるハイテクに詳しい若い民主党員の支持を得るだろう。

また、アメリカの覇権に対する脅威を懸念する共和党員にも受け入れられるだろう。

クーパー長官は日本まで赴き、日本国内の研究所・大学・開発会社を巡り、事実上、情報収集に奔走した。

「帰国後、議会議員や上院議員との非公式な対話で、この計画を実際に使ったんです」とクーパー長官は自慢げに語った。「臆面もなくね」

この記載を見ると1980年当時は、
・DARPA は弱体化していたソ連の次の敵を見つけて、予算を確保したかった。
・都合良く日本が1981年に、国主導の「第五世代コンピュータ・プロジェクト」を立ち上げた。
・米国半導体工業会(Semiconductor Industry Association(SIA))(DARPA が大スポンサー)も、米国の半導体販売シェアが日本に抜かれつつあることに不満があった。

 

ChatGPT も、このような回答をしました。(クーパー氏の回顧録から引用)

和訳:「私たちは(議会説得のために)日本人を最大の敵として引っ張り出して、『われわれは日本を超えなければならない』と説得したんです」と当時の長官だったボブ・クーパー氏は述懐しました。
「“whatever(何でも)”といった語りはまさにその通りで、DARPA長官はそれが策略であったと密かに認めており、日本を騙すために、“都合よく”選んだにすぎなかったのです。」

出典・背景
この引用は、Roland & Shimanによる『Strategic Computing: DARPA and the Quest for Machine Intelligence, 1983~1993』という書籍で語られている内容です。

また、AI政策と産業政策の文脈を検証する研究(例:AI Now Institute)の議論の中で、「If playing the Japan card would help sell SC, then they would play it. ‘We trundled out the Japanese as the arch-enemies,’ Cooper later confessed…」(私たちは日本カードを使えばSC(戦略的コンピューティング)の通過に役立つなら、それを使う。“日本を最大の敵として引き出した”とクーパーは後に認めた)という引用も見つかります。

さらに ChatGPT で深堀りします。

解説
DARPAの立場:DARPAそのものは軍事研究機関であり、直接法律や行政政策を作る力はありません。しかし、議会を説得して研究予算を確保するために、戦略的に「日本が脅威である」というイメージを演出した、とクーパー氏が当時を振り返って認めています。

戦略的フレーミングとしての日本:この例は、日本が米国内で「冷戦以外の脅威」として政策論の背景に使われた典型ですが、その狙いは「国内資金特にAI・マイクロエレクトロニクス研究の資金増」を正当化することでした。

因果の整理: DARPA(クーパー)は、戦略的観点から「日本を強敵に仕立て上げるフレーミング」を計画的に用いた。
そのフレーミングが議会・行政(与野党問わず)の支持を得る材料となり、結果として「Strategic Computing Initiative(SCI)を通じた研究資金拡大」が実現。
これは貿易政策や通商法(例:半導体協定、スーパー301条)の成立とは直接結びつきませんが、背景となる技術政策の文脈と勢いを作ったという点で重要です。

 

和訳:
日本政府が「第五世代コンピュータ・システム」計画(AIや論理プログラミングに特化した研究構想)を発表した頃、議会の多くは共産主義国よりも日本の技術脅威をより切迫したものと捉えていました。
クーパーはのちにこう回想しています。
:「『私たちは日本を“最大の敵(arch-enemies)”として掲げた』。議員や上院議員との非公式な会話で、私は“それを遠慮なく(unabashedly)使った”と。」
その策略は奏功し、議会は 1984年の国防歳出法案(Defense Appropriations Act of 1984)内で「Strategic Computing Initiative(SCI)」を正式承認しました。レーガン大統領は、成立の日である1983年12月8日にSCIに署名しました。

(脚注補足:クーパー長官は、実際に日本のFGCS(第五世代コンピュータ計画)に訪問し「技術脅威」の大義名分を作る資料を収集したと述べています。)

