チョコレートの規格

日本では、1971年昭和 46年)3月、不当景品及び不当表示防止法 第10条第1項の規定に基づき、公正取引委員会 の認定を受けた「チョコレート類の表示に関する公正競争規約」によって規格が定められている。

カカオ成分

原料となるカカオ 自体は苦く、日本では砂糖 で甘くしたものが普通であったが、カカオに含まれるポリフェノール が注目されるようになり、2000年代に入ってカカオ比率の高い商品が各種発売されるようになった(日本国外製ではリンツ ・チョコレートの「エクセレンス」、日本国産では明治製菓「チョコレート効果」(カカオ分86%)が代表的)。しかしその味は当然ながらカカオそのものの苦味が非常にきつく(コーヒー豆 ペーストを食べている感覚に近い)、従来のチョコレートの風味を期待すると酷い目に遭う。特にカカオ99%を使ったチョコの包装紙には但し書きが付くほどである。

なお、ホワイトチョコレート にはほとんどポリフェノール は含まれていないので、健康のためチョコレートを摂るのであればできるだけカカオ分が高いものにしたほうがよい。

カカオ分の表記のない製品でも、下記#チョコレートの規格 である程度の判別は付く。「準チョコレート」となっているものはカカオ分がかなり低くなっている。特に駄菓子 のチョコレートは多くが「準チョコレート」規格である。

チョコレート生地

純チョコレート生地
カカオ分35%以上・ココアバター18%以上。糖分蔗糖 に限る)55%以下・レシチン 0.5%以下・レシチンとバニラ香料 以外の食品添加物 無添加で、ココアバター・乳脂肪分以外の脂肪 分を使用していないこと。水分3%以下であること。
純ミルクチョコレート生地
カカオ分21%以上・ココアバター18%以上。乳固形分14%以上・乳脂肪分3.5%以上。糖分(蔗糖に限る)55%以下・レシチン0.5%以下・レシチンとバニラ系香料以外の食品添加物無添加で、ココアバター・乳脂肪分以外の脂肪分を使用していないこと。水分3%以下であること。
チョコレート生地
カカオ分35%以上・ココアバター18%以上で、水分3%以下であること。
チョコレート生地(カカオ分の代わりに乳製品を使用したタイプ)
カカオ分21%以上・ココアバター18%以上。乳固形分とカカオ分の合計が35%以上・乳脂肪分3%以上で、水分3%以下であること。
ミルクチョコレート生地
カカオ分21%以上・ココアバター18%以上。乳固形分14%以上・乳脂肪分3%以上で、水分3%以下であること。
準チョコレート生地
カカオ分15%以上・ココアバター3%以上。脂肪分18%以上で、水分3%以下であること。
準ミルクチョコレート生地
カカオ分7%以上・ココアバター3%以上。脂肪分18%以上で、乳固形分12.5%以上・乳脂肪分2%以上。水分3%以下であること。

チョコレート製品

上記「ミルクチョコレート」「準ミルクチョコレート」の種類別名称は、それぞれ「チョコレート」「準チョコレート」として扱われる。

チョコレート
チョコレート生地そのものか、チョコレート生地が60%以上のチョコレート加工品。チョコレート加工品とは、チョコレート生地を全重量の40%以上使用したもの
チョコレート加工品のうち、クリームを全重量の10%以上含み、水分10%以上である製品は、「生チョコレート 」を称することができる。
チョコレート菓子
チョコレート生地が60%未満のチョコレート加工品
準チョコレート
「準」は正しくは準に○囲み。準チョコレート生地そのものか、準チョコレート生地が60%以上の準チョコレート加工品
準チョコレート菓子
準チョコレート生地が60%未満の準チョコレート加工品

チョコレートの日

バレンタインデーにチョコレートを贈る風習は、19世紀のイギリス のチョコレート会社キャドバリー社 によって始められた。

日本チョコレート・ココア協会が、日本でバレンタインデー にチョコレートを贈るようになったことをきっかけに「チョコレートの日」として記念日を制定し、1970年代に定着した。

