挨拶と笑顔って面倒くさいからか、しない人も多いけど、自分を守るための行動としてはすごくコスパが良いですね。

 

 

 

これらは労力がほとんどかからないにも関わらず、なかなか効果が高いからです。

 

主に職場などにおける組織の中で生きていくための基本的な武器だと思います。

 

 

 

 

たとえば、笑顔で感じの良い挨拶をしたとして、それを不快に思う人はほとんどいないはず。

 

ときどき挨拶を無視する人もいるけど、挨拶を無視されたからといっても、それをスルーして気にしない「スルースキル」も大切!

 

無視する人は、その人はその人の生き方なのだから気にしない!引きずらない!

 

無視されたとしても、こちらの感じの良い心をその人に向けていた、その事実が重要になってくるのです。

 

相手の反応は問題ではない。

 

そんなことを気にするよりも、メリットのほうがあきらかに大きいのです。

 

 

 

 

 

たったこれだけの行為で、他人が自分に思うイメージがかなり変わってくるのだから、手間も技術もそんなにいらないし、しないでおくのはもったいないくらいのコスパの高い行為だと思います。

 

挨拶一つで、自分のその日1日の仕事のやりやすさ、人間関係のわずらわしさが良いほうに変わってくるのだから、しない手はありません。1日の出だしですでにつまずくのは、あまりにもったいない。

 

 

 

 

これは人間心理として、「こちらはあなたに対して敵意はないし、今日も一日よろしくお願いします」という気持ち良いメッセージとして受け止められることがほとんどだと思うから。

 

知らない人に対しても、笑顔で挨拶することは防犯上の観点からもその効果が語られることが多いと思います。

 

 

 

経験上のことですが、職場で働いていて、挨拶もだけど気持ちの良い笑顔でいることは、自分を守るための生きるすべ、人間心理をうまく活用したテクニックの一つだと私は認識しています。

 

 

 

たとえば、いじわるな先輩がいたとします。

 

そういう職場で、自分の表情や態度がムスっとしていたら、先輩から怒りをぶつけられる対象になりやすいと思います。

 

またはイジメのターゲットにされやすい。

 

ただし、その人物が感じの悪い人だとしても、孤高のタイプであったり、かつ実力のある人間であったら、人間的に突出しているため嫌がらせを受けるターゲットから外される可能性は高いかもしれない。

 

でも普通の一般職員、まして経験値の浅い新人職員なら、その不快さでターゲットにされる可能性は高くなることでしょう。

 

だから、たいていペコペコしていて、おどおどしている新人職員がターゲットになる場合がほとんどだと思います。

 

ゆえに私自身も、ターゲットにされやすい存在だと自覚しています。

 

 

 

 

そんなときに「いつも気持ちの良い笑顔」でいることが武器になります。

 

もちろん笑顔にもいろいろ種類があって、不敵な笑いであったり、感じの悪い笑顔は論外です(笑)

 

あくまでも自然な笑顔であることが大切です。

 

 

 

 

いじわるな先輩の立場からして、心理的に「いつも気持ちの良い笑顔」でいる人には怒りをぶつけにくいのです。

 

なぜかというと、どんないじわるな上司や先輩であろうと、その笑顔を曇らせることには、多少なりとも抵抗感があるからです。

 

よっぽどのサイコパスな心の持ち主でない限り、「笑顔を曇らせた」という自責の念が発生してしまうわけです。

 

だから当然、仕事に失敗したとしても比較的穏やかな責め方になる。

 

その人間心理を利用するわけです。(姑息な手ではありますが、自分を守るためには仕方がない処世術です)

 

 

 

 

特に職場の中で「いつも笑顔で一生懸命な人間」だと認識されていればいるほど、効果が高いです。

 

なぜならその他周りの職員にも、「笑顔を曇らせてしまった」という行為がより心象悪く映ってしまうからです。

 

いじわるな先輩も、他の職員の手前、心象悪く思われたくないはずです。

 

その笑顔を曇らせた行為が理不尽なことであればあるほど。

 

つまり、いじわるな先輩のその一言は、職場の中で居心地が悪くなってしまう自滅行為となってしまう。

 

いじわるな先輩も、そんな状況は望んではいないのです。

 

 

 

肝心なのは「攻撃しても割に合わない」という空気感を、職場にて日頃からつくっておくことが大切なのです。

 

 

 

 

組織とは、人同士が集った人間関係から成り立っています。

 

その中で、いつもどのように上手く、コスパ良く立ち回るのかが、居心地の良さにつながると思います。

 

「笑顔を武器にすること」は男性より、特に女性の方が効果が高いスキルだと思います。

 

「女は愛嬌」とはよくいったもので、女性の自然な笑顔は、職場にとってなによりの癒しとされている現場を、わたしはいくつも見てきたからです。

 

これは職場のみならず、生きるための重要なテクニックだと思います。

 

 

 

ただし、本当にシンドイときは、ちょっとした挨拶や笑顔を作るだけでも、けっこう労力を伴うことがあります。

 