FGCS発表と比較して、米国がSCIを通じてAI・高性能コンピューティング研究を国家戦略として加速させた点は、当時の歴史資料や研究書でも広く確認されています。

解釈・まとめ
クーパー自身が「日本を“敵役にし、効果的に利得を得た”」と公に認めている点は、極めて注目に値します。

DARPAが政策を創った根源とは言えないものの、「日本というフレーミングを『売り文句』として使った」という戦略的役割は明確です。

この話は「戦略的フレーミング(framing)」の典型であり、政策資源(予算・法案)を確保するための手段として、『技術的脅威=国家安全保障上の脅威』を演出した良い事例です。

とうとう DARPA が「日米半導体戦争」の犯人だという証拠が出てきました。日本は DARPA が予算を獲得するため「ソビエトの次の仮想敵」として都合よく利用されたのです。
やはり、この「戦争」は仕組まれたものでした。
 
次回は、 「日米半導体協定」 という不平等条約が、どのように成立したかを確認します。

 

前回に引き続き、生成 AI を使って「日米半導体戦争」の真実を調査します。

 

今回は、生成 AI が、1986年にアメリカが押し付けた「第2の不平等条約」と呼ばれる 「日米半導体協定」 を推進した組織SIA( 米国半導体工業会 )の黒幕だと教えてくれた DARPA について深堀りします。

DARPA

DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)とは、表向きはインターネット、GPS、ドローン、自動操縦など便利な技術を開発したアメリカの政府機関という事になっています。(Wiki 情報)

Wikipedia より引用

 

しかし、実際にはこんなスゴイ開発を行っていたと ChatGPT が教えてくれました。

開発年 プロジェクト名     内  容
1961~1971 Project AGILE – 枯葉剤 ベトナムのジャングル除去目的で強力な除草剤を研究・試験、深刻な健康被害が多発
1962~1968 Project Defender – 核防護シールド 弾道ミサイル迎撃用の兵器を研究(核爆発とレーザーでバリアを開発)
1963~1965 AR-15ライフル開発(後のM16ライフル) 小口径高速弾使用の新小銃を試験、初期モデルで故障多発、ベトナムで兵士が多数戦死
1966~1977 気象改変兵器研究 高高度飛行機やロケットで雲の形成や降雨を誘発・制御し、敵地域の天候を操作して補給や行動を妨害
1970後半 夢操作・睡眠学習兵器 捕虜尋問や特殊部隊訓練に音響・電磁刺激を応用
1972~1983 マインドコントロール研究 脳波解析や電磁刺激、音響技術を用いて人間の意思や行動を制御・混乱
1983~1989 宇宙配備X線レーザー 核迎撃用の宇宙兵器研究
1983~1993 戦闘AI 自律兵器・戦闘車両用AI開発
1990年代 HAARP(高層大気加熱装置)の軍事利用 高層大気加熱装置を使った通信妨害・気象兵器化
1995~2001 極秘サイバー監視ネットワーク 国内外のネット通信・メール・電話記録を傍受・解析し、テロ・諜報活動を検出
1998~2005 生物兵器防御名目の病原体強化実験 病原体に耐性・感染力強化を施し、防御ワクチンや治療法開発
1990後半 Human ID at a Distance 数百メートル先から顔認識・歩行認識で個人特定、プライバシー侵害の問題が発生したが、他省に移管して継続開発中
2002~2003 Total Information Awareness(TIA) 全国民の通信・金融・医療・移動データを統合分析しテロ予測、個人情報の国家利用
2003~2006 大衆扇動用SNSアルゴリズム SNSデータ解析で群衆心理を操作
2010年代 生物兵器対抗研究 合成生物学や遺伝子編集で兵士防御・感染症対策を研究(この計画は兵器利用可能)
2010~2013 自動暗殺ドローン計画 顔認識と小型爆薬を搭載したマイクロUAVを用い、特定人物を自動追尾・暗殺
2012~2015 MOIRE計画 薄膜展開型の巨大軌道望遠鏡で、地球全域の高解像度監視、常時監視社会化を実現
2013~2017 VAPR計画 任務終了後に自壊・消失する電子デバイス。敵の奪取や情報漏洩を防ぐ
2015~現在 ドローンスウォーム(OFFSET) 数百機の無人機を群制御し都市制圧
2016~ Insect Allies 遺伝子改変ウイルスを媒介する昆虫で農作物を現場で改造
2018~ PREPARE 計画 生物・化学・放射線脅威に対して防御遺伝子を発現させる「軍事用ヒト強化技術」
2019~ N3 脳-コンピュータインターフェース(BCI)を開発。兵士が脳波で機器操作可能
2020~ ADAPTER計画  兵士の血液や汗から生体情報をリアルタイム検知し、化学・生物・放射線防護を動的に調整
2021~ BRICS計画 極限環境でも活動できるよう遺伝子発現制御。宇宙・深海・汚染地での活動支援

