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妊娠から死産までのざっとした経緯はこちら
ラミナリアの痛みを最大限排除した方法はこちら
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ぱんぽこがお世話になったカトリックの教会で、一周忌の追悼ミサをしていただきました。
ミサをしてくださったのは、ぱんぽこのお葬式や火葬場にもついてきてくださったいつもの神父さんです。
ぱんぽこも連れて行きました。
ぱんぽこにとったら一年ぶりの教会です。
教会の敷地では今年も遅咲きの桜が咲いていました。
去年、火葬の後に花びらを拾ってそっと骨壷カバーの中に入れたあの桜です。
教会の敷地のどこかで、うぐいすが鳴いていました。
「ホーホケ、ホーホケ、ホケ、キョ」
といったまだまだ鳴き方が下手くそなうぐいすで、さえずりの練習が始まったばかりのようです。
この時期なら山にいるうぐいすはもっと上手にさえずっているから、このうぐいすは都会のうぐいすなんだろうなと思いました。
そんなうぐいすのさえずりの練習をBGMに、一周忌のミサが広い聖堂で始まりました。
骨壷は神様に近いところにちょこんと置かれました。
私たちが座った最前列の席から距離にして数メートル。
この距離がとてつもなく遠くに感じました。
それが何だかとても悲しく感じました。
ミサでは聖書の文言を読んで、それを神父さんが噛み砕いてよりわかりやすく教えて下さりました。
時として神様は、歳をとった賢い大人ではなく、小さな幼子を選んで連れて行くというような話もありました。
神様のもとに行った人たちは、痛み、苦しみ、労苦がないともありました。
神様の元は、永遠の楽園なんだろうなと思いました。
また、遺族を励ます祈りの言葉もありました。
40分のミサでしたが、私はその半分の時間をボロボロと涙をこぼして泣きながら祈りました。
あっという間に感じたミサが終わった後、別の部屋に移動して神父さんと少しお話をしました。
「この1年、どうでしたか?」
と聞かれ、
「とても長く感じましたが、振り返るとあっという間でした。」
と答えた後、私は言葉に詰まり、夫が続けて答えてくれました。
神父さんに色んな言葉をいただき、最後に
「元気を出してくださいね。」
と励まされました。
なんでこんなに涙が出るんだろうな。
時間は自然に解決してくれるものではない。
自分であがいて、苦しんで、悩んで、模索して、感じて、自ら道を見つけないときっと癒やしはないんだと思う。
そして私はまだようやく階段をのぼっていることに気がついた段階で、どこかにたどり着くにはもう少し色んなことを感じてゆっくり過ごす必要があるんだろうと思います。
正直、お空の上のことは見えないので本当のところはわかりません。
でも、痛み、苦しみ、労苦、こういったことから解放されているのだけはきっと確かなんだと信じています。
夜、夫と一周忌のミサを振り返ったところから、宗教全般の話になりました。
「人は身近な人の死に直面すると、宗教を身近なものに感じるかもしれない。
カウンセリングも勿論いい。
だけど歴史的な長さからするとカウンセリングよりも宗教の方が説得力がある場合がある。
カウンセリングは宗教に比べると歴史が浅くて、まだ良し悪しがカウンセラーによって左右される場合や曖昧なことがあるから。
そう考えると、お坊さんや神父さんの話しを聞く方が納得できたり癒やされたりすることがあると思う。」
というようなことを夫が言っていました。
これには納得。
そう、カウンセラーもいい。
実際に死産直後に臨床心理士に寄るカウンセリング、そして死産後半年以上経ってから受けたグリーフケアカウンセリングでは、1年後~5年後単位での行くべき道標をつけてもらったように実感しています。
たまたま私とカウンセラーとの相性が良かったというのもあったと思います。
でも神父さんやお坊さんが仰る言葉の重みというのは、カウンセラーとはまた別角度からの話なので、相性云々ではないように思います。
神父さんの言葉に励まされたり導かれたりすることはあったし、今もあると感じています。
話しの目線が足下ではなくて、もっともっと先のこと、例えば生涯を通じてや更に亡くなった後のことを見据えての目線でもあるから、「死の先」になんとか希望を見出すことが出来るのかな?
