その昔、美術全集から写真集に興味が移った桃豹は、背徳の薫りのするその本を恐る恐る捲った覚えがある。

沢渡朔(さわたりはじめ)の『少女アリス』である。

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をモチーフとして、8歳の少女(というより幼女)を撮影したその写真集は、今でもマニアの間では伝説の一冊になっている。

ソフトフォーカスがかった叙情的な写真集にはヌードも含まれており、子どもから見ても8歳児がえらくエロティックに思われて、ドキドキしてしまった覚えがある。






永遠の少女アリス。

生意気そうでいながら、不機嫌で寂しげな眼差しを向ける少女に魅せられた者は、決して少なくない筈だ。
男性の思い描くアリス像は、光源氏が見つめる若紫と部分的に重なるのだろうか。

性愛の対象の予感にときめきながら、少女の成長を待つ気持ちはわからないではない。しかし、少女が自我に目覚めた女になりつつある時期にさしかかると、急速にその魅力が色褪せて見えるのも事実である。




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ルイス・キャロル原作の『不思議の国のアリス』に登場する主人公は、あたかも少年のように果敢で疲れ知らずの少女だ。 
白うさぎを追って不思議の国に迷い込み、おかしな目に遭ってはそれらをかい潜り、次から次へと冒険の旅を繰り広げる。

理不尽なことにも臆せず、おかしな人たちにもそれなりに対処する様は、好奇心に溢れた健康的な子どもならではの活力に満ちている。
空想癖はあるが秩序を尊ぶ桃豹には、正直なところあまりに突飛に過ぎ、ことごとく非論理的なアリスの世界は、幼い頃からあまり好きではなかった。

クマが喋るプーさんの世界は許せても、アリスの登場人物たちは受け容れ難かったのは、登場人物が概ね理不尽で、ドタバタせせこましいのが性に合わなかったからだ。
行く先々で異次元から来たストレンジャー扱いされ、最後には全て夢だったというのは、幼稚園児にすらこじつけにしか思えず、えらく許し難かったのである。

19世紀には奇天烈な物語がウケまくったのだが、変人の数学教師がたまたま書いたおかしな物語が児童文学のジャンルに組み込まれているのも、何だか納得がいかなかった。
『不思議の国のアリス』はそのドタバタさが、そして『鏡の国のアリス』は作中のナンセンスな詩が実につまらなく思えたのである。

イギリスの古い童謡集『マザー・グース』にもナンセンスな作品が多い。イギリス人のジョークは往々にして、反体制的で皮肉めいたものが目立つのだが、それに加えて現実と非現実の組合せや合成語の連発だらけなのである。
ルイス・キャロルはこの合成語を、『鏡の国のアリス』中でハンプティ・ダンプティに「かばん語」として説明させている。

これが理解できるには…翻訳本読んだだけでは土台無理なのである。
中2で『マザー・グース』や『くまのプーさん』『プー横丁に建った家』、テニスンやワーズワース詩集などを原語で拾い読みしたのだが、アリスシリーズは手強くて途中で放り出した。

大筋に関係ない、しかも統一性も一貫性もない駄洒落に我慢ならなかったからだ。
登場人物に無駄に駄洒落連発させたり、朗々と訳わからん台詞言わせて、徒に物語を長くしているとしか思えないナンセンス文学が好きになれないせいか、実はシェークスピアもあまり好きではない。確かに名文句もあるのだが、自分が喋らされたら鳥肌立つほど気色悪いったらないのである。

誤解されると困るので、イギリス文学は決して嫌いではないと言っておく、
但し、無駄に疲れるのを厭うがために、特に古典に多出するナンセンスな表現部分や行き過ぎた言葉遊びにはどうにも我慢がならないのだ。幼い頃からオチのない話や漫談が大嫌いなのは、アリスと出会う前から確定していた好みの問題ゆえ仕方ないのである。あ、だからって、ジョーク解さぬ無粋者という訳ではないことは言わずもがなかなww

ナンセンスは論外だが、ファンタジーは大好きなので、アリスシリーズもそちらの観点からなら、敬意をもって評価できるのである。
屈折したオマージュ…
普段は素直wwなのだが、桃豹はこと自分の拘り領域であることの好き嫌いには、つい一家言垂らさずにはおれないのだ。




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作者ルイス・キャロル(1832〜1898)は、オックスフォード・クライストチャーチカレッジの数学教師だった。
本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスンで、アマチュア写真家としても知られている。
更に、大勢の少女たちのヌード写真を撮っていたのと生涯独身だったせいで、大きな声じゃ言えないが、ロリコン扱いされている人物なのである。