以上の内容は、米国議会で予算が承認されて、実際に開発されたと報告があった計画のリストです。(生成 AI 調べ)

自立型暗殺用の超小型ドローンは怖いですね。昆虫サイズで自分で判断するAI搭載ドローンが誤認識したら・・・

(下図は DARPA の HP から引用)

 

それぞれの計画では予算を湯水のように使って数々の軍事に関連する驚くべき技術を開発しています。


また、以下のように匿名による告発だけで根拠が未定の本当か分からない計画も見つかりましたが、「完全に嘘だ!」と言えない所が DARPA の怖いところです。

開発年? プロジェクト名 内 容
1970~1990 「人工地震」兵器 プレート境界にエネルギー注入し地震を誘発、しかし予算的な根拠なし
1980~1990 大規模 夢操作・睡眠学習兵器 戦場で敵兵が睡眠中に潜在意識書き換え。小規模実験はあるが・・・
1990~2000 「戦場用タイムマシン」計画 重力波や時空間操作で偵察・情報伝達、個人名義の告発のみで根拠なし

 

極限すると DARPA は、米軍が有利に行動できるような武器・機材・情報を、小国の国家予算に匹敵する巨大予算で(善悪にかかわらずにどんな方法を使っても)実現しようとする組織です。

 

日米半導体交渉という純粋に民間の事だと思っていた内容に、裏ではアメリカ軍関係者が強く関わっている(らしい)事が ChatGPT の回答から分かりました。

 

もう少し深堀りしてみます。
「SIA( 米国半導体工業会 )とDARPAとの関係について、もう少し詳しく教えてください」と聞いてみました。

  1. DARPAの立場と役割
    ・ DARPAは米国防総省の研究開発機関で、直接「法律制定」や「貿易交渉」を行う権限はありません。
    ・ しかし、軍事技術の優位性確保という目的から、米国内の半導体産業強化を戦略的課題として認識していました。
    ・ 1980年代前半からDARPAは、製造プロセス技術や設計自動化(VLSI計画など)に資金を投じ、米国半導体業界の競争力向上を支援。
    ・ この研究投資はSIAが後押しする貿易政策論拠にもなりました(「日本に負けると軍事的リスクが高まる」という論法)。
  2. SIA(米国半導体工業会)の役割
    ・ SIAは会員企業(Intel、TI、AMD、Micronなど)を代表して議会・政府へのロビー活動を行いました。
    ・ 議会での証言やUSTR(通商代表部)への要望書提出を通じて、日米半導体協定(1986, 1991)、スーパー301条指定を推進。
    ・ ロビー活動の背景にDARPA発の技術優位論を活用し、日本の市場慣行を「安全保障上の脅威」に位置づけました。
  3. 米国議会と行政(USTR, 商務省)
    ・ 議会の中でも特に通商政策委員会や軍事委員会の一部メンバーが、SIAの主張を取り込み法案化や圧力策に結びつけました。
    ・ USTRはスーパー301条の発動主体であり、SIAや議会からの圧力を受けて行動。
    ・ 1980年代後半、日本の半導体市場開放要求は「通商問題」でありつつ「国家安全保障問題」として扱われました。
  4. 因果関係の整理
    ・ 直接因果:法律や協定を動かしたのはSIAのロビー活動+議会の同調。
    ・ 間接因果:DARPAが80年代に作った「技術優位=安全保障」というフレームが、SIAや議会の政策論拠になった。
    ・ つまり、DARPAは意識的に貿易制裁を作った主体ではないが、結果的にその理論的・戦略的土台を提供したといえます。

