右足小指骨折してから16日目の1/3、不信心モノの桃豹ではあるが、頑張って初詣に出かけてきた。新年になってから家から一歩も出てないと言って、ぱんさーママも同道する。

いやいや、ぱんさーママはベランダや家の周り、ガレージ辺りに何回も出ているから、桃豹の何十倍も歩いている。それにひき比べ、2階の自室からキッチン、食糧庫替わりの寒い玄関脇の部屋、トイレに浴室・洗面所にしか行かない桃豹ときたら…過保護なお猫さまより歩かないかもしれぬww あ、元日午後には「孤独のグルメ」観に、洋間に入ったか…。


整形外科でも言われたが、松葉杖ついている訳でもないし、のほほん感に満ちているせいか、ケガしているようには全く見えないらしい。しかしながら、小さいながらも着脱式ギプス装着していて、デカいサンダルみたいな靴にしか足が入らんので、かろやかに歩くのは不可能である。ドナルドダックがドタバタ歩く様に近いと言えばわかり易いかもしれぬ。

足でも踏まれたら敵わんから混み合った処は避けたいなと考え、門前町まで行きながら閉門以降の時間ばかりで何回もお詣り仕損ねている弘明寺観音に行くことにした。


風が冷たいので沢山着込んで出かけた。本来ならば一日のうちで一番気温が高い、昼少し過ぎた時間帯なのにいやに寒い。

弘明寺観音の山門からの階段はかなり急である。足に負担かけないように、坂降りた処の山門側は避けて、弘明寺駅側の裏口から入ることにした。

暫く来ないうちに桜の大木裏にあった建物が無くなっていて、駐車場が2倍以上広くなっている。そんなに参拝者がいるのかなぁと思いつつ、聖天堂を回って行くと…境内は満杯、ガードマンがあちこちに立っている。


裏口は帰り専用で山門側からしか入れないと言われ、ぱんさーママが、「じゃあ、ここで手合わせればいいわよ。」なんて宣う。桃豹は案外素直にルールに従う習性があるため、ダメとなるとさっさと諦めて、「脇階段から降りて、下にもお賽銭箱あるからそこでお詣りしよう。」とぱんさーママを促した。


ところがそんなやりとり聞いていたガードマンが、「ほら、いいからお入りなさい。」と道を開けてくれた。

ラッキー❤

お礼言って境内突っ切り、本堂に入る行列の最後尾に加わる。お焚上げの真っ最中で、白い灰が雪みたいに舞う中、粛々と並び、家族の健康と安全を祈願。能登半島地震被害者が最小限でありますように。

日々繁忙でもいいから、変わりなく過ごせますように…。大災害のニュースの後は、特にそう願ってやまぬ。







桃豹は弱っちい。

加えてストレスなんか大の苦手である。

いざという時はそれなりに対処するだろうが、人生に於いて、できれば「いざ」なんか体験したくない。おまけにシャキシャキ動ける年代ではなくなりつつある。

新年早々、能登半島地震という大災害ニュースを1時間半ほど観ているだけで、疲れてヘロヘロになった。

「津波が来るから、すぐ避難して!」という、NHK女性アナウンサーの繰り返しの切羽詰まった避難勧告にも、皆とにかく逃げてくれと、遠隔地ながらも焦りまくる。

同じニュースの繰り返しだし、ぱんさーママが「頭痛くなってきた。」と言うので、「同じニュースの繰り返しだから、ラジオにしよう。」とTV消して、夕食準備を始める。自身も気分が悪く、何だかフラフラする。

…2人とも共感疲労の症状である。


能登半島地震発生時、震度5以上だったために、「孤独のグルメ」最中に画面にテロップが出て、次いでスマホのYahooの緊急災害速報サイレンが鳴った。その後も震度5以上の余震の度にアラームが鳴る。

その余震の多さと大きさ、日暮れ時と津波襲来の重なり、輪島市内の火災映像などから、頭の中で被害想定は膨らむ一方で、夜中にも災害速報アラームにあまりよく眠れなかった。




今年の桃豹家の雑煮は白味噌仕立て
丸餅買うのを忘れて伸餅ww




年末はぱぱりんの施設引越しやら、提出書類や必要物資配達やらで忙しく、年明けゆるりとしようとしたら、大地震&航空機事故で世間は騒がしい。嬉しいニュースならば悦ばしいのだが、大惨事となると鬱々した気分が晴れぬ。

しかしながら、どんなことがあろうと、日はまた昇る。誰しも喜悲交々のうちに生きねばならない。

当たり前のことではあるが、今できることを着実に積み重ね、日々を繋ぐ…これが生きていくということなのだ。


ビンボーハンボー教師桃豹…

しよ〜もないことこの上ないが、冴えない気分も日々の喧騒のうちに取り紛れつつある。

試験問題も印刷済みだし、来月半ばの1年生向け試験対策のプリント準備も出来上がり、進路指導の布石もほぼ終えたので、漸くシュミの世界に浸り始めている。

シュミとは申せ、仕事上でのことで、新たなゼミのレジュメ作りにより、新年の憂鬱を少しずつ晴らしているのである。


このレジュメは、後期試験後に始まる「大江戸事件簿」という新たなゼミ用で、5回コースなので歴史を変えた5件をピックアップすることにした。

各々の事件の背景を探り、影響をみながら、265年続いた江戸時代の光と影を検証し、延いてはその瓦解理由を解き明かそうという目論見である。



①重税に喘ぐ領民たち、改易大名家臣たちの長年の不満と、弾圧されたキリシタンたちのニーズが合致して起きた島原の乱。


②島原の乱の主導者と同じく、改易により浪人となった者たちによる、2件の幕府転覆計画未遂事件の慶安の変(由比正雪の乱)と承応の変。


③幕藩体制下では危険視されたが、武士道の体現としてもてはやされた赤穂事件。


④腐敗しきった大奥絡みスキャンダルが幕府の信用失墜につかながった絵島生島事件、金剛寺事件、延命寺事件、地泉院事件。


⑤外交の失策から海外へ金銀流失して、国益損ねる原因となった黒船来航事件。


以上5件は、謂わば江戸幕府の弱体化、延いては瓦解につながる事件である。

政策、財政面、信用性などから分析していくと面白い。


それに加えて、明暦の大火も扱いたい。

江戸市中6割以上を焼き尽くした世界的にみても大火なのだが、この火事があったからこそ、大規模な都市計画が短期間で実現できたのだから皮肉なものである。



歴史を紐解くと、人は幾度となく災害や人災(戦争や核施設に代表される事故)に見舞われ、それでも復興に力を注いで蘇る。


明暦の大火の復興には商人たちが大活躍した。一日も早く自分たちの商いを再開し、元の賑わい取り戻そうと必死だったからだ。

元旦の能登半島地震もまた、その例外ではないと信じたい。








また、こんな言葉もある。


長者の万灯より貧者の一灯


僅かな額の寄附でも、その心意気は尊い。

我らもその末端に加わろうではないか。