拙著『パンティストッキングのお部屋〈前編〉』(幻冬舎刊)より

第三章 授業の目的 から【私の学校教育論】です。

 

 3才でクラシックバレエに魅せられてから9年。紆余曲折あれど小6にして初めてバレエに接して感じたコトは器械体操を遥かに超えるハードさでした。

 

 けれど、江東区立平〇小学校の同級生を含む沢山の女子に囲まれて男子はボクひとり、下半身も露な恥ずかしいタイツ姿でいられる心地よさだけで厳しいバレエなど続けるコトができるワケもなく、小1から小5までの5年間、ボクにとってはクソ面白くもない器械体操で培ったリズム感、高いジャンプ力、そして強い体幹が大いに役立ったコトは間違い有りません。

 

 そんな愉しいバレエ漬けの日々も高2に進級する直前に突然終わりを告げるコトになります。後の検査結果で判明したのは第4腰椎が前方にスライドして脊椎神経を圧迫するコトによって激痛が走る、その名も【すべり症】というお笑い芸人の間で不治の病と呼ばれているかどうかは別として、これ以上バレエを続けるコトはできないというインフォームド・コンセントに於いてドクトルから還暦過ぎの女性に多く見られる腰痛症と聞いてママと共に大きなショックを受けたモノです。

 

 バレエを断念した高校2年生当時のボクがハマったモノは学校の勉強でした。中でも著名な推理小説家、故松本〇張の三男氏が受け持つ世界史の授業はとてもオモシロくて、毎時間が楽しみでした。それまで勉強が楽しいなんて思ったコトは一度も無くて、そもそも、「どうして勉強をしなければならないの?」という普遍的な疑問はどの世代にもありながら、誰からも正解を聞いたコトはなく、実は五輪の第一回東京大会開催の前年に当たる1963年に放送が開始されたテレビのクイズショーでは芸能人大会と称して、俳優、タレントなど、芸能人の学歴の高さをひけらかし、優に半世紀を超えた今尚続くクイズショーの人気は歯止めが効きません。

 

 問題のジャンルとして【文学・歴史】【社会】【科学】【芸能・音楽】の分野から出題するなど、「学校の勉強ってもしかしてクイズ番組で優秀な成績を修めて有名になった暁にはタレントとして芸能界に華々しくデビューするコトではなかろうか?」と薄々ながら気付いた視聴者もいるハズで、けれど、それが学校教育の真の目的であると公言してしまうと、「だったら、もっと頑張ろう!!」とか言って益々意欲を持って勉学に励むシンプルにオメデタイ子供ならいざ知らず、「そういうコトなら、ボクは大丈夫」と投げ出す子供の方が圧倒的に多いにも拘わらず、益々クイズ番組がオンエアされて高視聴率を維持し続けている現状を踏まえれば、先ず先ずの成功を収めていると言えるでしょう。

 

 そもそも幼い頃から神童と呼ばれるほど頭の良い輩が教師になるべくしてなった連中は概ね勉強で苦労したコトがありません。

 

 ボクが小1の時、早くも算数の授業でつまづいた原因は、「八百屋さんでリンゴを10個販売しています。よしお君はリンゴを3個買いました。さて八百屋さんに残っているリンゴは何個でしょう」的な文章問題で、今でこそ果肉が柔らかくて甘い王林は大好きですが、甘酸っぱくて硬い果肉のリンゴしか食べたコトが無かった当時のボクは甘くて柔らかい柿の方が断然好きで、「リンゴよりも絶対柿の方が美味しいんだからリンゴを1個にして残ったお金で柿を買っちゃえばイイのに」というコトばかりが頭の中で渦巻いてボクだけがこの問題を解けなかったのです。

 

 2年生に進級すると【九九】を習い始めるコトから【1の位】【10の位】【100の位】という初めて耳にする言葉が出てきて、そもそも【位(くらい)】という言葉が【暗い】をイメージしてしまって、その先に進めないという、問題を解けない原因がそこに在るなど、1を聞けば10を知る神童と呼ばれて育った教師に理解できるハズも無く、学校教育の一環として何故沢山の教科を勉強しなければならないのかという質問の回答として、「数々のクイズ番組で優秀な成績を修めた結果クイズ王になって全国的に有名になる為」と言えば理解はできても、到底納得できないという子供が大半だと思います。

 

 そこで、普通校から一般企業に就職を希望する学生、生徒に向けてヒントを言うと、【学校で修得した教科の知識は与えられた職務を遂行する上で何の役にも立たないコト】、一方、企業側は、【オール’優’、オール’5’(5段階評価)など全ての教科に於いて成績優秀な学生、生徒を求めているコト】。これらをまとめると、【学校で勉強した教科が職務上、役に立つコトは無いけれど教科の成績はオール’優’、オール’5’でなければならない】。

 

 つまり、学校教育の真の目的など誰からも聞いたコトはないけれど、沢山の教科、科目に触れて【あらゆる事柄に高い関心を持ち、興味を抱く方法を学び、育む為】というコトではないでしょうか。

