湯屋の二階で、ころにゃん除けの黒覆面で顔半分隠している職人風の男たちが、少し離れて互いに顔を背けながら将棋を指している。巷で猛威をふるうころにゃんが、飲食しながらの談笑や狭い場所でのお喋りで感染することがわかってから、江戸や上方中心に黒覆面が推奨され、ご公儀からは対面で話すときの心得が高札されているからである。

「棟梁!桃屋の紅玉甘露水、買ったんですかい?」

「おうよ!」

「へぇぇ〜!?400文もの大枚払ったてぇんですかい?」

「初鰹に比べたら安いもんじゃあねぇか。」

「流石に棟梁んとこは、俺っちみたいな貧乏人とは違いますねぇ!うちの長屋じゃ、富籤みてぇに一軒あたり40文ずつ集めて、ようやっと買えたんですぜ。皆で天朝さまや将軍さまの有り難えおこぼれに与って、暑い夏無事に乗り越えようってんで。」

「甘露水は水で薄めるもんだから、それで充分足りるだろうよ。」

「何でも昔の天朝さま所縁の桃園稲荷の御札も戴けるてんで、有り難えこってす。差配さんが長屋の軒下に御札納める函作ってくれたんでさぁ。皆で拝めるようにって。」

「そうかい。お前さんとこの差配さんは大したお人じゃねえか。」

「へい。しがねえ貧乏長屋ですけど、差配さんは界隈一あったけえっお人だって皆が言ってます。」

「そうさな。…と、留公、そう来たかい。」

棟梁はパチリと駒を置いて破顔した。

「ほい、飛車取大手!」

「わぁぁ、棟梁!それはねぇでしょ!?」

「さぁて、今日も気持ちよく稼ぐとするかい。」

棟梁は傍らに置いてあった道具箱を軽々と肩に担ぎ、湯屋の段梯子をさっさと降りて行った。




巷で秘かに九尾の狐と噂される桃豹殿ww
双子の若師範の正体は、次作のお楽しみ〜❤
(ーmー)ぷくく



桃屋では水無月の梅雨の晴れ間に、蒸し暑い京生まれのぱんしろーの発案で、建具替え※を行う。
襖を簾戸(すど)に、障子を御簾(みす)に替えて風通しを良くし、畳には網代を敷き、藤や竹で編んだ道具類で涼を呼ぶのである。
また、この夏は暑くなるとて、店先にばったり床几※広げて商品並べる場所に、今までは葦簀(よしず)を庇に斜め立てして日陰作るだけだったのを、仕掛けを拵えることにしたのである。


※建具替え
襖や障子を季節に応じて替える大々的な模様替え。


※ばったり床几
外壁収納式の、店前に商品を並べる床几。



桃豹殿の手習所から巣立った者たちが、世話になった桃屋※へ恩返ししたいと常々申し出ていたのを、この際有難く受けようということになり、彼らが中心となって知恵を出し合った。
彼らは手習所の休みの日に、絡繰(からくり)好きな桃豹殿とわいわい楽しそうに絵図面描き、ほどなくして模型を拵えた。
手習所から遣わされたちびっ子たちがやってきたのは、梅雨の合間の蒸し暑い日の昼過ぎだった。回らぬ舌で述べる可愛らしい口上に、桃屋の面々は思わず口元ほころばせた。


※世話になった桃屋
人材育成に熱心な桃豹殿は、弟子たちを小僧見習いとして桃屋に実習に派遣している。


「ごめんくだちゃいまし!仕掛けの検分にお越ち願いたく、師匠より申しちゅかまちゅりましてごじゃりまちゅ〜!」

ちびっ子の代表が、桃豹殿からの文を若旦那に手渡す。

先日ご依頼の絡繰整いしゆえ、疾く参られよと流麗な筆跡(て)で書かれている。書は人なりと言われるが、細心にして豪胆な桃豹殿は、華奢な外見からは想像できないような堂々とした文字を書かれる。
尚、夕餉にはかしわ肉※入り特製たれ付きの流し素麺の馳走ありとのことで、若旦那は思わず垂涎しそうになり、口を拭った。 



※かしわ肉
鶏肉。



後藤屋敷※のある区画の角地にはトサキ稲荷がある。界隈の銀町(しろがねちょう)の人々が信心している稲荷で、お玉が池稲荷※境内には遠く及ばないが、桃屋裏手の稲荷の六、七倍ほどの広さの境内を有して、後藤屋敷に面した背後は銀杏や檜などの大木に護られている。
桃豹殿の手習所は、唯一神明造※のお社の両脇にある檜造りの入母屋である。借り受けた社務所跡地に造作するということで、お社に準じた格式の入母屋二棟が加わり、トサキ稲荷は町中には珍しい本殿の両翼を従える立派な構えになった。

※後藤屋敷
貨幣鋳造を許された後藤家が、幕府より拝領した屋敷。

※お玉が池稲荷
現在の千代田区岩本町。江戸古地図には不忍池に匹敵する大きさの池がある景勝地だったが、1845年までには駿河台を削って埋め立てされて宅地化した。二人の男に恋慕され、悩んで身投げした池の端茶屋のお玉を祀った稲荷。



※唯一神明造
神社建築の一種。


建物が立派になると、それに相応しいものをということだろうか。後藤家が中心となって近隣有志に勧進し、御影石の鳥居と春日灯籠が建てられた。元々いらした古いお狐さまたちは綺麗に磨きをかけられて真っ白に化粧直しされ、目鼻に金泥を施されて御影石の台座に載せられた。
稲荷の赤旗が翻る参道の左右に座するお狐さまは、襞をたっぷりとった赤い前垂れを付けて、将に神のお使いに相応しきお姿である。その威容に、お狐さまの足元にお供え物する参詣客が増えたことは言うまでもない。