大きな安心感をもらえるのかな?
そんなことを感じた一周忌のミサでした。
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いつもブログを読んで下さりありがとうございます。
いいねやコメント、また読んでくださるだけで励みになっています。
このブログは、可愛いぱんぽこの思い出と、自分の心の整理と、情報が少ない死産後のことが少しでもお役に立てばと思って更新しています。
私はまだ精神状態が不安定で、人に気が使える状態ではありません。
このブログは、死産・流産・不妊などで悩んでいる方が多く読んでくださっているかと思います。
不快な表現があったら大変申し訳ありません。
読んでくださっている全ての皆様に、穏やかな明日がくることを願っています。
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去年、火葬の後に花びらを拾ってそっと骨壷カバーの中に入れたあの桜です。
教会の敷地のどこかで、うぐいすが鳴いていました。
「ホーホケ、ホーホケ、ホケ、キョ」
といったまだまだ鳴き方が下手くそなうぐいすで、さえずりの練習が始まったばかりのようです。
この時期なら山にいるうぐいすはもっと上手にさえずっているから、このうぐいすは都会のうぐいすなんだろうなと思いました。
そんなうぐいすのさえずりの練習をBGMに、一周忌のミサが広い聖堂で始まりました。
骨壷は神様に近いところにちょこんと置かれました。
私たちが座った最前列の席から距離にして数メートル。
この距離がとてつもなく遠くに感じました。
それが何だかとても悲しく感じました。
ミサでは聖書の文言を読んで、それを神父さんが噛み砕いてよりわかりやすく教えて下さりました。
時として神様は、歳をとった賢い大人ではなく、小さな幼子を選んで連れて行くというような話もありました。
神様のもとに行った人たちは、痛み、苦しみ、労苦がないともありました。
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また、遺族を励ます祈りの言葉もありました。
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と聞かれ、
「とても長く感じましたが、振り返るとあっという間でした。」
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「元気を出してくださいね。」
と励まされました。
なんでこんなに涙が出るんだろうな。
時間は自然に解決してくれるものではない。
自分であがいて、苦しんで、悩んで、模索して、感じて、自ら道を見つけないときっと癒やしはないんだと思う。
そして私はまだようやく階段をのぼっていることに気がついた段階で、どこかにたどり着くにはもう少し色んなことを感じてゆっくり過ごす必要があるんだろうと思います。
正直、お空の上のことは見えないので本当のところはわかりません。
でも、痛み、苦しみ、労苦、こういったことから解放されているのだけはきっと確かなんだと信じています。
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カウンセリングも勿論いい。
だけど歴史的な長さからするとカウンセリングよりも宗教の方が説得力がある場合がある。
カウンセリングは宗教に比べると歴史が浅くて、まだ良し悪しがカウンセラーによって左右される場合や曖昧なことがあるから。
そう考えると、お坊さんや神父さんの話しを聞く方が納得できたり癒やされたりすることがあると思う。」
というようなことを夫が言っていました。
これには納得。
そう、カウンセラーもいい。
実際に死産直後に臨床心理士に寄るカウンセリング、そして死産後半年以上経ってから受けたグリーフケアカウンセリングでは、1年後~5年後単位での行くべき道標をつけてもらったように実感しています。
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でも神父さんやお坊さんが仰る言葉の重みというのは、カウンセラーとはまた別角度からの話なので、相性云々ではないように思います。
神父さんの言葉に励まされたり導かれたりすることはあったし、今もあると感じています。
話しの目線が足下ではなくて、もっともっと先のこと、例えば生涯を通じてや更に亡くなった後のことを見据えての目線でもあるから、「死の先」になんとか希望を見出すことが出来るのかな?
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