私は基本的に働くのが嫌いだ。

 

 

朝が弱いし、面倒くさいし、シンドイし、自由な時間はなくなるし、人間関係において不必要にメンタルを削られたりすることが多いから。

 

 

人や社会が怖いから、とうぜん仕事・職場も怖いのです。

 

 

ものすごく小物っぽい理由で、文章を打ちつつ自分ながら泣けてくるわ(笑)

 

 

おまけにメンタルが弱いから、すぐに傷つくし、気にしてしまって後に引きずる性格が、余計に働くモチベーションに影響してしまう。

 

 

パニック障害がけっこう影響してしまうことも大きな理由の一つだ。

 

 

ではなぜ働いているのか。

 

 

理由は簡単。

 

 

生きていくためにはお金が必要だからだ。

 

 

好きで働いている人などなかなかいない。

 

 

おそらくもっとも一般的な理由だと思う。

 

 

ネガティブ要素を上げればキリがない。

 

 

 

しかし、どうせ働かなければならない。

 

 

 

生きてくために

 

 

 

同じ「働く」ならば、ネガティブ思考になりながら働くより、ポジティブ思考で働けたほうが良いに決まっている。

 

 

これから引退するまでの長い労働時間を考えたら、ネガティブをポジティブに思考転換できたほうが幸福度は上がるだろうし、人生を楽しめる効率もいい。

 

 

とはいっても、それが簡単にできないから、誰もが同じ理由でいつも苦しみ続けているんだろう。

 

 

簡単に思考のパターンを変えられるのなら苦労はしない。

 

 

でもしなければ始まらない。

 

 

 

 

 

では具体的にどう思考パターンを変えて、モチベーションを上げていこうか。

 

 

まず仕事へ行くことのポジティブな部分をクローズアップして、考えていこうと思う。

 

 

①給料がもらえる

②規則正しい生活ができる。

③体が鍛えられる(肉体労働であるから)

④人間関係の幅が増える。

⑤休みの日が無職のときより、そのありがたさを実感できる。

⑥仕事のため無理やり、とはいえ行動的になれる。

⑦共済年金保険料納付により老齢年金が増える。退職金がもらえる。

⑧社会の一員として所属・承認欲求が満たされる。

 

 

ぱっと思いつくのはこのくらいだろうか。

 

 

 

 

 

まず①給料がもらえる

 

これはモチベーションを上げる効果にはなる。

 

お金はあって困るものではない。

 

しかし、そもそも私はそこまで金銭欲・物欲はないほうだと思う。

 

 

私の本質は、ただ何者にも脅かされず、怒鳴られず、中傷されず、温かく美味しいものを安定的に食べられ、暖かい寝床で好きなだけ寝られ、インターネットができて、たまにギターを弾きながら気持ちよく歌い、たまに気の合う人とオシャレしてお出かけしたり、飲んだり、そんな日常が確保されるなら、それ以上は特にいらない。

 

 

それだけの人間だとだんだん分かってきた。

 

 

特に野心も激しい欲求も見栄も何もない、何かができるわけでもない、何の変哲もない面白みのない男だ。

 

 

だからそれを維持できるだけのお金があればそれでいい。

 

 

したがってお金を得るため無理して働かなければならないという、モチベーションを上げる決定的な理由にはなりにくいだろう。

 

 

でも定年してからも「ガムシャラに働かなけれな生活が持たない」ような状態はゴメンだし、ある程度の貯蓄はほしいところだけど。

 

 

ならむしろ、働かなくても良いくらいまでお金を貯めて、経済的自立・早期リタイア(FIRE)できれば、そもそもの働く悩みから解放されるのでは?

 

 

そんなの、あと何十年倹約生活をすれば達成できるというのだろう。

 

それが成就する頃には、おそらく高齢者になっている。

 

今のところ積み立てNISAでチマチマ投資していくしかないだろう。

 

積立額をさらに上げるか、iDeCoでも始めてみようか。

 

でも現段階ですでに積み立てシンドイ。

 

ちなみに私は起業できるだけの商才も野心もない。

 

ただ、毎日を安心して誰にも傷つけられることなく生きていけたらそれでいいのに。

 

 

 

 

 

 

次②規則正しい生活ができる。

 

これはたしかにありがたい。

しかし同時に、朝が弱い私にとってそれが苦痛でもあるのだ。

 