どうも歯切れの悪い回答ですね。


それでは、DARPA から SIA への資金の流れを聞いてみます。
 

生成 AI にさらに質問すると、1987年に設立されたSEMATECH(米国半導体製造技術コンソーシアム)を経由して DARPA は、SIA 構成企業に多額の資金提供(わかる範囲でも、最低年間2億ドル(当時の価格で1,500億円以上!))を行い、その成果を各企業間で共有していました。

 

下図は、Chat GPT が DARPA からの資金の流れが良くわかる図を作成できると回答したので作図させたものです。(ChatGPT が回答した図は文字化けしていたので、修正しています。)


DARPA からの多額の資金は、IBM、Texas Instruments、Intel、AMD、Micron といった米国半導体製造の大企業に流れていました。(中小には SEMATECH や SIA 経由で資金が流れる。)

もちろん、色々な国で情報戦を仕掛けていた DARPA が、国内企業であっても「無料で」資金を提供するはずがありません。
何らかの意図があって、年間2億ドルもの資金を(アメリカ議会へのロビー活動を行っている)業界団体へ提供していたと見るべきでしょう。

 

面白くなってきました。(怖くなった?)
次回は、当時の DARPA で「日米半導体戦争」に関わった人物について調べてみます。

最近では生成 AI を使えないと時代に遅れそうなので、長年、気になっていたことを生成 AI の使い方に慣れながら調べてみようと思います。


初回は「日米半導体戦争」と呼ばれる1980年代から1990年代にあった「貿易摩擦」について調査してみます。
(調査と言っても、実際に現場には行かない「安楽椅子探偵」みたいなものですね。)

生成 AI が作成した「日米半導体戦争」のイメージ

この記事は「都市伝説」や「陰謀論」ではなく、出典は一次資料などの根拠に基づいた真実ですが、最終的な結論は生成 AI が答えた内容です。(各国のエージェントの方々、くれぐれも最終結論を見て、私のことを消しに来ないでくださいね。)

日本が半導体販売額の世界シェアを失った理由

日本が半導体販売額の世界シェアを失った理由について ChatGPT に質問してみました。下はその回答です。

日本が1970年代後半〜1980年代半ばにかけて半導体世界シェアで頂点を極め、その後1990年代以降に急速にシェアを失った理由は、いくつかの要因が重なった結果です。
ざっくり言うと「国際政治・経済の圧力」、「技術・市場構造の変化」、そして「経営戦略上のミスマッチ」が絡み合っています。

一番の原因と回答のあった「国際政治・経済要因」とは、米国との貿易摩擦と米議会による市場開放圧力でした。
つまり、国際政治と書いてありますが、アメリカ議会が定めた各種条例が主原因のようです。
例として ChatGPT は、1986年の日米半導体協定と1989年のスーパー301条をあげています。

 

本当にこの2つが原因なのかデータを調べてみます。
少し幅を持たせて、1975〜2000年の世界半導体販売額と、日本、アメリカの世界シェアをグラフ化してみました。(詳細なデータが見つからない年のデータは AI による推定モデル)

 

確かに日本のシェア(赤線)は1988年の約50% が頂点で、そこから急減少しています。
そして、日本と反対にアメリカ(緑線)は1989年からV字回復しているのが分かります。
また、日本のシェアが高かった1988年と比較して1995年以降は世界販売額が倍以上に成長しているので、アメリカの販売額の上昇額は凄い事になっています。

このグラフを見ると、確かにアメリカからの1986年の日米半導体協定と1989年のスーパー301条による圧力が、日本シェア減少の理由のように見えます。

韓国・台湾勢の台頭

なぜ、世界一を誇っていた日本の半導体は、こんな事になってしまったのでしょうか?
よく言われているのが、韓国・台湾による DRAM 製造能力の向上です。
この中には、日本人の半導体技術者が韓国のメーカに高額の報酬をもらって情報を売り渡していたという都市伝説的な話もありますが、実際のところはどうなのでしょうか?

