たまには壮絶恥さらし記事を | 一人マラソン部活動記録

一人マラソン部活動記録

ハーフ86分、フル3時間7分を目指す凡庸な市民ランナーの練習日誌、長距離ネタ

6/16 14kmjog(5:27)

 

じっくり、と。

しっかし、これぐらいの練習だと脳内幸福物質が

ドバババと分泌される不思議さよw(←インターバル嫌いなん?)

 

**********************************

 

特に素敵なライフを送っているわけでもない、

鶏肉と納豆とキャベツの千切りを毎日食べる事を

課しているただのおっさんですが、

たまにはさらけ出しを。

 

タイミングよくハムさん、かっきーさんが「思う所系」の記事を

アップされたので便乗。

 

テーマは2つ。

 

 

・フェイルセーフ

機器は必ず故障するという前提のもと、それが壊れてももう1つで

最悪の事態をカバーするという設計思想。旅客機のエンジンなんかが典型例ですね。

 

これを思いっきり日々の生活レベルに落とし込むと、結構役に立ちます。

仕事もそう。

マラソンでもそう。

忘れられないのが2021年12月名取フルでの会話。

手袋どうすっかな?(可能な限り軽装でいたいセコさがまだあった)。

悩んでいたら虎さんに「念のためポケットに突っ込んでいたほうがいいですよ!」。

その日を境に、私のレース前装備準備は変わりました・・・・・

 

まあ、経験上、エイド充実の100㎞でリュックはいらないかな、

等という学びはあるも、「念のため精神」は忘れておらず。

 

*****************************

 

学部生時代、学んだのは法律でも経済でもなく、工学でもなく。

職業生活ではク○の役にも立たない社会科学ってやつ^^;

ブルデューとかマックス・ウェーヴァーとか読んでました(読まされてたw)。

 

今風なら、トマ・ピケティとかマイケル・サンデル的なテクストなのかな。

 

名残があるのか今でも時々残業が少ない時期だとこんなのを読んだりします。

(↑ホント、実生活ではトイレットペーパー以下の価値しかないw)。

 

でもなんというか、それ系の研究者でも暖かい人柄の著作には励まされる。

 

もうちょっと楽に生きようよ、と。

こないだ読了した千葉雅也氏の本の最後にこんな感じの記述が。

勿論、「表象」だの「エクリチュール」だの、その界隈系の用語はすっ飛ばして読むw

 

 

************************************


私がこうである事の必然性を求め、
それを正当化する物語をいくらひねり出してもキリがない。

身体の根源的な偶然性を肯定すること。
それは無限の反省から抜け出し、
個別に有限に取り組むことである。

 

************************************

 

(私は正しい)という正当化の無限ループはしばしばキツい。

時間は有限、どこかでキリをつけよう。

規律と欲望の間を、フワフワと行ったり来たりしよう。

あまり根詰めず、出来る事を楽しもう。

 

これが小学生レベルの私の解釈です^^

 

****************************

実際面で言えば、SNSの断捨離をしたりとか。

 

偶然とか運を素直に受け入れるとか。

 

ランナーあるあるかもしれませんが、

完璧に調整したつもりでもレースは(う~ん)だった。

が、通常練習で稀にとんでもない絶好調が訪れる事も。

これも運。運故、思いつめる必要なしw

 

********************************

2023盛岡フルでは3時間10分30秒ぐらいでゴールしました。

暖かい労いの言葉に感謝極まったのは本当に事実です。

 

ですがふとこう思う自分もいます。

当時、私は

・3時間10分を狙える練習が出来る環境にあった(仕事、家庭)。

・3時間10分を狙える練習が出来る身体と精神が、「たまたま」あった。

・故に、3時間10分を出すことは大した事ではない、と・・・

・単に練習の成果を、無難に出しただけという(この辺難しいですが^^;)

 

例えばですが、とんでもない激務とか、ダブルワークをこなしながら

サブ4を達成する方は、

私の100倍、いや1那由他倍凄いと思います。

 

書き散らかし。

2100年のグーグルロボットがこれを読んでどう「想う」かは楽しみです^^