ブログネタ:成人の日、新成人に一言
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成人の日が1月の第二月曜日になってから久しく経ちます。
これって早いと1月8日に来てしまう。遅いと1月14日。なんかしっくり来ません。
イメージ的には1月15日が成人の日と定着してます。
成人式翌日はニュースでその模様が放送されます。ヤンチャナ子達が取り上げられます。
それらの子は1部だと。その1部で最近の若者はと論じるのもどうかと思います。
1人1人は良い子なのだけど、集団になると羽目を外してしまう。これはこれで仕方ないと思います。
バカな事をやる。そのやった事に対して責任が取れれば問題ないかと。
とうの昔に成人式を迎えたオジサンは見守りたいと思います。
私の地域では中学2年生の時に「立志式」というものをやりました。14歳というと昔でいう所の元服にあたります。学校で行われたか、自治体の公民館みたいな所でやったかは思い出せませんが、偉い人数人の祝辞がありました。その決意みたいなものを作文に書かされました。大人になるなんて自覚はありません。
クラスのB作君が「昔は14歳で戦にも出たし、結婚もして大変だったな」と言いました。そして、突然「そうかわかったぞ。」と叫びました。「何が分かったんだ。」と聞くと、B作君は「昔の有名武将は若い頃に年上の嫁さんを貰っている。堂々と大人の女性と出来るんだからね。」と静かに語りました。B作君の言う出来るとは何を意味しているのでしょうか。
さてさて本題に入ります。
何かをやろうと決意したとします。ただそれにはリスクが伴う。失敗したらどうしようと考える。
なかなか行動が起こせない。で迷う。
「やらないでやっとけば良かった」
「やるんじゃなかった」
この二つの後悔があるのなら、前者は選びなさい。と言いたい。
時には深いダメージを負うかもしれない。それでも、時間はかかっても立ち直れるのも若さの特権だから。歳をとるとその時間すら無くなってしまう。
若い時はそんな風に考えていたけど、歳を取って立場が変わると少し変わってくる。
子供が出来て親になる。大切な人が出来る。子供が、大切な人が、何かをやろうとする。
その時に苦労する後悔すると分かっているなら、、「やめろ。」と必死で止める。
それは「大人は若者(子供)を分かってくれない。」とは違う。これは戻る事のない若さを代償にして分かる事なのかも。