また、バレンタインデー に、女性から男性にチョコレートを渡すという習慣は日本独自のものであるといわれるが、英語版ウィキペディアの(en:chocolate )の項にバレンタインデーへのリンクがあることからも分かるように、チョコレートを贈ること自体は特に日本だけの風習ではない。ただし、欧米ではバレンタインデーに男性から女性に贈り物をするのが普通であり、必ず女性から男性へチョコレートが贈られる日本の習慣は欧米とは逆となっている。 ちなみに男性が女性に渡す日(お返し)はホワイトデー であるが、この習慣は世界的にはバレンタインデーほど普及していない。

主な製造企業

国内メーカー

海外メーカー

業務用

チョコレートcioccolato猪口冷糖古聿(最初の一文字は木偏に‘査’という字))とは、脱脂して粉末状にしたカカオ を原料にして溶かして型に入れ、固めたものである。

イギリス人が固形のチョコレートを考案するまでは、チョコレートといえば飲み物を意味した。日本語では、昔は液体のものをホット・チョコレート と呼び区別したが、ココア と呼ぶことも多い。しかし近年またホットチョコレートの呼び名が増えている。これは、英語圏で「ホットチョコレート」と呼ばれることが多いからであろう(マクドナルド でも「ホットチョコレート」と称している)。他の言語では、飲み物のチョコレートと固形のチョコレートを区別しないものもある(フランス語ショコラ スペイン語チョコラーテなど)。


チョコレート

概説

固形チョコレートは一般的に、熱に弱く溶けやすい。溶けたり、長期間保存したものには白い色がつく。この部分はファット・ブルーム(fat bloom)、あるいは単にブルームという。ブルームが生じたものを食べても問題はないが、風味や味は落ちる。これは、カカオに含まれる油脂 成分が浮いて表面に出てきたものである。

質量あたりの熱量が大きく携行が容易であることから、固形チョコレートは軍隊レーション に同封されたり、登山 などの際の非常食 として携帯される。カロリーの面だけでなく、非常の際に甘味が心身の安らぎをもたらすという意味合いも大きい。

チョコレートを食べるとニキビ ができるという噂があり、経験としてチョコレートを食べるとニキビができやすいと訴える者も多いが、科学的根拠は現在のところないとされている。脂肪分が多いこと、カフェインチラミン などを含む刺激物であるからという安易な発想である可能性がある。また、チョコレートを食べすぎると鼻血 が出るという迷信 があるが、これにも医学的な根拠は無い。

など人間以外のほとんどの動物はチョコレートを食べると中毒を起こす。これは、チョコレートやココアなどに含まれるテオブロミン を代謝できないことが原因で、死に至ることもある。

コーヒーと同じく、チョコレートも産地により、苦味、酸味、コクなどのバランスが異なる。最も産出量が多いアフリカ産のチョコレートは比較的苦味が強いためミルクチョコレートに向いており、中南米産のチョコレートはブラックチョコレートに向いているといわれる。

歴史

紀元前2000年
紀元前2000年ごろから、中央アメリカ 及びメキシコ 南部ではカカオが栽培されていた。15世紀 までには、カカオはその土地では貨幣 として流通したほど重要視された。当時の中央アメリカでは、カカオは粉にしてトウモロコシ の粉や唐辛子 などを入れ、水や湯に溶かして飲まれていた。主に嗜好品として、また、薬用、強壮目的で飲まれた。
16世紀 -(アメリカ大陸の発見)
クリストファー・コロンブス が中央アメリカ島部に到達すると、それを通じ、スペイン にカカオがもたらされた。コロンブスの息子によれば、最初にチョコレート(カカオの実)を見たヨーロッパ人はコロンブスで、1502年 のコロンブス最後の航海のときであった。ただし、飲んだという記述はない。ヨーロッパ人との接触当初、中央アメリカ人たちはココアのことをカカワトルと呼んだ。1579年 までに、彼らは同じものをショコラテと呼ぶようになり、これがチョコレートの語源とされるが、何故カカワトルがショコラテになったのかは不明であり、従って語源も不明である。
苦い飲料だったチョコレートに砂糖を加える発明は、16世紀 にメキシコに渡った宣教師によって考案された。
中世ヨーロッパ
16世紀に入り中央アメリカがスペインに征服されると、カカオが手に入りやすくなり、スペイン一般庶民もチョコレートドリンクを飲むようになった。
チョコレートは当初、ヨーロッパではスペインのみで普及した。しかし、フランスルイ13世 がスペイン王女アンヌ・ドートリッシュ (スペイン名アナ)と結婚したとき、チョコレートを好むアンヌが嫁入りのときも持参したので、フランスにチョコレートがもたらされることになった。次のルイ14世1661年 、チョコレート好きのスペイン王女マリー・テレーズ (マリア・テレサ)と結婚し、フランスでは上流階級からチョコレートが広まった。マリアはまた、チョコレート道具一式と、チョコレート専門のコック(後にいうショコラティエ )を連れて嫁入りした。イギリスでは1657年 に、チョコレートショップと呼ばれるチョコレートを飲ませる店が開店した。
近代ヨーロッパ
1828年オランダバンホーテン がチョコレートを粉末にする特許を取得。これは同時に、カカオからカカオバターを効率的に取る方法でもあった。それまでのチョコレートは濃密で、水なしでは飲めないものだったが、これにより口当たりがよくなり普及が進んだ。
1847年イギリス のフライ社が食べるチョコレートを発売。これが最初の固形チョコレートとされる。しかしこれはまだ苦いもので、万人に普及するにはもう少し工夫が必要であった。
1876年スイス のロウソク職人ダニエル・ピーターがミルクチョコレート(スウィートチョコレートに粉乳を加えたもの)を発明した。