 

折角希望した企業に就職したにも拘わらず、「業務内容が思っていたコトと違うから辞めたい」とか言うバカタレが後を絶ちません。けど、そんなコトを言われても企業側としては困ります。そこで学校教育に於いて児童、生徒の内に様々な事柄に対して興味を持つ方法を身に付けておけば、社会人になって苦しみ悩むコトはありません。

 

 尚、【オール’優’】、【オール’5’(5段階評価)】という優秀な学生、生徒を求める理由は沢山の教科、科目の中でひとつでも【’良’以下】、【’4’以下】があると、企業は興味の無い事柄に対して努力をしようとしない人物という評価を下すからです。

 

 学校教育に於いて沢山の教科、科目を勉強する目的を理解している教職員の存在が見えないコトに加えて諸悪の根源は、校長を始め教頭、教務主任、学年主任など主務を歴任した退役教職員の天下り先の温床の様な誤解を与え兼ねない教育委員会の存在に加えて全ての児童、生徒を各科目の教師にでもするかの様な授業の内容や進め方をマニュアル化した【学習指導要領】にこそ我が国の学校教育に無理をもたらしているなど、在らぬ誤解をされているのかもしれません。

 

 勉強とは生徒の誰もが興味を持てる楽しいモノでなければなりません。2002年~2011年の10年に亘って行われた【ユトリ教育】は、学校教育の本来あるべき目的を理解できていないバカな有識者連中が思いついた的外れの政策であり、全てをメチャクチャにして終わったけれど、ボクが思う学校教育の本来在るべき姿を踏まえれば、コロナ禍にあっても習熟度を気にする必要など無くて、我が国の学校教育にとってコロナ禍は決して不利な要素では無いし、学生、生徒、児童にとっても決して不幸なコトではありません。寧ろ、コロナ禍を逆手にとって、今こそ学校教育に於ける授業の形態を抜本的に見直し、学校教育の本来在るべき姿への改革が求められているのかもしれません。

 

 大手婦人靴下メーカーでさえ女性の装いに欠かせないパンティストッキングというおごりからくる【穿かなければならないストッキング】という意識から【穿きたくなるストッキング】へ、とメーカーサイドの販売姿勢を商品企画の段階から根本的に見直すコトで売り上げが飛躍的に伸びた様に【つまらない授業】から【オモシロい授業】へ、【精神的苦痛を伴う勉強】から【楽しい勉強】へと学校教育に関わるバカな有識者連中並びに自称教育評論家を名乗る輩の意識改革が求められているのではないでしょうか。

 

 興味の持てる授業とはオモシロい授業というコトですが、その一方で最も人気が無いとされる科目に理科の第二分野(生物学)があります。人気が無い科目を如何にしてオモシロい授業に変えるコトが問われているのです。

 

 例えば、某携帯電話のCMでお馴染みの白戸家のお母さんと言えば昭和33年12月生まれで、同年6月生まれのボクと同い年の女優、樋〇可南子さん演じる正子ですが、そのご主人が次郎という名の白いイヌであるというコトに驚いたのも束の間、その息子が小次郎という名の黒人で娘の名がアヤ。

 先ず、お母さんの正子が旦那とは言え次郎という名前の白い中型犬にどの様に愛されて二人の子供を授かったのかという興味がひとつ。例えば、ボクが樋〇可南子さんと同じ学区に住んでいて小学校、中学校当時のクラスメートだったとした場合、卒業アルバムに写る清楚な彼女の笑顔を見ながら、十数年後には白い中型犬に後ろから突かれているであろう絵面を想像するだけでゾクゾクするし、遺伝子学的に興味深いのは白いイヌのご主人との間に生まれた小次郎と言う名の黒人の存在です。

 

 この現象をメンデルの法則(1865年報告)によって検証すれば、黒人の父親である白いイヌの次郎の祖父母など白戸家の家系に黒人、もしくは黒いイヌが存在しない限り、或いは、妻、正子の祖父母など、お母さん側の家系に黒人、もしくは黒いイヌが存在しない限り、妻、正子と何処ぞの黒人、もしくは何処ぞのウマのホネとも分からない黒いイヌとの浮気でできた子供かも?という疑念が残ります(諸説あります)。

 

 この様に理科の第二分野(生物学)の授業でメンデルの法則を学ぶにしてもエンドウ豆より全国的に有名な白戸家を題材に授業を進める方が生徒も興味を持って真剣に向き合えるハズなのです。

 

 因みに、宮内庁HP(ハスピトゥー)が産婦人科に特化する理由として皇室並びに宮内庁が最も怖れる劣性遺伝を隠蔽する為に絶対不可欠な医療機関であり、まさか、その地階の倉庫には明治以来、ホルマリン漬けのおぞましい物体が複数個保管されているのでは無かろうかという疑念を持ち、在らぬ噂を立てる輩の出現こそ、皇室典範講究所をその前身に持つ渋谷の某學院大學OBの筆者が最も懸念するところであります。