人間、長い人生を生きてきて、心が奪われるような、ずっと長く続くフロー体験をしているかのような、シンクロするかのような、そんな数少ない出来事に出合う瞬間がいくつかある。

 

そして、そういった出来事に出合ったなら、何があっても逃してはいけない。と自分は思う。

 

 

具体的にいえば、自分の場合なら、それは大きくいうなら

 

一つ目は中学校二年のときの恋愛

 

二つ目は音楽とのシンクロの時期

 

三つ目は文学とのシンクロの時期

 

 

自分の人生の場合、それらの機会はおとずれたが、結果的に全て逃してきたことだ。

 

あとに残された人生は、まさに抜け殻、敗残兵

 

そう断言してもいい!というぐらいの差がある

 

 

他に疑似的な体験はあったものの、本質的には違った。

 

 

モノに出来なかった者の末路だろう。

 

モノにできなかった理由は

 

一つ目は単純に度胸がなくてはたせなかった。後に何度も他の人との恋愛をしてはいるが、このときほどのモノに至ったことは一度もなし。

 

二つ目はパッシブなものだけであって、アクティブに何かを生み出すためのモノに至らなかった。

 

三つ目の理由は二つ目と同じく

 

 

人生において、これらのように心を奪われる瞬間というのは、自分以外に、他人のどんなときに起きているのだろうか

 

 

他人を見ていて、似ているなとよく思うのは

 

子育てに邁進している人

 

宗教にのめりこんでいる人

 

これの疑似体験ぽい人は、マルチ商法にのめりこんでしまっている人

 

アイドルなどにのめりこんでいる人

 

恋愛にのめりこんでいる人

 

政治的イデオロギーにのめりこみ、活動している人

 

これらの人が近い

 

自分が見てきて、似ていると思える人たちはこういう人たちだ

 

何か、天からの啓示を元に動いているのではないかとも思える。

 

これらの出来事を成し遂げている人は、少々の痛みや、マイナスの出来事くらいには動じない

 

それくらいの強さが備わるのだ

 

 

結果はどうだとしても、それが良いことか、悪いことかは別として

 

これらの体験をできている人たちは、結果が残せた人たちは勝者だと思う(もちろん私見ではあるが・・・)

 

結果的に、破滅に至ったとしても、うらやましい

 

 

自分の言う心が奪われるというのは、そういうことなのだ

 

この状態に至ったときは、まさに滅私できて、没頭する

 

これに没頭するための欲求は、睡眠欲、食欲、性欲の三代欲求に続く、生きていく中で欠かしてはいけない第四の欲求なのだろう

 

その滅多にない瞬間に出会ったときは、悔いのないように尽くすべきだ

 

そして、現在、私はそういう位置にいないし、起きる気配もない

 

かなりの長い時期、なにも起きていない

 

もちろん数年、数十年単位だ

 

ただの抜け殻だ

 

時間だけがすぎていき

 

日々の生活の痛みだけが通り過ぎていく

 

 

 

私の人生は、今生きていてなんだが、まるで意味がない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良い人、優しい人が損をする世の中ってよく聞きませんか?

 

僕はそれに対して全面的に賛成はできないけれど、ある意味そのとおりだと言わざるを得ない場合がある。

 

 

なぜなら、世の中、弱者に対しても理解をしてくれる人、思いやりや察しができる人、そういう人は数多くいるが、必ずぞれと同じくらい、もしくはそれ以上に弱者に不条理な人間が一定数いるからだ。

 

これは、どこの世界だろうが必ずいる

 

それが学校だろうが、会社だろうが、サークルだろうが、地域社会だろうが、ネットだろうが、政界だろうが、必ず一定数いる

 

これは悲しいけれど、まぎれもない事実だ。

 

 

人間とは助け合いの生き物だ。

 

 

でも、足の引っ張り合いをする生き物でもあるんだ。

 

 

なぜ弱者に対して不条理なことを行うのだろう。

 

 

それは分らない。

 

 

生まれつきの性質なのかもしれないし、環境がそうさせたのかもしれないし、ストレスがそうさせるのかもしれない。もしくはそれを行うことによって、ある種の快楽がいつもあるのかもしれない。

 

 

しかしどんな理由であれ、そんなものはろくでもないものだ。

 

 

そんなデタラメなものに左右されるわけにはいかない。

 

 

しかし、そんな理不尽はごく近くにふつうにあることなのだ。

 

 

早ければ、幼稚園、小学校でイジメなんかは当然のようにある。

 

 

当然、僕も学生時代や社会人になってからも理不尽なイジメを受けたことがある。

 

 

これは決して軽く捉えて良い話ではないんだ。

 

 

なぜなら、そのことは当人にとって、自殺など命に関わることもあるし、トラウマとなり引きこもりになるような人もいるからだ。

 

 

そして、そういう行為にあった人は決して少ない数ではない。

 

 

生まれてきて、一度もイジメを受けたことがないなんて人いるだろうか?