この後、ざらざらした食感をなめらかにする工夫がされ、現在の固形チョコレートの原型が作られた。

日本での歴史

日本のチョコレートに関する記述は、18世紀長崎 の遊女がオランダ人から貰った物を記したリストの中に「しよくらあと」として登場するのが最初である。

戦前・戦中
日本のチョコレート製造は、1878年 に「米津凮月堂」が製造したのが最初である。ただしこれは、輸入した原料チョコレートを加工したものであった。米津凮月堂は、新聞に掲載された日本初のチョコレートの広告には貯古齢糖と漢字を当てていた。カカオ豆からの一貫生産は、1918年森永製菓 によって開始された。
戦争の影響により、日本では1940年 までにカカオの輸入は止まり、百合根(ユリ鱗茎 )などの脂肪分を利用した代用チョコレートが考案された。
戦後・現在
1945年 、日本が太平洋戦争 に敗れると、アメリカの進駐軍 を通じて大量のチョコレート が日本にもたらされた。"Give Me Chocolate!" は戦後の日本人がすぐに覚えた数少ない英語表現の1つである。
戦後の日本では、安価なものから高価なものまでさまざまなチョコレート菓子が販売されるようになった。1980年代 から1990年代 にかけてはトリュフ などの小粒な形状をした高級チョコレートが一般的に出回るようになった。2000年代 に入るとさらに高級かつ洗練されたチョコレート菓子が流行した。
2004年 頃には東京都内にヨーロッパ各国の高級チョコレート店が多数出店し、中には1粒400円から1000円という超高級チョコレートを取り扱う店も現れた。

生殖

交尾しようとしているリンゴマイマイ(ブランデンブルク州・6月)
交尾しようとしているリンゴマイマイ(ブランデンブルク州 ・6月)

ヤマタニシ などの前鰓類 では雌雄異体 であるが、有肺類 では同一個体が卵子と精子を持つ雌雄同体 である。したがって自家受精 するものもあるが、一般には他の個体と相互に交尾することで受精し産卵する。交尾の際、精子精莢 (せいきょう)と呼ばれる入れ物ごと受け渡されるのが普通である。一般には生殖器を直接挿入しない動物が精子の入れ物として精莢を形成するが、カタツムリは直接交尾をするにもかかわらず精莢を作るため、その機能は精子運搬のためだけではなく、精子の栄養体ではないかと考えられている。精莢は雄部生殖器の一部を鋳型として形成されるため分類群によって違った形をしているが、概ね半透明で細長いのが一般的で、受け取った側の雌部生殖器内で分解される。卵は炭酸カルシウム の殻で覆われた球形のものが多いが、寒天質 のものや、ノミガイ科キセルガイ科 の一部のように卵胎生 で稚貝を直接生むものなどもある。産卵場所は地面の浅いところや朽木の下、木の根元の隙間などで、卵は頭部後方側面の生殖孔から一つずつ産み落とされ、一箇所にまとめられているのが普通である。多くは1週間から1ヶ月程度で孵化し、ミニチュアのカタツムリとして這い出てくる。