人は自然体で生きていくことが、なによりも生きやすいと思います。

 

でも時には、自分が舞台女優であるかのような技巧を使うことも、生きるための知恵と助けになります。

 

きれいごとばかりではいられない時も世の中には多くあるのです。

 

 

 

明日も一人前の女優・俳優として、社会を生き抜いていこうじゃありませんか。

 

 

 

笑う門には福来る

 

 

人は社会性の動物であって、人同士の協力が必要不可欠だ。

 

特に現代人が一人で生きていこうとするのは困難に思う。

 

私たちが身に着けている衣服、食べ物、インフラ、どこを見ても、逆に人の手が入っていない部分を探すほうが困難だ。

 

好むと好まざる関係なく人はなんらかの人の協力を受けている。

 

 

 

人は協力する動物、一方で人は人同士争い合う動物なのも事実だ。

 

人の敵はけっきょくは人、私たちはこの矛盾するような関係性の中で生きている。

 

私は人が怖い。

 

もちろん人は愛すべき存在なのも事実。

 

私だって人のお腹から生まれてきたんだから。

 

でも人間について、知れば知るほど人が怖くなってくる。

 

人の歴史を学べば学ぶほど人が怖くなってくる。

 

イジメやパワハラも大嫌いだ。

 

でも人との交流が無かったら、人生とはなんて味気なく退屈なものだろうか。

 

それも事実。

 

 

通勤途中、様々な働く人を見る。

 

こんなクソ寒い中、こんな朝早い時間から外仕事をしておられる人。

 

怒鳴られている人。

 

早起きし、満員電車に揺られながら、虚ろな面持ちの人たち。

 

逆に夜勤を終え家路につく人たち。

 

 

 

あんたらみんなエライよ。

 

 

 

もちろん、食べて生きていくため仕方がないことは分かってる。

 

でも、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎

 

 

定年が終わるまで、もしくは定年が過ぎても、毎日眠い目をこすって同じことを続けていく。

 

労働は決して楽しいことばかりではない。

 

むしろ苦痛と感じている人のほうが多いだろう。

 

これがまた、働かなければ働かないで、その持て余した時間で将来のことなどの不安、もしくは生きることの意味などをネガティブに考えてしまい、労働による苦痛と同等、もしくはそれ以上に苦しみ病んでしまうことも珍しくない。

 

人間とはなぜかそのようにできているのだ。

 

 

 

ここまでくると思う。

 

 

人は生きているだけでエライ!

 

 

なんでそこまでして生きていくのかは知らんが、とにかく人は死なないように頑張って生きている。

 

盲目的に・・・

 

理由は分からんがエライ!

 

私はこのような人たちの中で、傷つき傷つけ、協力し、愛し合いながら生きているのが怖い。

 

 

 

健康、病気、税金、保険、育児、物価、年金、老化、別離、失業、事故、天災、犯罪、戦争、飢餓、いじめ、将来生きる上で心配しなくてはならないことが山ほどある。

 

仏教では「生老病死」といって、人間に必ずやってくる4つの苦しみがあると教えている。

 

「生まれ、老いて、病気になり、死ぬこと」の4つだという。

 

というか、「生まれ」の時点でもうすでに苦しみなんだね?

 

キリスト教でも、人は「原罪」という罪を生まれながらに背負っているというし(キリストによって贖われたとはいえ)。

 

 

「人が生きる」って時点で、すでにハードル高すぎへん?!

 

 

生きているってだけで金メダルやん。

 

 

私は人が怖い。

 

というか、人が生きていくための「巨大な社会システム」の存在がすでに怖い。

 

人が築いたこの「巨大な社会システム」に個人で抗うことなんてできない。

 

好むと好まざると人はシステムの「歯車」だ。

 

でもみんな知ってか知らずか、頑張って生きている。

 

それだけで、尊敬に値する「同志」であるのも事実だ。

 

 

 

 

怖いけど、もう少し頑張ってみるか。

 

 

 

人によって態度や発言を変える人っていうのは、ある意味仕方がないことだと思う。

 

それが世の中を上手く渡るための処世術の一つだと思えるからだ。

 

ただしそれも程度による。

 

目につくくらいコロコロ変わるような人は、私はその人を信用しないモノサシとしている。

 

特にその人の芯がブレてしまっているのでは?と思う時はなおさらだ。

 

またお世辞にもあまり恰好が良いことだとも思えない。

 

 

対して、態度が変わらないタイプの人は、尊敬に値する人が多い。

 

それって良い意味でも悪い意味でもなかなかできることじゃないと思うから。

 

1本芯が通っている人はなんにしても恰好が良い。

 

自分の信念や発言に責任をもつってことは、当たり前のことのようだが、批判にあてられ痛みを伴う覚悟が必要だから。

 

だからといって、自分の意見が間違っていると思ったなら、それを受け入れ謝罪できるくらいの度量も必要なわけだが・・・

 

なかなか難しいね。

 

そういうのが本当にできる人って、実はそんなに多くないと思う。

 

私も願わくば恰好良い側でありたい。