でもこれは、⑥仕事のため無理やり、とはいえ行動的になれる。

にも通じるし、出不精の自分からすれば、尻を叩いて外へと出してくれる理由にもなる。

行動的ということが必ずしも良いこととは限らないが、でも内と外のバランスを保つのは良いことかもしれない。

 

健康的にも良いことだろう。

 

しかし、仕事へ行くモチベーションとしてはかなり弱いと思う。

 

 

 

 

 

 

次③体が鍛えられる(肉体労働であるから)

 

これはかなりモチベーションを保つ理由につながるかもしれない。

まず健康的でもあるし、体重を抑えられてシルエットを確保することができる。

わざわざお金を出してジムへ通う必要もない。

そういう意味では、貯蓄の効果もある。

 

 

給料をもらいながら、ジムへ通えているという思考の転換につなげられないだろうか?

 

 

ジムで鍛える代わりに、労働で汗をかき、筋トレができ、運動ができていると思考転換できるなら、働きに行く苦痛も、肉体的苦痛も緩和されないだろうか?

 

 

むしろやる気が出るまであるか?

 

 

そのうえ、仕事仲間から率先して体力のいる仕事をすすんで引き受けることによって、先輩たちの心象も良くなるだろうし、人間関係が良くなることにもつながりそうだ。

 

 

この思考の転換はポジティブモチベーションの良い循環を生むかもしれない。

 

ただし危険な仕事もすすんで引き受けなければならないが。

 

 

 

 

 

 

次④人間関係の幅が増える。

 

これは良し悪しだ。

悪い意味での人間関係も増えるかもしれないし、そもそも私はこれ以上、人間関係を広めたくないことに書きながら気づきました(笑)

 

そもそも人間、誰もが1日24時間しかないのだ。

その24時間の間に自分が受け入れられる人間の数などたかがしれている。

人間関係の幅を無理に増やすより、質を大切にしたい。

本当に心や人生の友となる人が得られるのなら、それは価値のあることだが、基本的に今のままで十分だ。

したがって、あまりここには期待できない。

そもそも、仕事上の上下関係の中で、本当の友となる人物を得るのはきわめて難しいことだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

次⑤休みの日が無職のときより、そのありがたさを実感できる。

 

これはたしかにそうだ。

しかし、それが仕事を続ける上でのモチベーションとなるかと言われたら、かなり弱い。

無理やりひねり出してできたポジティブ要素に感じられる。

 

 

 

 

 

 

次⑥仕事のため無理やり、とはいえ行動的になれる。

 

これは、たしかに行動的になれる。

無理やり尻を叩かれながらではあるが。

 

私は基本的にけっこうな引きこもりだ。

 

でもできるなら、もっと自発的に行動できるくらいの精神がほしい。

 

以前、無職のころブログにも書いたが、たしかに無職は自由を得られて魅力的ではあるが、それは自分が仕事のほかにやるべきことが明確にあったらの話だ。

意外と明確な目的なしでの無職の日々はつらい。

仕事による外出の必要性がなくなると、かえって私が抱える外出恐怖がひどくなってしまうことがありました。

その詳細は以下のブログに書いてます。

 

 

 

また⑧社会の一員として所属・承認欲求が満たされる。からも遠のいてしまう結果を招くし、自由を得る代償としては痛い。

 

しかし仕事をするモチベーションを保つ理由としては、けっこう弱いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

次⑦共済年金保険料納付により老齢年金が増える。退職金がもらえる。

 

これもモチベーションを保つ理由の一つになるのかもしれないが、理由としては弱い。

今から定年まで働き続けたとしても、思ったよりも微々たる上昇幅なだけだし、そもそも年金制度の崩壊は十分にあり得ると思うからです。

 

少子高齢化が今以上に進む未来に、その財源を確保し続けられるかはなはだ疑問です。

 

支給額は今よりも確実に減らされるでしょうし、年金受け取りの年齢も引き下げられるでしょう。

 

働く人口と年金世代人口の比率を考えても、物理的に無理でしょう。

 

どこから資金をねん出するというのだろうか。

 

おまけに物価高がさらに進んでいることが予想されるでしょうし、年金だけで生活を!という考え方は不可能でしょう。

 

退職金も前世代と比べても、どんどん減らされていってる世の中です。

 

それに反比例するように上がる物価高。

 

とてもアテにはできないでしょう。

 

働くモチベーションとしては、やはり弱いですね。

 

でもせめて、定年を過ぎて、無理に仕事せず、安定的な生活ができるだけの貯えか年金がほしい・・・

 

 

 

 

次⑧社会の一員として所属・承認欲求が満たされる。

 

これもあるにはあるが、働く動機付けとしては弱い。

そんなことを考えながら毎日仕事へ赴いてる人はいるのか?