食べもの

ヒダリマキマイマイとその食痕。1個のしずく型が一舐めの痕。横一列に数回舐めると "一歩" 前進し、手前の列が終わった地点から再び横一列に舐め始めるため、食痕はS字状の連続となる。
ヒダリマキマイマイとその食痕。1個のしずく型が一舐めの痕。横一列に数回舐めると "一歩" 前進し、手前の列が終わった地点から再び横一列に舐め始めるため、食痕はS字状の連続となる。

ほとんどの種は植物性のものを食べ、生の植物や枯葉などの植物遺骸などを食べるほか、菌類 を餌とするものもある。また建物壁面やガードレールなどの人工物の表面に発生した藻類 も餌となり、その食痕 は日常的に見ることができる。農作物や園芸植物を食べるウスカワマイマイチャコウラナメクジ は害虫として駆除の対象ともなる。紙状のものであれば新聞紙チラシ なども食べてしまう(その場合フンも色鮮やかになったりする)。

しかし中には他のカタツムリを捕食する肉食性の種もあり、米国南部原産の肉食種ヤマヒタチオビアフリカマイマイ の駆除のためにハワイ小笠原諸島 、その他の太平洋諸島に人為的に移入された。しかしアフリカマイマイの駆除にはあまり役立たず、むしろこれらの島々の固有種を捕食して絶滅に一役買うこととなってしまった。このほか近年日本の一部に定着した地中海原産のオオクビキレガイ も農作物のほか陸貝を捕食すると言われており、ニュージーランドヌリツヤマイマイミミズ を捕食する大型種として知られる。

雨が降った後、ブロック 塀やコンクリート 壁にカタツムリが沢山現れる所を見る事があるが、これはコンクリートに含まれる塩分を摂食する為に集まっている現象である。

寿命

カタツムリの寿命は種によって大きく異なるはずだが、それほど詳しいことはわかってはいない。大型のマイマイ類では数年、小型の殻の薄い種類では1年程度かそれ以下と考えられており、ウスカワマイマイは普通1年で後者に属する。キセルガイ 科のものは長寿傾向にあり、野外で成貝として採取したナミコギセル を15年間飼育した例も知られている。この例では、飼育環境を不注意に乾燥させてしまったのが死因であるため、実際には更に長生きした可能性もあるという。

天敵

カタツムリを主食とする動物(天敵 )として、ホタル 類やオサムシ 類のマイマイカブリ が挙げられる。カタツムリを餌として襲う動物としては、樹上性のカタツムリでは、カラスやモズなどの鳥類に狙われる。地上性のカタツムリでは、ヤマネズミ類、イタチ、アナグマ、ツチブタ、タヌキ、イノシシ、トカゲ類、カエル類、等の動物に捕食される。温暖な地方では、コウガイビルや線虫類等も天敵となる。

人とのかかわり

食品・民間薬

フランス料理 として有名なエスカルゴ は専用のブドウ畑(高級品ならワイン用の品種のブドウを用いる)で寄生虫がつかないよう衛生的に養殖されたリンゴマイマイ科 (Helicidae)のカタツムリの一種であり、主にヨーロッパとヨーロッパ系人種が多いアメリカで食用にされ、養殖も盛んに行われている。フランス以外ではギリシャでも広く食用にされている。またフランス領のニューカレドニア などでは、現地に産するトウガタマイマイ科のPlacostylus属のものが大量に消費されてきた。缶詰などのエスカルゴにはアフリカマイマイ などを使ったものも多く、中国や台湾などでは白珠といわれる軟体部の白いアフリカマイマイの品種が多く養殖されている。アフリカマイマイ科とリンゴマイマイ科では足の溝の特徴が異なるため、缶詰の肉でも判別可能である。一般にはアフリカマイマイの肉の方がやや硬いとも言われるが、調理法や個人の嗜好にもよるため優劣を論ずることはできない。