 

 

僕から言わせればそんな人は非常にマレな存在で、現実的・一般的ではないだろう。

 

 

人は不当なイジメなどを受けることによって、免疫力がつき、強く成長していくものだと。

 

 

たしかにそれも、間違いなわけじゃないだろうが、しかし、その一回のイジメが後の人生に大きく左右したり、中には命を絶ってしまう人だっているのだ。

 

 

決して楽観視できるものではないだろう?

 

 

イジメとは、ごくごく一般的に起こりうるものであり、不条理な人間は、必ず一定数どこにでもいる。

 

 

この「イジメ」とは、判断が非常に微妙なものであり、見る人によっては「イジられている」→「お笑い的においしい」と捉われかねない。

 

 

しかし、この真偽は簡単に答えが導き出せる。

 

 

イジられた本人が「オイシイ」と思えないなら、それは決しておいしくはないのだ

イジられた本人が、それは「イジメ」だと感じたのなら、それは紛れもないイジメなのだ。

 

 

したがって、イジる人間は最大限の注意と責任をもってイジらないと、理不尽側に立ちかねないのだ。

 

 

しかし、世の中、そのあたりのサジ加減が全然分かっていない人間がいる。

 

 

イジっているつもりが、イジメているなんてことはしょっちゅうどこにでも、誰にでも起こりうる。

 

 

最初はイジっているつもりで、イジメになっているパターンもあるし、確信犯でイジっているというベールを装ってイジメを楽しんでいる人間も多い。

 

 

このあたりのイジメの微妙なラインも、イジメを根絶することが困難となる理由の一つだろう。

 

 

 

 

ではどうすればいいか?

 

 

このどこにでも必ず一定数いる、クズ共から身を守る方法。

 

 

 

それは自分自身で防御壁を築き、自分自身で身を守るしかないのだ。

 

 

 

前提からして、まずこういった理不尽なイジメをしてくる連中というのは、その多くの場合、弱者にその理不尽さを振り向ける。

 

 

 

つまり「コイツならばイジメても、こちらに被害はない」という考えなのだ。

 

 

リスクのある人間に手を出そうとは、なかなか思わない。

 

 

弱者をイジメるような人間が、大義などあろうはずもなく、したがって強者に手を出そうとするチャレンジ精神はない。

 

 

そういう人間には「割に合わない」と思わせればいい

 

 

「コイツをイジメたところで、こちらがダメージを被るリスクがあるし、やめておこう」

 

 

そう思わせなければならない。

 

 

イジメてくる相手に

 

 

舐められてはいけない

 

 

のだ

 

 

 

なぜイジメてくるのかというと、とどのつまり「舐めている」のである。

 

 

舐めているからイジメることができる。

 

 

逆にいえば、舐めていないとイジメなんかできないのである

 

 

この「舐められる」というものの、何が恐ろしいのかというと、正しいことを言ったとしても通じなくなる」ということなのだ

 

 

筋が通っていることで責められれば、それは自分が悪いのだから、当然、甘んじてそれを受け入れなければならない。

 

 

しかし、舐められていると、全く筋が通っていないことに対して正論で反論しても通らなくなってくる。

 

 

こうなると、まともに争い合うことさえできない。

 

 

これが危険なのだ。

 

 

独裁国で裁判にかけられてしまったようなものである。

 

 

こちらの反論は全くの空回りに終わり、聞く耳などもってもらえない、

 

 

裁判の前にすでに勝負は決しているのである。

 

 

 

 

 

我々は理不尽に対しては、断固戦わなければならない!