もっと直接的な毎日の仕事に耐えうる動機がほしい。

 

経済的自立・早期リタイア(FIRE)が叫ばれている世の中を考えると、無職の状態がそこまで肩身が狭い時代では無くなってきているのかもしれません。

 

 

 

 

 

まとめ

 

考えてきたけど、遠い将来的なメリットであったり、思ったより抽象的なことばかりで、いまいちピンと来ない。

そんな遠い未来のために悩んでいるのではなくて、必要なのは明日、今、働きに行きたくないと悩んでいるのであって、もっと緊急的な解決なんだ。

そのことが分かった。

もっと直接的で具体的で即効性のある理由がほしい。

それを考えると、マシな動機付けは③体が鍛えられる(肉体労働であるから)

くらいかもしれない。

 

 

明日から、仕事に行ってるという意識を、「給料もらいながらジムへ行けるし、すすんで体力仕事をすることで先輩たちにも認めてもらえて3度おいしい」という意識に思考転換してみよう。

 

 

簡単に思考転換できないだろうけど、人間は習慣的な動物だから、思い続ければやがて本当にそういう風に意識改革できるかもしれない。

 

 

とにかく「朝起きると、すぐ仕事モードで鬱になる」というルーティーンから抜け出して、意識改革せねば。

 

 

起きたら自動的にネガティブ思考になってるんだから、まずその思い込みをなんとかしないと!

 

 

1日の始まりが不幸からの、最悪の気持ちからの出発になっちゃうんだから。

 

 

そんな毎日のままじゃ嫌だ!

 

 

いつか登校拒否児になってしまう。

 

 

起きてから、すぐこのブログで書いたことをまず思い出そう。

 

 

そして癖づける。

 

 

思考のクセを直さないと、一生このままだぞ~!

 

 

 

 

 

 

そもそも論、人は生きていくことじたい苦行であり、誰もが苦しんでいる。

これは宿命であり、自分だけが例外なわけではない。

そのように考え、慰みとでもしようか。

 

 

たまに仕事終わりにビールでも飲んで、解放感を満喫する一杯、そのときのために生きてるとでも思うことにしようかな。

 

 

もしくは何かほかに創造的な活動でもして、あの何かを生み出すときの、脳汁ドバドバの特別感を味わうだけのための人生がいいかなあ。

 

 

まさに生きているってかんじ

 

 

その一瞬のためだけに生きていて、それ以外の時間は人生のただの副産物、みたいな。

 

 

そのような考え方をして、他に夢中になれる楽しみを持つことで、仕事が嫌な気持ちが少しでも緩和されるかもしれない。

 

 

でも簡単ではないよな。

 

 

 

 

それかもっと別の生き方に思考転換しようかな。

 

 

映画「PERFECT DAYS」みたいな。

 

 

人生の幸福は何気ない日常の一つ一つに織り込まれている。

 

 

それに気づかせてくれた映画。

 

 

本当にいい映画 温かい

 

 

人生で1番か2番かには間違いなく入る、私に良い影響を与えてくれた映画だ。

 

 

この映画には、人はなんで生きているのかという、人生の哲学がつまっていると思う。

 

 

人が生きる意味の本質は、この映画の中にあると思う。

 

 

しかしおそらく、観てそれを感じられる人、感じられなくて退屈だという人の2者に分かれるだろう。

 

 

私は前者の人と交流できる人生がいい。

 

 

絶対その方がいい。

 

 

 

 

名作映画にふれているときも、脳汁ドバドバの幸せな気持ちにさせてくれるんだよな。

 

 

 

まだアマゾンプライムなら無料で観られるんじゃないかな、おすすめですので下にリンクを貼っておきます。

https://www.amazon.co.jp/PERFECT-DAYS-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/B0DLBSZZ62

 

 

 

 

たとえトイレ掃除の仕事中でも、小さな幸福の瞬間は織り込まれている。

 

 

あの主人公の役所広司みたいな心に、感じ方ができる人間になりたい。

 

 

 

話は仕事の話に戻ってしまうが

 

 

この男(この映画の主人公)は、私のように「仕事行きたくないわー!」とか絶対ほとんど思っていない。

 