日本でもカタツムリを食べる文化は古くからあり、子供がおやつに焼いて食べたほか、喉や喘息の薬になると信じられ、殻を割って生食することも昭和時代まで一部で行われていた(後述にもあるがカタツムリは寄生虫の宿主である事が多く、衛生的に養殖された物を除き生食する行為は危険である)。また殻ごと黒焼きにしたものも民間薬として使用され、2005年時点でも黒焼き専門店などで焼いたままのものや粉末にしたものなどが販売されている。普通のカタツムリではないが、福島県郡山地方 などでは、キセルガイ類を「カンニャボ」と呼び肝臓の薬としてエキスや粉末などを販売している。この原料となる貝を「ツメキセル貝」としている場合もあるが、標準和名としてのツメギセルは同地方には分布せず、実際に使用されているのはナミコギセルやヒカリギセルのようである。

薬とはやや異なるが、八重山諸島 に古くあった焼物 であるパナリ焼き は、土にカタツムリを混ぜて作られたと言われる。良質の粘土がなかったため、土をつなぐ役割を果たしたらしい。

信仰

カタツムリを信仰対象とするものは、前述の民間療法と関連したと見られるものが多く、東京都府中市大國魂神社 では、境内にある大イチョウ の根元に生息するキセルガイを煎じて飲めば母乳の出がよくなるという信仰があったという。イチョウは大木になると気根が垂れるため母乳信仰が生じたとも言われるが、そこにキセルガイが生息していたことで貝と母乳が関連付けられたのかも知れない。

埼玉県秩父地方 には子供の耳ダレに験があるとされる「だいろ神」というカタツムリ神があり、祠にはカタツムリの殻を奉納したと言われる(「だいろ」とはカタツムリのことで、地方によってはナメクジを指すこともある)。珍しい信仰で、カタツムリの粘液からの発想である可能性が高いが、詳しい由来は不明である。

直接民間療法とは関係しない例としては、九州地方やその周辺部のキセルガイ信仰がある。これは神社の大木の樹幹などに生息するシーボルトコギセルやギュリキギセルなどを信仰対象としている。これらの貝は乾燥や飢餓に比較的強く、殻内に入ったまま長期間(数ヶ月以上)生存するため、旅や出征に赴く際に神社の樹から採ってお守り として持ち歩き、無事帰還したときに再び神社の木に戻すなことなどが行われた。同様の信仰のある山口県下関市 の一の宮住吉神社では、シーボルトコギセルを象ったお守りも販売されている。さらに熊本県 などではキセルガイを「夜泣き貝」といって、子供の夜泣きにも効くとされ、夜泣きする子の枕下に貝を入れ、治ればもとの樹に戻すという信仰があったという。

その他

カタツムリは古くから子供たちに親しまれていて、多くの童歌 や囃し文句などがあるほか、多くの呼称がある。これらは柳田國男 の『蝸牛考』にも方言周圏論 の好例として多く採録され、でんでんむしなどその語源なども考察されている。同氏によれば「でんでん」は「出ろ、出ろ」と子供がカタツムリを指して呼ぶ言葉が訛ったものではないかと推測している。なお童謡の歌詞にある”ツノ出せヤリ出せ頭だせ”の”ヤリ”とは、交尾の際に出る生殖器や恋矢とする説もあるが、真偽のほどは不明である。

※種類にもよるがカタツムリやナメクジ、ヤマタニシやキセルガイなどの陸生貝およびタニシ類などの淡水生の巻貝は広東住血線虫 (広東住血線虫) などの寄生虫を持っている事がままあり、触れた後にしっかり石鹸や洗剤で手や触れた部分を洗わなければ、直接および間接的に口・眼・鼻・陰部などの各粘膜および傷口から感染する恐れがある。また、体内に上記の寄生虫を迷入・感染すると、眼球や脳などの主要器官が迷入先である場合が多いので、死亡または重い障害が残るまでに至る可能性が大きい。


かたつむり(唱歌)

作詞作曲不詳、「尋常小学唱歌 」(1911年 (明治44年)発表)

でんでん虫々 かたつむり、
お前のあたまは どこにある。
角だせ槍(やり)だせ あたまだせ。
でんでん虫々 かたつむり、
お前のめだまは どこにある。
角だせ槍だせ めだま出せ。