更にどういう訳か両国の札差たちが、右翼入母屋の後ろに屋根付きの作業場、左翼入母屋後ろに渡り廊下で続く稽古場、本殿裏に庭園と瀟洒な邸を稲荷というより手習所に寄進するに至り、トサキ稲荷は村社とは思えぬほどの規模になっていた。
普段の夜は師匠の桃豹殿と双子の若師匠しか居ない筈なのだが、時折大勢の人が集うらしく、稲荷前の道に長い提灯の列が続くことがある。しかし、客の姿を見た者は誰もいない。
また、石畳の脇の春日灯籠や入母屋の庇に提がる釣灯籠には、夕暮れには一斉に灯が入る。灯籠は雨の日も風の日も、一晩中ちらちら瞬きながらも一つとして消えることがないために、神田七不思議の一つに数えられている。

ここに通うのは商家や長屋の子どもたちだけではなく、近隣の武家の子弟も多々おり、境内や社の掃除を当番制で担当している。朝早くからにも関わらず、皆が当番を喜んで務めるのは、美味い稲荷寿司や珍しい汁にありつけるからである。
また、親が働きに出て昼間居ない子どもたちは、事前に申込んでおくと、玉子焼きと煮物付きの握り飯と汁付きの弁当が配られるので、これも大層喜ばれていた。


桃屋の若旦那と手代は、桃豹殿から預かっている小僧見習いたちに一畳ほどの山車を牽かせて、使いのちびっ子と西瓜やら菓子やらの土産を積んでイサキ稲荷に向かった。
行き交う人の中には、祭の予行演習かと思って、にこにこしながら声を掛けて来る者もいる。
右翼の作業場には竹を組んだ筧が渡されていて、すっかり準備ができており、歳嵩の弟子たちが殊勝な面持ちで待っていた。

双子の若師匠が合図すると、弟子たちがさっと持ち場について、作業場の井戸から動滑車で、鴨居より高い位置に設置された四斗樽に水が流し込まれる。樽底近くの横っ腹に開けた穴は筧につながり、僅かにつけた傾斜を流れる水は、キリで小さな穴を穿かれた竹筒から霧雨の如きお湿りを降らす仕掛けである。
傾斜角がどうの、四斗樽ではなく半分で充分だの言っては、皆で大騒ぎしている。
軒下にこの竹筒差し渡し、一定時間毎に店先にお湿り降らせれば、打ち水するより涼しくなるだろうという思いつきから始まった仕掛けに、大人も子どもも夢中であった。

作業場での実験も成功し、桃屋の井戸に便利な動滑車が取り付けられたのはその日の夕方である。水汲みが大層楽になったために小僧見習いたちは大喜びだった。
庭の水やりにも応用できるのではと、細い竹の節を抜いたり、噴水みたいにほとばしる工夫などを始めた。

「こらこら、あんたら!桃屋の売りもんは手妻やあれしまへんで。」

子どもたちを叱る手代の声を聞きながら、若旦那はお城の隠し芸披露の際に、上様に水芸なんぞご披露したら、さぞやお喜びになられるだろうと思った。


さて、件の仕掛けは大評判となり、文月前から桃屋の前には涼求めん人々が押すな押すなの大混雑となる。
夏場ゆえ麻や木綿地着るので、着物が濡れても構わぬ人々が、日盛りの刻限にお湿りありとの口上に、わらわらと集まって来るのである。

廻船問屋兼薬種問屋の桃屋では、夏負け防止の妙薬として、水無月半ばより売り出したものがある。
昨年葉月の終わりに、若旦那が特別注文してくれた金玉羹を倣い、より涼しげで薬効あるものをとぱんしろーが考案した葛菓子である。
ぎやまんの杯に生姜や薄荷を効かせた冷し飴入れて、和三盆糖使いし葛餡流し込んで固めたものを、盆に並べて井戸水でよく冷やしたものである。

食した後に再利用できるぎやまんの杯の意匠にも凝ったために、当初の思惑の三倍以上もの数が売れ、急いで杯の追加注文をしても追いつかない。店側は嬉しい悲鳴を上げている。
ころにゃん騒ぎで家に籠もる人々は、多少高価な贅沢品であっても、珍しくて美味いものを食したい気分になるらしい。お湿りの宣伝効果もあって飛ぶように売れ、お店はころにゃん対策のために時短営業して、仕込みに精出さねばならなかった。


其の四に続く



2021/9/21 十五夜
暈かぶってて朝方雨降ったわ〜


前期試験が終わり、追試も終わり、未受験者もチラホラ学校に来て概ねどうにかなると思いきや…
問題起こした生徒がいて、またまた忙しい。
来月末には文化祭控えて落ち着かないし、クラスTシャツも作らなくてはならない。

家人は二週間の入院から一時退院したが、どうにも取れない胆石が胆管に詰まっている。6年前の手術で胆嚢除去したのに、また胆石が詰まるとは(ーー;)。自宅で抗生剤服用して体調整えて手術に臨むのだが、それまでの間通院はしなくてはならない。休んで付添いしなくてはなるまい。

自分も健康診断で初めて要精密検査が出たので、なるべく早く受診しなくてはならないのだが…横浜にはいい病院ないからホントに困る。健康診断やったのは相模原の病院だし、通うには遠すぎる。横浜市大病院は重篤でないと診てくれないし…。
治療最優先で仕事は程々にしよう。
そういう時に限って問題が起きるのだから、面倒この上ない。