 

そりゃあ少しは思ってるだろうけど(突然の残業を要請されてキレてたし(笑))

 

 

でも、この男は自分の仕事がイヤだとか、そんなスケールで生きてはいない。

 

 

もはやレベルが違う、そんな次元で生きていないんだ。

 

 

それどころか、トイレ清掃員という仕事が、男の完璧な生活ルーティーンの中に見事に取り込まれている。

 

 

男のそれ(仕事)は生活を彩るための一部となっているし、それがなくなったら、逆にこの男の完璧なルーティーンに狂いが生じ、幸福度を下げてしまうかもしれない。

 

 

それくらいにまで、自分のルーティーンの中で見事に仕事を昇華しているんだと思う。

 

 

これくらいになってしまうと、人生勝ち確定である。

 

 

なぜなら人生の3分の1の時間は仕事との時間といっても過言ではないからだ。

 

 

したがって、仕事が楽しいと思える人はみんな、人生の勝ち組と言ってしまってもいいだろう。

 

 

人生のもう3分の1の時間は、余暇の時間。 余暇、つまり趣味や家庭環境が人生の3分の1の時間に影響するだろう。

 

 

残りの3分の1は眠りの時間。

 

 

したがって

 

 

「仕事」「配偶者」「寝床」はあなたの健康を損なうおそれがあるため、計画的によく選んでご利用ください(笑)

 

 

 

ちなみに私のブログの今回の内容との兼ね合いで、たまたまこの映画の仕事の部分をピックアップして紹介しただけです(笑)

 

 

この映画の面白さの本質は別にありますので、誤解無きよう。

 

 

映画『PERFECT DAYS』の主人公のように、仕事を自分のルーティーンに完璧に入れ込んでしまえる、そんな仕事との向き合い方が一番理想的なのかもしれない。

 

 

仕事だけではなく、人生、日常生活全体を、主人公(平山)のような視点と感受性で送れるように、今からでも考え方の転換をできないものだろうか。

 

 

習慣づけたら少しでも、平山に近づくことができるだろうか?

 

 

いや、絶対にそんな簡単なことではないだろう。

 

 

彼は本当に特別だ。

 

 

 

 

この映画を観ていると

 

 

 

「人は生まれてきて、なにか特別な、生きる意味があることをしなければならない」

 

 

 

とか

 

 

 

「使命を全うしなければ生きている意味がない」

 

 

 

とか、そんな以前の私の鬱になりそうな考え方から

 

 

 

 

「人はただ生きているだけでもいいんだよ」

 

 

 

という肩の力を抜いた、優しい考え方に転換させてくれた、最高の作品です。

 

 

 

 

 

 

 

ついつい、話の脱線ばかりしてしまうタチでして、「まとめ」なのにまとまってなくて申し訳ありません。

 

 

 

 

とにかく何が言いたいのかというと。

 

 

 

 

 

あー、明日仕事行きたくねーわ

 

 

これに尽きます(笑)

皆さんはスマホを生活の中でどのように使っているだろうか?

 

 

電車なんかに乗っているとよく思うのですが、電車の中でみんな、当たり前のようにスマホの画面と向かい合っていますよね。

 

 

車両のなかのほとんどの人がスマホを眺めていて、逆にスマホを見ていない人が少数派という光景も珍しくない。

 

 

私もスマホは利用するのですが、たぶん世間の人と比べて接する時間はかなり短い部類の人に入るのではないかと思います。

 

 

理由としましては

スマホの画面をずっと見ているのがツラくなってくる。しんどくなってくる。

というのがあります。

なんでツラくなってくるのかは自分でもよく分かりません。

 

 

集中力が欠けているのだろうか。

 

 

というか、そもそもスマホに束縛されている状況がものすごくシンドくなる。

 

 

いつもLINEやSNSを気にしている状況。

 

 

特に仕事関係の連絡とかが入ってくるかもしれないし、完全にスマホがシャットアウトされた生活を送るのはもはや不可能。

 

 

でもできる限り、スマホに触れたくない。

 

 

だから家にいたら、スマホは常にマナーモードだし、物理的にも距離を離していることが多いです。

 

 

 

しかし、こんな自分は現代人の生き方から逆行してしまっているのでは?と思うことがあります。

 

 

スマホが世に浸透しだしてから少なくとも約15年くらいは経つのでしょうか?

