
こんばんは、木村です。
2日ぐらい前から、首周辺が、軽い寝違えのようになってしまい、思ったように動けなくてしんどい感じです。
ただ、こんな風になるかなという覚悟のもと行った、いつもの人体実験の結果ですので、致し方なしといったところでしょうか。
とは言っても、やはり身体に不調を抱えていると、テンションが下がりますね。
コンディショニングはしっかりしないとダメでしょう。
さて、そんな身体を引きずりながら、今日は愛知学院大学で行われた、参禅会に参加させていただきました。
参禅会とは、どういうものかと言いますと、お坊さんがいらして、本格的にみんなで座禅を組みましょうというものです。
僕は、ご存知の通り、相当コアな座禅ファンでして、この参禅会の話を友人から聞き、今日も一人行動で参禅してきました。
そして、現場に到着し、最初は軽くドキドキしましたが、すぐに慣れました。
会場はすごくキレイでしたし、いい感じにライトダウンされてましたので、落ち着いた雰囲気の中、座禅が行えました。
あの板(警策)でたたかれるのも体験できました。
予想よりも、痛かったです。
で、座禅中は無になろうと頑張ったのですが、なぜか何度も頭に浮かんできたのは、出かける前に作った、シチューの具のことでした。

人参さん、ジャガイモさんたちは、今どんな気分なんだろうという考えが頭に浮かび、それで、かなりの時間を費やしました。
この考えは、この考えでいいんですが、(だって、こんな時じゃないと、煮込まれた野菜の気持ちを考えることなんて、一生ないですから)良い座禅的観点から見ると、この考えをうまく流して、処理できなかったな~という事ですかね。
それで、無事座禅は終わり、帰りに素敵なパンフレットをいただき、すがすがしい気持ちで帰りました。

感想
今日の参禅会は、大変素晴らしかったです。
しかし、帰り際に指導してくださった、お坊さんがおっしゃていましたが、座禅を毎日続けることで、少しずつ良い感じになってくるとのことでした。
それは、僕も賛成で、以前半年ほど、毎日20分ほど座禅をしていたことがあったのですが、その頃の方が、座った感じは、良い感じだった気がします。
結論
座禅をお寺とかでやるのもよいが、本などを読んで自己流でやるのもよい。大事なのは、継続することである。
それでは、ありがとうございました。
追伸:桔梗屋さんって、僕の中ではいじわるおじさんのイメージしかありませんでしたが、
さきほど調べていたら、「戦乱で両親と全ての財産を失い無一文になったが、そこから死に物狂いで働いて一代で身代を築き上げた」との記述を発見しました。
やはり、安易に価値判断(よい、わるい、かっこいい、かっこわるい、きれい、きたないなど)をしてはいけませんね。
情報に接するのはいいことですが、接するときはなるべくフラットな気持ちで接し、価値判断は保留に、保留を重ねるぐらいの慎重さがないとダメですね。
僕は、桔梗屋さんの成功後の一休さんに無理難題をおしつける所しか見ていなかったために、桔梗屋さんに対して偏った見方をしていたんですね。
とくに、今の時代は、ひとつの事柄に対しての、情報に接する機会が増えましたし、人との関係では不特定多数の人と薄く交わることが増えたので、物事を一面的な見方で見て、これはこういうものだ、あの人はああいう人だ、と頑固じいちゃんのように決めつけてしまうのは、時代にそぐわないかもですね。
昔(10年ぐらい前まで)は、得られる情報は限られてましたし、接する人も限られてたんで、決めつけちゃっても、普段の生活や精神衛生上問題になるようなところまでいかずに、なんとかなってたんですけどね。
例えば、歯医者のインプラントというものがありますよね。
今、どこの歯医者でも盛んにインプラント、インプラントと言ってます。
これ、たぶん歯医者業界がしかけたキャンペーンだと思うのですが、昔だったら、けっこうみんなが、みんなインプラント万歳になり、レッツゴーインプラント状態になってたでしょう。
でも、今は、わざわざ歯を抜いて、変なもの埋め込んでやるのが、ホントに身体全体にとっていいことなのか?といったような少数意見も、けっこう簡単に入手できます。
それが、インプラントはいいことだと歯医者に簡単に説得されて(医者が言うんだから間違いない的に)、施術を行ったあとに、そういった話を聞いたりすると、正直混乱しますよね。
今は、そういうことが頻繁におこります。
歯医者がしかけたキャンペーンに乗ったまま、騙されたままではいられないという(何にもしなくても簡単にそういう情報が入っちゃう)時代なんですね~。
思考をストップしたまま、生きられない時代とも言えます。
他には、レーシックなんかも、そういうところがありますよね。
目だけのことで考えてて、いいのかなと僕は思いますが。
まあ、それでも、たいがいの人は昔のクセと、決めつけたほうが楽なんで、だいたい簡単に決めつけちゃいますが、それは、実際のモノとは異なるモノを見ることになります。
そうすると、アレまた違う、コレも違うとなり、だんだんだんだんとしんどくなってきます。
だって、自分は間違った判断ばかりしてるのかと思っちゃいますからね。
自分に自信がなくなってきちゃうんです。
だから、物事には、裏表があるとはよく言いますが、裏表の2面だけでなく、3面、4面、・・10面、100面、と言うぐらいまで見るぞ、という気持ちが必要です。
その、意識があるだけでも、ぜ~んぜん変わってきますので。
ちょっと桔梗屋さんで盛り上がりすぎました。

やっぱ、悪いなこの顔は。