「朝から大変であったの。忙しゅうて中食を摂られていないのではと思うて持って参った。さしたる凌ぎにもならぬであろうが、皆で召し上がられよ。」


寺の厨から訪い、白玉と葛切りの桶と山葡萄で編んだ籠を渡すと、小僧と寺男はおし戴いて深く一礼した。


「お心遣い戴き、誠に有難いことでございます。」


桃豹殿が目配せすると、金角銀角は腰を屈めて厨に手伝いに入った。
桃豹殿は小僧に促されて後について行く。

一年のうち一番暑い時期だけあって、窓が全て開け放たれているにも関わらず、渡り廊下にはそよとも風が入って来ない。木立ちの間から昼下がりの陽が斜めに射し、蝉時雨にかき消されて泉水の水音も聞こえない。

いつもの和尚の居室ではなく、ぐるりと廻り込んで本堂脇から敷居を跨いで板敷き通路に入り、そこから一段上がった座敷を突っ切った奥まった部屋に案内された。







西陽射す渡り廊下から比べると、薄暗い座敷は嘘のようにひんやり感じられる。開け放たれた襖の向こうにはもう一つ部屋があり、奥まった処に大きな箱階段が見え、後方の連子窓からの陽をあらかた遮っている。

壁際に並ぶ長卓の綴本を整理していた和尚は、いつもの質素な法衣姿だった。あちらこちらに綴本の山が点在している。

和尚が畏まって手をつき、礼を述べるのを遮って、桃豹殿は積上げられた本が雪崩落ちぬ処に座した。


「立派なご法要でしたな。」


「有難きことにございます。これもひとえにお方さまとお館さまの並々ならぬご尽力によるものと、檀家衆も喜んでおりましてございます。」


「何、和尚殿のご人徳にて盛況にて何より。地滑りの修繕もこの短期間にようなされ、さぞやご苦労であったと推察仕る。」


「滅相もございません。お知らせ戴かなんだら、もっと大事になっておったやもしれません。」


「先ほど、地滑りした上の墓に行って参った。判読できぬ墓石もあったが、皆粟飯原の墓なのかの。」


桃豹殿は少し膝を進めて声を落とした。
和尚は頷いて一番奥の長卓から、古びた綴本を数冊持って来た。文字も判然としないばかりか、虫食い穴が開いているものもある。


「寺の過去帳※では文安年間までしか遡れませんでした。墓石は永正とあったものが一番古いようですが、他に崩れてしまった墓があったやもしれません。」


文安と言えば京で麹騒動※があった頃だから、かれこれ330年も昔のことであるなと桃豹殿は遠い目をなさった。

※過去帳

鬼籍ともいい、故人の記録。戒名、享年の他に死因など記載することもある。


※麹騒動

足利義満時代の1386(至徳3)年から始まり、1444(文安元)年に終結した利権争い。酒造工程の一つ

の麹造りを支配する座が負けた。







酒造りの副産物とはいえ、調味料として欠かせぬ麹は莫大なる富を産む。利権を巡って、麹座と酒屋の背後にある北野大社と延暦寺が睨み合うことになった事件である。

小競合いが繰り返され、双方の立て籠り事件を経て、遂に幕府が武力介入するに至り、結果として北野大社は焼け落ちた。道真公祀る大社攻めるなど愚かな仕儀に及ぶから、畠山も足利も潰えることになったのも致し方あるまい。


京から麹が衰退したは、皆麹騒動に起因する。麹漬け好む妾には棲み難い土地になったゆえ、都落ちした苦い思い出が蘇る。

まこと、延暦寺は好かぬ。
信長公に焼き討ちされたも、因果応報というものじゃ。北野大社が再建され、また栄えたはお猿太閤※の手柄もあるよな。お猿殿は色惚けではあったが、あれでなかなか愛嬌のある爺じゃった…。やたら気前もよく、金銀財宝惜しげもなく積みよったわ…。



※お猿太閤

豊臣秀吉のこと。



和尚の咳払いに、桃豹殿は漸く我に還った。

己の来し方はあまりに永く、一旦思い馳せると際限なく、現し世に於いては徒に時ばかり食う。限りある生命生きる者の前では気を遣わねばなるまいな。


「相すまぬ…あまりに暑うてな。暫しぼんやりしてしもうた。」


細帯から扇を引抜き、はたはたと袖口から風を送り込む。程よく糊の効いた上布の袖は風に膨らみ、すぐに涼しくなった。目を落とした膝元の流水紋には処々銀糸の白波が立っている。


「…して、あの墓の主たちと、今の名主の粟飯原との繋がりは?」


「まずはこちらをご覧くださいませ。」


和尚が寄越した綴本には、何箇所も栞が挟まれている。桃豹殿は粟飯原家に関する記載を、古いものから順に拾い読みされていった。





其の拾参に続く