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さて、今日は可愛いぱんぽこの月誕生日です。
1歳と1ヶ月になった日。
1周忌を終えてから初めての月命日はすっかり忘れていましたが、今日は大丈夫。
(※命日が子宮内胎児死亡発覚の日、誕生日が出産の日)
お祈りのフルコーラスをしてあげよう。
何年も前に配偶者を亡くした友人がいます。
何度かこのブログにも何度か出てきています。
配偶者が生きた人生とともに今がある生き方をしているので、現在の恋人との間でも自然と亡くなった配偶者の話しが出てきます。
そういう時に、肉体はなくなってもその配偶者の存在はなくならずに、こうして新しい恋人や私たち友人の中に存在していくのかなと感じたことがあります。
そんな友人も亡くなった配偶者の命日や月命日を忘れることがあるそうです。
逆に言うと、命日や月命日を覚えていて何らかのことをしているということ。
そのことがなぜだかちょっとだけ意外に感じました。
自分と重ねたからだろうか?
私たち夫婦が例えば15年後に、今のようにお祈りをしているだろうか?
よくわかりません。
そもそも私は仏壇のない核家族の家で育ちました。
だから家で宗教的行事をして育っていないので馴染みがないというか、宗教的行事や習慣が自分の中で新しい文化のように感じることがあるんです。
だから何年か先の自分がこうしてお祈りをしているのかどうか想像がつかないのかもしれません。
普通だったら命日と月命日に、お仏壇や祭壇に何かを飾ったりお経やお祈りをするものなのかな?
うちの場合は、命日と誕生日が別なので月に2回特別な日があることになります。
将来的にはどちらか月に1日だけが特別な日になって、年に2回命日と誕生日はしっかりとやるような形になるんだろうか。
そんなことを考えた1年と1ヶ月でした。
おめでとう、ぱんぽこ。
ありがとう、ぱんぽこ。
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