逞しきヒガンバナ
先日、イワギボウシの状況を見たいと思って一ツ瀬川の上流に出かけました。
すると、同じ岩場にヒガンバナが咲いているではありませんか!
岩場で土はほとんどありません。わずかな隙間にイワギボウシ、カヤ、ススキ、ノイバラがやっとへばりついているような場所です。ヒガンバナの逞しさを感じました。
実は、ここの上流の約20kmぐらに西米良村という村があるのです。
そこから、大水の際に流されて、ここの岩場に引っかかったのに違いありません。
ここの川は岩が浸食されて道路から水面までの距離は高い場所では10m以上のところもあります。
右の写真を見ると、さほど高くは感じませんが、実際に岩場に降りてみると足がすくむ高さです(この場所で水面までの高さは7~8m)。この対岸のやや平たくなった場所にこのヒガンバナは咲いていました。
ですから、かなりの大水が出たことになりますね。
この場所は、イワギボウシの観察のために何度か来ているのですが、時期が違うためにまったくヒガンバナの存在には気がつきませんでした。
よく観察すると、対岸や川の中に島になったようなところもあるのですが、そこにも点々と咲いています。
大群落を作れるような場所ではありませんが、様子を見ると昔からあったのではなく、ここ数年(10年ぐらい?)でこの場所に流れ着いたように感じました。
イワギボウシは、今が開花の時期。多くの株が花をつけていました。
この流域には西米良村にかけて多く自生していますが、谷が深いため降りられる場所はここぐらいしかありません。
葉には波打ったもの、細いものなどの変異がありますが、花は薄い紫のものばかりです。
そして、今回一番の圧巻だったのは、ここから少し上流に行った対岸(かなり離れています!)の民家でした。
そこは、急斜面な山の中ほどに一軒ある民家で、その前には小さな田んぼがありました。田圃には稲が実っています。
その民家と田圃を取り囲むように真っ赤なヒガンバナが咲き乱れているではありませんか!
そして、その田圃の畔道から深い谷に向けて、まるで血のほとばしりのように赤い花が流れ出している!
そして今度は田んぼの奥の山の斜面、こちらは焼き畑の炎のように赤い花が這い上っているのです。
深い緑の山の中で、そこだけが命の炎をめらめらと燃え上がらせているように見えました。
でも残念なことに、それが見えるこちらの場所が工事中!交互通行で止まることができず、写真も写せませんでした
!残念!無念!皆さんに是非ともお見せしたい風景でした。
日本のヒガンバナは中国大陸の揚子江付近のものが伝わったといわれています。
それには「自然分布説」と「人為分布説」があるとのことですが、この風景を見た後では絶対に「人為分布説」だと直観しました。
なぜ、ヒガンバナがこうも人を惹きつけるのか?
それは、「血」、「火」の花の色、つまり「命」を連想させる花の色だからだと思います。その「命」を携えて、「火」を点しながら古代人は日本に渡って来た・・・、そんな気がして仕方がないのです。
‘ドリ-ムワンダー’、再び
作出者の平塚弘子さんから‘ドリ-ムワンダー’の写真をいただきましたので、ご紹介します。
私の写真よりずっと素晴らしい写真です!
花型には「狂い」、「乱れ」という日本の伝統文化が見えると言いましたが、色もいいですね。
このブロッチの擦れた部分(ケロイド)の部分、私は金色、銀色にも見えます。
まさしく日本の色です。
一番上の花の色、藍の色ですね。
これらの色は日本人にしか理解し得ない色だと思います。
「侘び」、「さび」さえも感じます。
そばちょこに1輪、わらかけに水を溜めて1輪、床の間に飾っても違和感が全くありません。
骨董の化粧鉢に植えて金屏風の前に、遜色がないですね。
すでに‘ドリームワンダー’という品種名がありますが、こうなると日本語の品種名を付けたくなりますよ。
「利休」、「光琳」、「宗達」という名前はどうでしょうか?
歴史上の人物を名付けると名前負けすることがほとんどですが、これらの花々は名前負けはしませんよ。
さて、日本の伝統園芸植物の仲間入りをしたパンジーですが、問題はこれからです。
せっかくそうなったのだから、これをもっと発展させなければ意味がありません。
そこで、あなたの参戦をお持ちしています。
「いやー、いい仕事してますねぇ」
なんでも鑑定団の中島誠之助さんの気分で、書かせていただきました。