 

 

今やスマホと共に生きているのが当たり前の時代だといえます。

 

 

この15年のうちに、世界中の人はスマホと共に生きる生活へとアップデートされてきている。

 

 

いや、スマホ脳へとアップデートしていかなければ、生きていきにくい世の中へと確実に変化している。

 

 

特に顕著に感じるのは、コロナ禍以降、外食するとスマホでQRコードを読み込んで、スマホで注文するのが当たり前になりつつあること。

 

 

これ意外とメンドイ。

 

 

料理を注文するまでの順序、特に高齢者なんかは扱いに戸惑っている人も多いのではないか?

 

 

自分も、こういったシステムが導入され始めた当初は、戸惑いがものすごくありました。

 

 

注文を確定したつもりでいても、カートの中の注文品をちゃんと最後まで送信できておらず、いつまでたっても料理が運ばれてこず、待ちぼうけを食らったこともありました(笑)

 

 

スマホ持ってるのが当然でかつ、使いこなしていなかったら、メシすら食えなくなってきた。

 

 

おまけにLINEでそのお店と友だちにならなかったら、料理の注文をすすめていけないという、なんだか釈然としない。

 

 

 

銀行へ行くにも、ネットで空き時間に予約をしてから行かないと、相手にしてもらえなかったこともあった。

 

 

公共交通機関を利用するにも、スマホと支払いを連動させたほうが改札を通るのに便利であったり。

 

 

キャッシュレス決済とスマホの連動もそうだ。

 

 

スマホでクーポンを取得してから、お店を利用したほうがお得であったり。

 

 

 

もはや、スマホが無かったら現代人としての快適な生活を享受できなくなってきた。

 

 

否が応でも、スマホを持ち歩き、使いこなせていることが前提の社会へと確実に変貌してきています。

 

 

私のようにスマホが嫌い、といつまでも切り離してはいられなくなってきた。

 

 

 

 

窒息しそうだ。

 

 

 

 

皆さんは、自分の脳みそをスマホ脳へとアップデートできていますか?

 

 

 

物心つく前から、スマホがいつもそばにあって、スマホと共に成長してきた世代が普通に周りにいる。

 

 

そんな人たちは、脳みそのアップデートとはもはや言わず、そもそも脳みそのOS自体が最初から適応していて、最適化されているんだ。

 

 

そんな人たちと、私のような旧式のOSの脳みそを、むりくりアップデートしてなんとかついて行っている人とでは、勝負になりませんわ。

 

 

 

 

この前、高速バスに乗った時、近くにいた10代か20代前後くらいの女の子。

3時間は拘束されているバスの中で、ずっと同じ姿勢で、ずっとスマホでXかInstagramか知らんけど、イヤホンをしながら見てはる子がいた。

 

 

3時間も!

 

 

私はせいぜい10分くらいスマホを眺めれたら良いほうで、すぐにシンドくなってきて、嫌になる。ポケットにしまう。外の眺めを見る。

 

 

じゃなかったら頭が痛くなってきて窒息しそうになる(笑)

 

 

私のアタマはまだスマホ脳に最適化できていないのだろう。

 

 

とても同じ真似はできない。

 

 

 

ファミレスでテーブルを囲んで、4人の10代の男の子たちが黙々と4人ともスマホを操作し続けている。何十分も。

 

 

昭和生まれの私からすると、沈黙したそのテーブル席は奇妙に映るのだが、おそらくその世代では、その姿はデフォルト。

 

 

その空気感が特に変なわけではなく、それも当然として許容しあっている。

 

 

 

ただスマホに接しすぎることが、脳の破壊を招いているという研究結果もあり、どっちが正しいのか、何が正しいのかはよく分からない。

 

 

 

今後デジタル社会はますます加速していき、AIが台頭し、それを使いこなせるべく脳内をアップデートして適応化できた人たちが中心となっていくことだろう。

 

 

 

時代の変化のスピードが早すぎる。

 

 

 

こんにちは

 

 

aikoの代表曲の一つ「カブトムシ」

 

バラードの名曲として2000年前後における最高峰といっても過言ではないと思います。

 

いや、歴史的な最高峰の一つかもしれない。

 

少なくとも、松任谷正隆氏は自身の番組「FUN」で本曲を絶賛し、aikoをゲストに迎えた回で「カブトムシ」をCDショップへ買いに行ったことを告白。人生で初めて購入した邦楽でもあると語っている。数十年に一度の名曲だとおっしゃっているらしいです。