 

こちらが、日本・アメリカ・韓国・台湾のシェアです。黒線はシェアと関係ないので気にしないでください。

(現在では世界シェアで存在を示している中国は、この頃はデータ化できるほどのシェアは無かったので省きました。)
韓国(緑線)と台湾(紫線)の半導体製造能力は、現在(2025年)は日本を凌駕していますが、1990年頃は5%にも満たないものでした。
グラフを見た限りでは何らかの理由で日本のシェアが急落して、その隙間を徐々に韓国・台湾が埋めていったように見えます。
1985年ぐらいに両国の半導体製造が急増したのなら分かりますが、決して1989年頃からの日本のシェア減少の原因ではないように見えます。

経営戦略上のミスマッチ

ChatGPT が3番目の原因と上げている「経営戦略上のミスマッチ」です。
その詳細は以下の2つです。

・1990年代のバブル崩壊
・企業文化の硬直化

しかし、1つ目のグラフで日本のシェアが減少に転じたのは1988年頃なのでバブル崩壊の前です。
企業文化の硬直化も象徴的な記載で、大きな原因とは考えづらいです。

国際政治・経済の圧力

やはり、1番目に記載されている「国際政治・経済の圧力」が一番の原因に思えます。
この部分を深堀りします。

「日本が半導体の販売シェアを1985年ぐらいから落とした理由は何ですか?」と聞いてみました。
その回答です。(「アメリカ半導体業界(Intel、AMDなど)」の会社名は、後で出てくるので覚えておいてください。)

・1980年代前半、日本はDRAMなどメモリー半導体で世界シェアの7割を超える圧倒的地位を持っていました。
・アメリカ半導体業界(Intel、AMDなど)は日本メーカーの急成長を「不公正貿易」と批判し、米政府を通じて圧力をかけました。
・1986年に日米半導体協定が締結され、日本メーカーは価格引き上げや外国製品シェア確保(米国製品の国内市場シェア20%以上を目標)を義務づけられました。

1986年に締結された「日米半導体協定」が気になって調べてみたら、考えられないぐらいひどい協定です。


明治以来の「第2の不平等条約」と言われた「日米半導体協定」は、アメリカが勝手に決めた日本の各企業の製品価格を下回るとダンピングと言われて、半導体の製造とは関係ないパソコン、カラーテレビ、電子工具に対して100%の関税を掛けました。
また、日本国内での日本メーカの半導体のシェアを下げて、海外製品(当然アメリカ製ですね。)のシェアを20%以上にするというものでした。


この不平等条約は1991年にさらに内容を改悪されて延長されました。

また、1985年に決定した「プラザ合意」は、先進国首脳会議(G5)で決定したアメリカの赤字解消のための各国一斉のドル高介入でした。この為替介入は大失敗し、日本円はその後しばらくの間、円高となり輸出企業は大打撃を受けました。

協定を要求した勢力

アメリカ議会は、日本の半導体に制裁する協定などを議決して攻撃しました。
もちろん、自動的に法令や協定が出来上がるわけもないので、誰かが働きかけて条文などを作成したはずです。


そこで「この強い影響力があった各条例を米国議会に働きかけて可決させた者はだれですか?」と質問してみました。
ChatGPT による回答です。

主要な働きかけを担った個人/組織

  1. Semiconductor Industry Association(SIA)
    ・ 米国半導体業界を代表する業界団体であり、1985年にSection 301に基づいて調査を請求したのもSIA。これが1986年の日米半導体協定につながった契機です。
    ・ SIAは業界の代弁者として、上院・下院の議会や行政機関に強い影響を及ぼしました。
  2. Glen S. Fukushima
    ・ 1985–1990年に米通商代表部(USTR)で**日本・中国担当の副代表補佐(Deputy Assistant USTR)を務め、日米間の貿易交渉に深く関与。
    ・ 日本市場の開放に向けた調整に実務的に関わった重要人物です。
  3. Larry Grant(当時 Micron Technology 法務担当)
    ・ 1985年、米国のDRAMメーカーMicronの総務・法務最高責任者として初の半導体のアンチダンピング訴訟を米貿易委員会に提訴。これが1986年の協定の下地になりました