 

 

理不尽が通るというのは、おそらく快感なのであろう。

 

 

ミニ独裁者のようなものであり、自分の理不尽が通るというのはすこぶる良い気分なのだろう。

 

 

舐めきっている相手だからこそ、そのような理不尽が通ると思っているのである。

 

 

何度も繰り返し言うが、舐められてはいけない。

 

 

なぜなら、弱者に理不尽なヤカラは、必ずどこにでも一定数以上いるからだ。

 

 

そのために、舐められないための防御壁を自身で築く。

 

 

面倒くさいが、ハッタリでもいいから、舐められないための防御壁が必要だ。

 

 

ヤツラは単純だから、簡単なハッタリでもかまわない。

 

 

見かけ倒しでもいい、とにかく、サンドバッグと思われないこと。

 

 

必ず一矢報いるという気合いを相手に感じさせないといけない。

 

 

こういうヤカラはどこにでも必ず一定数いるものだから、面倒なエンカウントを避けるという意味でも、防御壁は築いておいて損はないだろう。

 

 

 

つまりドラクエでいう「トヘロスや聖水」である

 

無駄なエンカウントを抑えることにより、無駄な疲労を避けでもしないと、我々が漕ぎだす目的地になかなか辿りつけないのだから。

 

 

彼らはザコなのだから、いちいち倒しても経験値やお金もマズイのである。

 

 

スルーできるにこしたことはない。

 

 

もちろん、本当にムカツク一撃をくらわせられたら、先祖や子孫の面子にかけても倒さなければならない。

 

 

あなたが、あなたのお父さんやお母さん、お子さんなどの不当な悪口を聞いたとしたら怒るでしょう?腹が立つでしょう。

 

 

それと同じように、あなたが言われもない不当な悪口を何者かに言われていたら、あなたのお父さんやお母さん・お子さん、果ては先祖や子孫も無茶苦茶腹が立つのです。悔しくて仕方がない。

 

 

 

 

 

だからあなたは不当にバカにされるべきではない!

 

 

 

 

 

じゃないと、ヤツラはドンドンつけ上がるんです。

 

 

たまに行う「逆ギレ」は効果的

 

 

それ以外は、「はいはい」という気持ちで上手くやりすごす。それがベスト。

 

 

基本はダメージが残らないよう、やりすごす。

 

 

そして嘘でもいいから、胸を張る

 

 

イジメられやすい人物というのは、共通項があって、イジメられやすいオーラを発しているのだ

 

 

オドオドしている空気というのは、ヤツらザコは敏感に嗅ぎとってくるからだ。

 

 

やつらはそういうのは、幼いころから嗅ぎわけるのに長けているのだ。

 

 

体をまとうオーラというのは、本当にあるらしく、強気で自信にあふれ、健康的な人間には勢いよく流れているという。

 

 

オーラに勢いがある相手に対しては、ヤツらはおいそれと手を出してこない。怖くて出せないのだ

 

 

そして、オーラはハッタリであっても、強く思いこみ続けたら、本当にあとから巡ってくるという。

 

 

つまり、考え方しだいなのだ。

 

 

マインドコントロールのようなもので、強く願い続けることによって、本当に思考がそのように働きだす。

 

 

もちろん1日やそこらじゃ、達成はできないらしいが、数日強く願うことによって、考え方のクセは変わってくるらしい。

 

 

マインドコントロールといったらイメージが悪いが、自分や周りが良くなるような環境を目指すならば、大いに利用すべきスキルではなかろうか。

 

 

つまりハッタリでも、毎日続ければ本当になる。

 

 

僕も最近、職場で「強気!強気!」と何度も自分に言い聞かせるようにしてます(笑)

 

 

胸を張ればオーラの巡りも良くなる

 

 

とにかく、舐められないよう、一度の人生を大切に、無駄なエンカウントに翻弄されないように、上手に防御壁を張り生きていきたいですね

 

 

ただ、自分に非がある場合は、受け入れることを忘れずに(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

世の中にはマレに、働くのが好きな人間がいる。

 

たしかにいる。

 

だが少数だ。

 

 

断言しよう。

 

私を含めて、世の中の90%以上の人は、きっと「イヤイヤ働いている」はずなのだ。

 

 

 

しょうがないから働いている。

 

食うために働いている。

 

それが真実ではなかろうか?