 

またこの曲はカップリング曲として制作されたが、プロデューサーの助言で表題曲に昇格。また、aikoは本来夏の虫であるカブトムシを冬の虫だと勘違いしており、冬の情景をイメージして作られた ということです。

 

 

 

本日、aikoの大阪城公演年末ライブのチケットを取ろうとして、取れなかったイサです。

 

そりゃそんな甘くねーわな。でもいつか必ず取りたいな。

 

 

いまさらですけど、この曲、いつ聴いてもすごいよね。

 

aikoの曲、外れが少なくて名曲・良曲が多い数少ないアーティストだと思うけど、その中でも「カブトムシ」はさらに名曲中の名曲だと思います。

 

どんなすごい好きなバンド・アーティストでも絶対に外れ曲ってあると思うんですけど(特にアルバムみたいに収録曲が多いと)、そのなかでもaikoの良曲・名曲を作る打率はずば抜けていると思うんですよね。

 

なんならその1曲単位の中でさえ、Aメロ、Bメロ、サビとかがあって、サビは外れだけど、Aメロはこの曲最強だよなってことよくありませんか?

 

そんなのしょっちゅうですよね。

 

曲の構成すべてに捨て部分がない曲のほうが珍しい。

 

 

そのすべてに捨て部分を感じられない曲の1つにこの「カブトムシ」がくると思います。(もちろん人の感性によってさまざまだけど)

 

イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、すべて最強!

 

そして肝心なメロディーライン、他に比べられなく最強!

 

歌詞、いつ聴いてもマジ涙出る。

 

♪少し癖のある  あなたの声  耳を傾け 

 深い安らぎ  酔いしれるあたしはかぶとむし 

 琥珀の弓張り月 息切れすら覚える鼓動

 生涯忘れることはないでしょう 

 生涯忘れることはないでしょう

 

めっちゃ胸にくる。

 

 

 

またこの曲、ハモリがない(aikoの曲には多いのかもしれないけど)。

 

ハモリは曲を作る上でメロディーを豊かに聴かせるので、ぜひ取り入れたいところだけど、この曲はやっていない。

 

しかしそれがかえって、aikoの甘い歌唱力を引き立たせ、説得力?が深まり、世界に引き込まれる。

 

小手先の技術はいらないし、むしろ邪魔になるといったところか。

 

それだけ曲のメロディーと歌唱力が秀逸なのだと思う。

 

 

なかでもコード進行とメロディの親和性が、分けわからんくらいに良い。

 

特にサビ。

 

サビが本当に飽きることなく、めちゃくちゃ良い曲って、実はそんなに他にないのではないかと思ってて。

 

サビに単調じゃないものを持ってこれるのって、実はむっちゃ難しいことだと私は思ってます。

 

サビってけっこう単調で分かりやすいものになりやすい。

 

でもこの曲は、サビが一番複雑で、心に何度も刺さってくる。

 

なんでこんな、特別なんだろう。

 

 

 

実はサビのコード進行の技巧もすごいみたいですね。

 

特に「生涯忘れることはないでしょう」

 

のところの、「生(しょう~)」の部分のコード進行、「Am」これがどうやらキーが「Eb」の場合、普通では使われない進行のようです(しかもメロディーにもその音が使われている)。

 

 

昔からここの部分でハッと目が覚めるかのような、違和感(良い意味で)を感じていたんですが、コード進行に異色的な部分があるようです。

 

ゆったり、まったりとした甘い進行から、ハッとさせられる。他にいつも聴いてる曲のような曲転回とは違う。

 

編曲者の島田昌典さんによれば、このコード進行の部分をaikoが持ち込んできたとき、普通なら修正するのかもしれないけど、島田さんは修正しなかった、それが英断だった、それがこの名曲を生んだといっても過言ではないそうです。

 

 

調べてみたら、「カブトムシ」について解説している動画がいくつかあって面白いです。

 

凡人が作ったバージョンのaikoの「カブトムシ」のサビはどうなるかとか。

 

 

 

 

 

 

などです。

 

参考にさせてもらいました。

 

 

aiko、いまさらですが、歌詞の才能もヤバイですね。

 

『ああ、あなたのいない世界には、あたしもいない。』

 

これを曲の冒頭にもってくるなんて、泣きそうになるやん

 

 

 

「くちびる」という曲の中の歌詞ですが、こんな聖典に出てきそうな歌詞思いつく?