(ーー)ん〜

桃豹も小学生の頃、ルイス・キャロル=ロリコン変態(あ!差別用語使っちゃったww)と思って、そこそこイケメンなのにお気の毒になぁと深く考えずに、取り敢えずそれ以上突っ込まずにスルーしてきた。
今じゃ価値観の多様化から、犯罪に走らぬ限り、どんな趣味であろうが個人の自由だろうとえらく寛大(笑)なのであるが、その頃は気持ち悪さが先行したのだった。

あまりにも長らく放置してきたから、ちょっとばかり彼の弁護をしておいてやろう。

写真技術が発達したヴィクトリア朝では、様々なものが撮影された。写真には単なる記録用としての用途の他に、美術的観点からの用途がある。
一部の特権階級にだけ許された肖像画は、産業革命により数多く生まれた中産階級の人々にも需要が高まり、程なくして、よりリアルで簡便な肖像写真に取って替わられる。

当時の美術は新古典主義とロマン主義のないまぜで、肖像写真は次第に絵画的様相を帯びてゆく。ポスト・モーテム・フォトグラフィーの記事でも書いたが、肖像写真は死体の撮影時にすら芸術的であろうとしたのである。

更に1851年に発明された湿式コロジオン法は、ネガを高価な金属板からガラス板に替えたことから、ダゲレオタイプの鮮明さとカロタイプのネガポジ方式の複製可能性を併せ持つ利点を有していたために、肖像写真の主流になる。

富裕層の中には自分でカメラを買い、手近な人物を撮影するアマチュア写真家も登場し始める。ルイス・キャロルはそれらのうちの一人だったのである。手先の器用さから、湿板写真を撮ってプリントする技に長けていたのだ。

彼の撮影した少女たちは単なるポートレートではなく、様々なテーマのコスプレ姿であることが多い。下の画像はテニスンの詩にモチーフをとった、乞食のメイド姿に扮装したアリス・リデルである。乞食ということで、破れブラウスにスカートで、露出度が高い。チラ見え写真なのであるが、桂冠詩人にして1850年に男爵に叙せられたテニスンの詩を下敷きにしているとなると、俄然芸術的ということになる。






絵画的な肖像写真ということから、新古典主義によく見られる、天使の姿を模したヌードが撮影されることもあった。
ルイス・キャロルが生涯に撮影した写真は約3000枚を超すと言われ、我々はその1/3を見ることができる。大半が少女ばかりだが、中には有名人も含まれている。

残りの2000枚のうちにどれほのヌード写真があったかは定かではない。また、それらを彼自身が処分したのか、モデルたちの手に渡ったのか、遺族が彼の評判を憚って処分したのか…真実は闇の中である。
しかし我々は、残された僅か6枚のヌード写真のうちの4枚を見ることができる。
「ヴィクトリアン・ヌード」と題されたカタログをちらと覗いたら、イブリン・ハッチのヌード2枚が複製写真として記載されていた。

他にイブリンの姉ベアトリス・ハッチのヌード写真も存在するが、何れも別の絵画にコラージュされて彩色が施されている。2枚目のジプシーに扮したイブリンはあちこち暈し、加工されているが、コラージュが上手く成されていないために、ひどく不自然な仕上がりである。

3枚目の画像は1879年7月29日に撮影されたものである。ルイス・キャロルが指示して、アン・リディア・ボンドなる人物により着色されたという記録がある。ボンドは画家だったのだろうか。巧みな陰影により、絵画としても評価できるほどの仕上がりになっている。




ベアトリス・シェード・ハッチ(1866〜1947)

イブリン・モード・ハッチ(1871〜1951)

1879年7月29日撮影のイブリン・ハッチ



これらのヌード写真は、彼女らの母親了解の元に撮影された。
アリスの姉のヌード写真もあったらしいのだが、現存していないために確認できない。
ヴィクトリア朝に於いての幼児ヌードは、性愛の対象ではなく、無垢なる天使のイメージが先行したために、現在と比べたら信じ難いほど多く撮影され、かつ人目に晒されていたのである。

しかしながら、散逸あるいは処分された他の写真は、この3枚ほど手をかけていない非絵画的なものが多かったに違いない。
遺された、如何にも絵画に似せた写真数枚は、見せても構わない、あるいは見せることにより、無くなったその他の写真のカモフラージュにもなり得る写真なのではなかろうかと、作為が感じられてならない。




ピンク薔薇その2に続くピンク薔薇

 

 

 

 




 
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