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妊娠から死産までのざっとした経緯はこちら
ラミナリアの痛みを最大限排除した方法はこちら
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春頃だったか夏頃からだったか、再びカウンセリングを受けています。
死産後のショックによるカウンセリングではありません。
精神的にも肉体的にも追い込まれる状況に陥りそうで、当時の医師が今のうちからカウンセリングを、と判断したような気がします。
あれから何ヶ月たったんでしょうか。
前回のカウンセリングで、初めてぱんぽこの話をしました。
カウンセラーに
「もう出会って随分長い時間が経ちますが、初めて娘さんの話しをされましたね。」
と言われて初めて、ぱんぽこの話をこのカウンセリングでは話したことがなかったことに気がつきました。
なんていっぱいいっぱいな日々が続いていたんだろう。
私は最近ぱんぽこに対して若干の罪悪感があります。
自分のことが手一杯で、構ってあげられていないから。
去年は夫と遠出をするたびにお土産を買ってあげ、クリスマスなどのイベントの度に準備をしてあげていました。
それなのに2年目の現在は去年のようにはしてあげられていません。
それが大変申し訳なく感じるのです。
お空の上で寂しい思いをしているんじゃないか?と思えてしまうのです。
でもそれを確かめる手段が私にはないことが、またとても悲しいのです。
確かめる手段がないなら、一方的にでも何かをしてあげたら、もしかしたら何かの役に立っているかもしれないのに。
それなのに、確かめる手段がないことをいいことに、私は手を抜いているのでは?と自分が情けなくなるんです。
カウンセリング中に、堰を切ったかのように泣き出してしまいました。
涙が全く止まらず、言葉も出ない。
これを書いている今も涙が止まりません。
「死ぬ」ってそういうことです。
何を考えているのか、何を感じているのか、それとももう忘れ去っているのか、生きている人には死んだ人の現在がわからないんです。
現在だってないのかもしれない。
想像をするしかないんです。
その想像も自分の気持ちを楽にするような「お空の上は楽しいところ」といった想像の時もあれば、やはり実際はわからないので、どんな状況でも困らないように毎日祈って思って役に立たなくても何かしてあげようと思うこともあるのです。
カウンセリング時間の半分くらいを泣いてしまいました。
こんなに人前で泣いたのはいつぶりだろう?
溜め込んでいたんだな、他に大変なことがあるからと奥の方の引き出しにこの感情をしまっていたんだな、と思いました。
泣いてすっきりしたということは全くありませんが、ここずっとぱんぽこのために泣く余裕がなかったことに気がつきました。
死んだ後の世界がどんな所かはわかりません。
そもそもそんな世界があるのかどうかもわかりません。
生まれ変わりがあるのかないのかもわかりません。
確かなことは何1つないようにも思います。
それでも願わずにはいられません。
お空の上が今日も楽しいところでありますように。
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このブログは、可愛いぱんぽこの思い出と、自分の心の整理と、情報が少ない死産後のことが少しでもお役に立てばと思って更新しています。
私はまだ精神状態が不安定で、人に気が使える状態ではありません。
このブログは、死産・流産・不妊などで悩んでいる方が多く読んでくださっているかと思います。
不快な表現があったら大変申し訳ありません。
読んでくださっている全ての皆様に、穏やかな明日がくることを願っています。