どうやら、この SIA が怪しいですね。
初めて聞く名前だったので、他の個人も含めて背景を調べてみます。まずは政治的なものです。


「これらの個人や組織の条例にかかわった政党を教えてください」と聞いてみました。

  1. Semiconductor Industry Association(SIA)
    ・ 関与政党:共和・民主の枠を超えた業界ロビーであり、政党は特定なし。業界圧力を通じて与党・野党双方に影響する構造。
  2. Glen S. Fukushima(副代表補佐、USTR)
    ・ 関与政党:任期中はレーガン(共和)政権およびその後のブッシュ政権(共和)下での職務。したがって、政策形成における政治的背景は共和党政権下です。
  3. Larry Grant(Micron 関係者)
    ・ 関与政党:Micron社の法務担当であり、訴訟自体は行政・司法プロセスを通じた行動で、政党的背景は明確に特定されていません。

関連する政党には明確な違いはなかったですね。
てっきり、デジタル技術にうるさい(高性能コンピュータ法(HPC法)などを制定した)民主党のゴア氏が関係していると思ったのですが、違ったようです。

 

「半導体戦争」と言うぐらいですから、一応、軍とのつながりも調べて見ます。
あまり期待せずに「SIA、Glen S. Fukushima、Larry Grantそれぞれは軍との関係性はありますか?」と聞いてみました。すると・・・

  1. SIA(Semiconductor Industry Association)
    ・ 直接的な軍所属:なし(民間業界団体)
    ・ 間接的な軍関係:
    米国防総省(DoD)は、1980年代以降、半導体を安全保障の基盤技術として位置づけており、SIA加盟企業(Intel, Texas Instruments, Motorola 等)は軍需契約を多数保有。
    特に冷戦期、先端プロセスや高信頼性チップは軍用電子機器・ミサイル制御・レーダーに直結。
    SIA自体はロビー団体として、国防総省やDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)と政策・予算の面で共通の利益を持つことが多かった。
    ・ 結論:SIAは軍と直接的には結びつかないが、加盟企業の多くが軍需契約を持つため軍事・安全保障政策と経済的利害が重なる存在。
  2. Glen S. Fukushima
    ・ 直接的な軍所属:なし。
    ・ 間接的な軍関係:
    USTR(米通商代表部)での日米半導体協定交渉は、国家安全保障上のサプライチェーン確保という観点から国防総省とも情報共有が行われた時期がある。
    レーガン政権(共和)時代は「経済安全保障」概念が強調され、貿易交渉チームは軍・CIA・商務省と連携して日本の先端技術動向を監視。
    ただしFukushima氏自身は通商交渉官としての役割が中心で、軍関係ポストには就いていない。
    ・ 結論:軍と直接関係はないが、政策形成の過程で国防当局と情報・戦略面で接点があった可能性は高い。
  3. Larry Grant(Micron関係者)
    ・ 直接的な軍所属:なし(企業法務・経営側)。
    ・ 間接的な軍関係:
    Micronは1980年代後半から国防総省向けの特殊DRAMやSRAMを供給しており、軍需契約実績がある。 米国防総省は、国内DRAMメーカーの維持を安全保障上重要と見なし、Micronの対日訴訟を戦略的に歓迎していたとされる。
    Grant氏個人は法務面の活動が中心だが、結果的にMicronを通じて軍の供給網維持に寄与。
    ・ 結論:個人として軍に所属した経歴はないが、企業としては米軍調達に関わる重要供給者。

全く期待していなかったのですが、それぞれの団体・個人は、米軍との強いつながりがありました。
そして、よく読むとどこかで聞いたことのある単語が出てきました。


米国半導体工業会(Semiconductor Industry Association:SIA)は民間の半導体企業の組合だったはずですが、国防総省や DARPA と強いつながりがありました!

 

DARPA とは、このブログでも紹介したことのあるアメリカの戦争を裏で支えた組織です。
次回は、「日米半導体戦争」と DARPA との関係について調査します。