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妊娠から死産までのざっとした経緯はこちら


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可愛いぱんぽこを出産してから1ヶ月と17日。


何度か書いていますが、隣の家に赤ちゃんがいます。


それもよりによって私が死産した後にやってきた赤ちゃんのようです。




私は妊娠前まで特別に赤ちゃんや子どもを可愛いと思いませんでした。

だからといって嫌いだとか、鬱陶しいとかそういう風に思ったことはありません。

友人の子どもを見て「可愛い」と思うのは、友人の子どもだからかな?とも思っていました。

みんなのように、「子どもって可愛い!大好き!」と思えるようになりたい!とは思うものの、赤ちゃんだって子どもだってお年寄りだってみんな同じ人間なんだし……という思いがありました。


今思うと母性本能というものが少ない方だったのでしょうね。

私の周りにも子どもがいる友人は少なく、結婚よりも働いている人が多かったのもあるかもしれません。


それでも妊娠したい!赤ちゃんがほしい!夫との子どもがほしい!と思っていました。


ところが、妊娠してからだんだんと街ですれ違う赤ちゃんや雑誌で見る赤ちゃんがとても可愛く思えるようになったのです。

私も夏にはこんな赤ちゃんが生まれるんだと、まだ見ぬ赤ちゃんの顔をよく想像したものです。

そして私の赤ちゃんは、何の問題もなく順調に育っていたのに、臍帯過捻転というそうそう死亡には至らない事故によってお腹の中で亡くなってしまいました。


このことに関しては、納得できず今でも悔しい気持ちと、どこか認めることの出来ない気持ちでいっぱいです。


それでも可愛い娘の顔を見ることが出来ました。

いつも私を蹴っていたやんちゃな可愛いあんよ、可愛いおてて。

可愛い可愛いお顔。

全てが愛おしくて仕方ありあせん。



ぱんぽこを産んで顔を見たあの日から、妊娠中よりも一段と赤ちゃんを可愛いと思うようになりました。

母性本能が一気に出てきたかのようです。

皮肉なものですね。

私の赤ちゃんはいないというのに。


出産直後は、視界に赤ちゃんとお母さんの姿が入ると泣いていました。

それも目に入ったから泣く!のではなく、その時は理由もわからず泣くのです。

同じような状況が何度か繰り返され、後になってお母さんと赤ちゃんが一緒にいるところを見たくなかったんだということに気が付きました。




私の隣の家にやってきた赤ちゃん。

一時的な里帰りでやってきたのか、それとも隣の家にこれからずっと住むのかはわかりません。

最初は赤ちゃんの泣き声を聞いて「可愛い」と思っていました。

今も新生児のあの泣き声は、可愛いと思います。


でも、毎日毎日聞こえる泣き声。

しかもまだテレビや音楽を聞くことが出来ないので静かな部屋に響くあの泣き声。

窓を閉めても聞こえる泣き声。



辛いものがあります。



隣の家に私の死産は知らせていませんし、隣の家には関係のないことです。

地域に赤ちゃんが生まれるのは喜ばしいことです。

赤ちゃんが泣くのは当たり前です。

泣き声だって可愛いと思う。



だけど、辛いな。



私のもとにも早くぱんぽこが戻ってきてほしい。

ぱんぽこの魂がもう一度宿って、元気に産んであげて、育てて、またぱんぽこが子どもを産んで育てていく……そういうところを見たい。

沢山一緒に過ごしたいな。


私のところにも早く赤ちゃんが来てほしいな。

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