 

 

もちろん、やりがいがあるから働いている、と言うひともたくさんいることだろう。

 

しかしそれは、自分の好きな分野であったり、経営者で自分の手腕を思う存分ふるえたり、才能を活かせたり、そういうのが伴ってこそ、はじめて「やりがいがあるから働いている」と笑顔で言えるのではないだろうか。

 

 

うちの職場にも、そんなかんじの人がいるが、それはたぶん自分に嘘をついているのだと思う。

 

薄給で肉体労働だし、人が嫌がるようなこともしなきゃいけないのに、誇りをもってそう言えるのは素晴らしい。

 

しかし、それは絶対嘘だと思う。

 

そんな聖人君子なこと言えるんなら、給料なんてもらわず、ボランティアでやればいいじゃない。

 

そのほうがもっとやりがいあるでしょ?

 

と言いたくなる。

 

そんなにやりがいあるんなら、忙しい時イラついたりして、人に当たったりするなよとw

 

まあ全てが嘘だとは言わないけど。

 

おそらくその言葉の中の数%は真実が含まれているのかもしれない。

 

でも、その言葉を看板にできるくらい、この仕事を愛しているから続けているわけじゃないでしょ。

 

 

思うのだが、そうやって自分に嘘をついてでも、誇りを保ちでもしなきゃやってられないんだと思う。

 

マインドコントロールで自己暗示でもしない限り、こんなシンドイことやっていけないでしょ。

 

ネガティヴな部分を見て見ぬフリして、ポジティヴにならないと、自分がもたなくなるんでしょ?

 

 

 

冒頭でも言ったが、90%以上の人がイヤイヤ、しょうがなしに仕事をやっているのだとしたら、朝の通勤ラッシュの車内にいる人の、9割の人はダルイんでしょ?

 

だって朝の通勤ラッシュの車内って、ほとんどの人の顔があんまし余裕ないかんじするよね?

 

そんなことない?

 

そう考えるとさ、、、、

 

 

日本ってヤバクね?

 

そんな鬱々とした人ばっかり、朝大量に動いてるのだとしたら、世の中ヤバくね?

 

不自然じゃね?

 

そんなことばっかし繰り返してる毎日でさ。

 

特にやりがいを持ってる仕事をしてるわけじゃなくてさ。

 

先輩には理不尽な言葉をかけられたりしてさ。

 

週休二日すらもらえないでさ。

 

サービス残業を当たり前のようにしてさ。

 

家に帰ってきたころには23時で、あとは風呂に入って寝て、翌朝6時には起きて会社行ってさ。

 

でもそれが当然なものとして、何の疑問ももたずに、みんな鬱々と行動してさ。

 

本当に楽しいの?

 

みんな分かってて気付かないフリして暮らしてるんじゃないの?

 

こんな疑問もったりしてるのって俺だけなんだろか?

 

 

俺がおかしいの?

 

それとも世の中がおかしいの?

 

何が楽しいの?

 

 

もちろん働くことは嫌なことばかりではない。

 

たしかにやりがいを感じる瞬間もある。

 

給料だってもらえるし、お金を貯めたら好きなものを買うことだってできる。

 

でも、宝くじで10億当たったとしたら、たいていの人は身を粉にしてまで、無理して働いたりしないでしょ?

 

だいたい働くのって、たいてい大変だし、リスキーじゃん。

 

人間関係は気を使うし、急かされたりするし、疲れるしさ。

 

俺だって誰もイジメたくないし、誰からもイジメられたくない!

 

でもさ、やっぱ世の中いろんな人いるしさ、執拗にプレッシャーかけてくる人とかいるじゃん?

 

ってか、イジメることに快感を伴ってる人もいるよね。

 

うちの職場で、「~さん、こないだの夜勤でイジメたおしたったわ!」と自慢げに言ってる人とかいるんだもん。

 

なんなのコイツ?

 

しかも人前でそれを言うとかさ。

 

いい大人が、心底カスだと思ったわ。

 

別に俺のこと言われてるわけじゃないんだけどさ。

 

他人のことであっても、胸糞悪いよね。

 

俺も陰で言われてるのかもしれないし。

 

でもさ、やっぱこういう人とも関わっていかなきゃいけないしさ。

 

とってもリスキーだよね、社会ってさ。

 

 

ほんま、世の中って理不尽だよね。

 

 

こんな世の中で、笑顔で進んでいくためにはさ、自己暗示をかけて行動していくか、本当にイカれてるかじゃないともたないよね。