跨道橋の傍らの歩道を上っていくと、鉄柵の外側の景色に、見慣れぬ突起物が在るのに気付いて、一瞬、ぎょとした。
電柱だったんだけど、手の届きそうな位置から、その天辺を覗けたのは、奇妙な感じだった。
普段に通っている道だし、これ迄、気にも留めなかったのは、観察力の欠如以外、何ものでも無いけど、改めて、「今、こんな高い所に立っているのか」と思ったら、足が竦んでしまった。
特別、高所が苦手な訳では無いけど、かと言って、好んで、行きたがる程でも無い。ただ、不意に意識させられると、橋桁が崩れる事態を想像してしまい、肛門の辺りがムズムズし出したんだ。
自分の存在がくっきりと浮かび上がって、あの場所に置いてけぼりにされたような、心許なく、不安定な、突出した孤独感・・・。上手く言えないけど、人によって違うみたいで、スカイダイビングの愛好者なんかには、アイデンティティを追い求めるタイプが多く、こういう自己確認の感覚が堪らなく刺激的で、新鮮らしい。
高層ビルの上階から、下方の、絶え間ない街並みに、蟻の如く行き交う人並みを眺れば、「人間って、何てちっぽけなんだ」と感じて、自分の、悩みや迷いが吹っ切れる、との効用を説かれた事も、何回か有る。
アクアダイビングとかにも通ずるところが、有るのかも知れない。でも、あの、一瞬にして世界観の変貌する感じが、個人的には苦手だ。
思ったんだけど、いっそ、【生きたまま、一定時間、土中に埋めて貰う】っていうのは? ネーミングは、【ダストダイビング】とか・・・。手軽で、安上がりだろうしね。ま、確かに、爽快感は失くなるけど、それは、コストとのトレードオフとして捉えて、実際の効能が変わらなければ、結局、満足できる筈だ。
安全面を考慮しても、実際、大差無いと思うよ。業者に託してしまえば、後は、それぞれ、信用の問題だしね。
要は、<生きる実感>ってやつ・・・。
命を担保にしなければ、少なくとも、それを想定しなければ、決して得られない悦び。
でも、無駄な抵抗というか・・・、小さく、細やかな益に過ぎないと思う。一度切りでは満ち足りず、何度も同じ事を繰り返さなければ、それは成立しない?
はい。以上、小さい頃、4階建てのベランダの手摺りにぶら下がり、懸垂とかして遊んでいた自分が、現在、電柱の存在のみに圧倒されてしまい、微かな立眩みを起した事への、紛らかし=申し開き=八つ当たり=無駄な抵抗でした。