平等とは…?
何人もの人と相対した時。その中には老若男女、障がい者、外国人、マイノリティ…
表向きは平等に優劣無く対応はできるフリ、心のなかは不平等なのかもしれない。
平等が理想と言いたいが、実際は腹黒な自分をどう諌めればよいのか…葛藤している。
同じダウン症のママさんに声をかけられ嬉しい出会いがあった。そのママさんのお嬢さんは重度のダウン症だった。心臓も腸も奇形があり、何度も手術をされた。でも二十歳を越えており、言葉が話せず、コミュニケーションも手話のような形でとる。すぐにアチコチ行ってしまい、二十歳を超えてもまだ下の世話はママさんがやっている。
私が今まであった数少ないダウン症の方なかで「大変」と思ってしまった。
まるで、私が出生前診断の結果直後に想像したダウン症に近い子ではないか!
そこから無意識に我が子との比較が自動的に脳内で始まる。
「ウチの子は、きっと軽度ではないか?良かった。重度の子と比較して、まだウチの子は大丈夫だ。」そう思ってしまった。
同じダウン症の子を持つ母同士。ダウン症の子をかわいいという気持ちは同じ。なのに、そこに優劣の気持ちが湧くなんてひどい!!
私はまだダウン症の子の母となって浅い。だからこんな気持ちになるのか。
きっと慣れてきたら、重度の子も軽度の子も可愛いって(かわいそうでは無く)平等に思えるかな。
いや、とにかく同じダウン症の子でも、こんなに一人一人障がいの度合いが違うのだと目の当たりにした。
ウチの息子と同じ月齢のお友達は、酸素濃度が減り心臓の根治術まで、酸素を投入して在宅医療となってしまった。
テレビでは肛門閉鎖+先天性心疾患で7ヶ月間入院した子を見た。現在3歳だけど絶賛ハイハイ中だった。そしてやっと立った!!
ダウン症と言っても、1人1人症状の度合いが違うのだと改めて思った。1人1人の違いの差を知っただけにショックは大きい。
まだまだ日々勉強です。
7/8追記
もし、これがダウン症の我が子と、健常児で生まれた子だったら。
私が日々お会いしてる健常児のママさんやパパさんに「ウチはダウンちゃんで…」なんて話た日には、きっと彼らも「ウチの子はダウン症じゃなくて良かった。」と思うはず!
そして私の子は「かわいそうに」なんて思われてそう。
そういえば去年の出生前診断でもそうだ。
「陰性で良かった」と書いてあるブログを見る度に嫉妬していた。
人間はどうしても比較してしまう生き物なのかもね。
そして、比較して下に見ていたものの当事者に急になることだっであるはず。
健常児で生まれたけど、中途障害者になることだってあるし。
ウチだって、軽度のダウン症かな?って思っていてこの先重度でした〜ってこともあるかもしれないし、心臓の根治術の術後が順調にいかないことだってあるかもしれない。
明日は我が身。そう思っていたら、世の中平等なフィルターを通して世の中を見れそうです。