12月19日放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に、タモリ(71)が出演。タモリは“ビストロSMAP”の最後のお客様として登場。タモリは中居正広(44)とのトークの最中、「どっちかっていうと人見知りなんだよ。それ言うとみんな大笑いするんだけど。友達も少ないもん」と告白。中居から「(これから)もう友達増えないですか?」と聞かれたタモリは「友達なんかいらないって」とコメントし、「俺はあの歌が大っ嫌いなんだ、“小学校に入ったら友達100人できるかな”。そんなことでさ、(人生)決めんじゃないよって」と発言。「(友達を)減らしていく。もうどんどんどんどん減らしていってるの。切ってくの」と、交友関係について持論を展開した。

(ニコニコニュースより)

 

タモさんの気持ちわかるわ。

僕も「友だち100人できるかな」ていうあの曲、なんかすごいプレッシャーだったんですよね。

家族にも新学期を迎えるたびに「友だちできたか?」とか期待をこめて言われるし、友だちがいることがそんなにステータスなのかと洗脳されていましたね。今考えたら、あれ完全に洗脳だわ。

 

 

時代は関係あるのかわからないけど、僕の小学校時代とか思春期時代とかは、友だちがたくさんいて慕われている奴っていうのが、絶対的正義でカッコイイっていう暗黙の了解のようなものがあったように思います。

 

それがいつも頭にあったから、なんだか無理して友だちつくって、学校の中での自分の居場所のようなものを作ろうと、そればかりに必死なんですよね。

とにかくカッコ悪い存在にならないようにとばかり思っていましたね。

 

僕は馬鹿だから、そういう考えは大学時代になっても続いていて、学食で1人でメシ食ってるところを人に見られたくないだの、もう格好のことばっかり、周りの視線ばっかりを気にしていたように思います。

 

そして、そんな上っ面の中身のないものばかりを気にしているうちに、大切な中身のあることを見逃してきて、ある日ついに中身のない自分に気付きましたとさwwwwww

 

 

 

べつに孤独を見られたっていいじゃん。

 

 

 

この考えにやっと行き着いたころは、大学の半ばくらいだったと思う。

やっと洗脳が解けたんです。

今にして思っても、あの洗脳はなんだったのかと不思議です。

もし子供ができたら、「友だちなんか無理してまで作らんでいいからな」と教えてあげたいです。

 

今では1人でメシ食うのも全然平気。

むしろ1人で食ってるほうが落ち着く。

それを見られたって何の不都合があるというのだ。

それは所詮他人の目にすぎないのだ。

思いこみって怖いよなって思います。

 

 

思いこみのせいで見逃してきた大切な本質。。。その無駄な時間はデカイ・・・・

 

人って思いこみや洗脳とか偏見とか、自分でも気付かないうちに取り込まれてしまうものなんです。

意外なほど簡単にね・・・

あとになって考えたら「なんで・・・あたりまえのようなことに気付かなかったんだろう・・・」と気づいてしまうもんです。

 

特に子ども時代のそれは注意しないとねじまがって育っちまう。

客観的な視点って、簡単なようで案外難しかったりしますね。

 

 

友だちなんか少なくったっていいんですよ、ほんまに・・・

大切なのはその質であり、数になんの意味もない。

むしろ時間をとられるだけ・・・

 

そんな当たり前のことに気付くのに何年かかってんだかほんま・・・

 

 

だいたい人ってのは、1人になって孤独なときに、自分を見つめなおして成長するんです。

孤独は絶対必要なんです。

孤独なときに思想や芸術が開花するものです。

必要もなく群れていたって、なにも育たないもんです、ほんま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春秋戦国時代、晋という広大な領土を持つ大国があった。
一時は栄華を極めた晋だが、国力が衰えると
6氏に分裂し、互いに権力闘争をするようになった。
予譲(よじょう)は有能な男だったが
その才能を認めてくれる主人とはなかなかめぐり会えずにいた。
予譲(よじょう)は、いろいろな勢力を巡った後、智伯の元に仕えた。
智伯は残酷な王で人々から嫌われ、恐れられていた人物だったが、
予譲(よじょう)の能力を高く評価し、彼に屋敷まで与えた。

次第に勢力を強めていった智伯だったが
趙氏、韓氏、魏氏の共謀により撃ち獲られ
一族もろとも惨殺された。
趙氏の趙襄子(ちょうじょうし)はそれだけでは満足せず
智伯の頭蓋骨に漆を塗り、それを酒の杯とした。

