リウマチ医療講演会。
研究者でもある高名な医師の講演、最新の情報。
薬物療法の進歩という題目で、わかりやすく、ユーモアも交えながらの、楽しい講演だった。
ネットから、本からの情報で、知識は得ていたから、内容的には知っていることばかりだったけれど、生きた声で聞かされる情報というのは、新鮮だった。
自分も、頑張れば痛みが無くなるはずだと
自分も、寛解達成できるはずだと、思えた。
しぼんでいた気持ちが少し膨らんだ。
胸が熱くなった。



そして、同じく聴講していた60歳代のリウマチ患者さんと話をすることが出来た。
「どこの病院いってるの?」
「へえ、あのH先生ってリウマチ医なの?」
「M医院のほうがいいって思うよ」
その方は、とても熱心に何度も何度もМ医院を勧めた。



転医。
頭をよぎる。
心の奥で漠然と考えていた。
最初にリウマチ診断をしてくれた整形外科に約1年。
転医して今のH整形外科にも約1年。
医師の言うことをよく聞く、良い患者のつもりだけど。
自分なりに頑張っているつもりだけど。
痛みにも不自由にも、精一杯耐えているつもりだけど。
リウマチ炎症が治まらないのだ。
今の治療は、自分のリウマチには消極的だと、身体が訴えている気がしていた。
自分の身体を守らないといけない。
それができるのは自分自身しかいないのだから。





一晩すごく考えた。
そして、朝になる頃にはもう9割、転医を決めていた。
早速、ある知り合いに電話をかけた
知り合いといえるほど交流もないのだが、同病の方。
以前、あるリウマチ関連の講演会でお会いした方。
その方は、難病の患者会に携わっておられ、冊子を頂いたこともあり、そこに電話番号が記してある。
思い切ってその方に電話をしてみたのだ。すると
「私も、病院変わったらいいのにって思う。М医院へ診せたほうがいいのじゃないかって思う」と。
これが肩を押してくれた。
転医を決意した。





そして平成23年6月
現在の主治医、М医師に診てもらうことにした。
ここでも、また血液検査と画像診断。
やっぱり手首はもう固まっている。
もう動かない。
気付いた時には、もう動かなくなっていた。



「先生、私はもっと積極的治療をした方がいいと思うのですけど、どうでしょうか?」と聞いてみた。



М医師は「僕もそう思います」と。
そうして、MTXは増量となりプログラフ(免疫抑制剤)も追加となった。



「今、1番つらいのは頚なんです。頚の痛みをなんとかしたいです」と訴えた。



「レントゲンで見る限り、第一・第二頚椎に何らかの炎症はあるけれど、リウマチの進行ではないと思います。しかし、念のため、専門医に診せましょう。総合病院にリウマチに精通している整形外科医がいます。僕のほうから予約しておきます」
ということで、受診することとなった。




リウマチ記録9