予譲(よじょう)はこのことを知って
趙襄子(ちょうじょうし)への復讐を誓った。

まず、趙襄子(ちょうじょうし)に近づくため、趙の宮殿の便所の壁塗りの仕事についた。
すぐに暗殺のチャンスがやってきたが、懐の短刀が見つかり捕らえられた。
趙襄子(ちょうじょうし)は予譲(よじょう)のことを全く知らなかったが、
予譲(よじょう)が智伯の復讐に来たと知ると、
「智伯には(一族皆殺しのため)もう親族はいないはずだ。
一族ではないお前が、なぜあのようなみんなから恐れられ、
恨みを買っている人物のために命を懸けてまで復讐に来たのか?」と聞いた。
予譲(よじょう)は答えた。
「どこに仕えても雑用扱いの私を認めてくれ、屋敷まで与えてくれたのは智伯様だけだった・・・
”士は己を知る者のために死す”と言うが、
私が智伯様の復讐を果たせるなら、処刑されても本望だ。」
趙襄子(ちょうじょうし)はこれを聞いて
そのような忠誠心をもった義士がこの世にいるのかと
心を打たれ、予譲(よじょう)を釈放した。

しかし、予譲(よじょう)は復讐心を捨てなかった。
漆で顔をかぶらせ、墨で声を変え、重病人に姿を変えた。
知人が見てもすぐに予譲(よじょう)だとは気がつかなかったという。
知人は予譲(よじょう)に、
「趙襄子(ちょうじょうし)に忠誠を誓う振りをして近づけば、
おまえの能力ならすぐにでも側近に取り立てられるだろう。
そして、その時に復讐すればよかろう。」と進言すると、
予譲(よじょう)は
「二心をいだいて臣に仕えるのは士として恥ずべき行為」とこれを拒否した。

予譲(よじょう)は趙襄子(ちょうじょうし)の外出情報を調べ上げ
橋の下で趙襄子(ちょうじょうし)の通過を待ったが、馬に殺気を感じ取られ
またもや捕らえられてしまった。
趙襄子(ちょうじょうし)はあまりの執念深さに言葉を失った。
さすがにこれ以上、予譲(よじょう)を生かしておくわけにはいかないが
最後にひとつだけ願いをかなえてやることにした。
予譲(よじょう)は趙襄子(ちょうじょうし)の服を要求し
それを切り刻んでその場で自害した。


この話は国中に伝わり、予譲(よじょう)は忠義の人として
後世にまで名を残す事となりました。

 

http://housuu.com/c3.htmlより

転載文で恐縮ですが、男なら予譲のような男であり、智伯のような死んでからも思われる男でありたいですよね。

 

 

「士は己を知る者のために死す」

という言葉は男の心の本質をとらえているんだと思うんですよね。

男は心のどこかで己が信ずるに足る「義」であったり、「掟」であったり、「理(ことわり)」「人」「国」「友情」「愛情」「役割」「仕事」などを求めているものだと思います。

 

そしてそれらに愛され認められ、真から感動・感謝したとき、全身全霊をささげ護り貫き通そうとします。

 

自身の全存在とプライドをかけてでも

 

男はそういう意味ではプライドのかたまりです。

 

たまによく分からんプライドを貫き通そうとする人もおるけど・・・

 

男はそういう意味では、死さえいとわない。

男にとって生きざま・死にざまってそれくらい大事なことなんです。

自分の美学に生きたいんです。

 

自分の信ずる、それら崇高なものを生かすためなら、踏み台になることも本望。

 

オスって、本能のどこかでそういう性質を持っているのかもしれません。

 

カマキリだって、オスは次世代の踏み台になるために、メスに喰われますもんね。

 

DNAレベルでそのことを理解しているのかもしれません。

 

それは決して不幸なわけではなく、幸福な瞬間なんだと思います。

 

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

 

日本で有名なこの言葉も、そういう男の性質をあらわしているものだと思います。

 

男はなにか崇高な「役割」を果たすために、さまよい歩く生き物なんだと思います。

 

 

話はずれますが、男なら誰でも小さい頃にヒーローものなんかに必ず憧れます。

 

世間の荒波にもまれ、大人になり今はそのことを忘れていても、とんでもない極悪人になったとしても、心のどこかでひっそり消えずに残っているものです。

 

性善説を唱えるつもりはありませんが、必ず言えるのは人間どうなっても善と悪が完全に消えることはないということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

職場の人がレーシックの手術をして、メガネを卒業していた。

 

いいなぁ、メガネやコンタクトのわずらわしさから解放されるのはうらやましいなあ

 

 

俺もレーシックやってみようかなあ

 

 

でも高いしなぁ

 

 

片目だけレーシックやってみようかな、そうすれば安くつくよね

 

 

それで、「ナルト」のカカシ先生の写輪眼のように、普段は視力が良くなったほうの目を額当てで隠しておくんだ

 

 

んで、いざとなってレーシックで良くなったほうの目を開放!

 

 

見えるぞ!

 

 

私にも敵の動きがよく見える!

 

 

「ニヤリ」

 

 

カッコイイ!

 

 

・・・カッコよくないか