良い人、優しい人が損をする世の中ってよく聞きませんか?
僕はそれに対して全面的に賛成はできないけれど、ある意味そのとおりだと言わざるを得ない場合がある。
なぜなら、世の中、弱者に対しても理解をしてくれる人、思いやりや察しができる人、そういう人は数多くいるが、必ずぞれと同じくらい、もしくはそれ以上に弱者に不条理な人間が一定数いるからだ。
これは、どこの世界だろうが必ずいる
それが学校だろうが、会社だろうが、サークルだろうが、地域社会だろうが、ネットだろうが、政界だろうが、必ず一定数いる
これは悲しいけれど、まぎれもない事実だ。
人間とは助け合いの生き物だ。
でも、足の引っ張り合いをする生き物でもあるんだ。
なぜ弱者に対して不条理なことを行うのだろう。
それは分らない。
生まれつきの性質なのかもしれないし、環境がそうさせたのかもしれないし、ストレスがそうさせるのかもしれない。もしくはそれを行うことによって、ある種の快楽がいつもあるのかもしれない。
しかしどんな理由であれ、そんなものはろくでもないものだ。
そんなデタラメなものに左右されるわけにはいかない。
しかし、そんな理不尽はごく近くにふつうにあることなのだ。
早ければ、幼稚園、小学校でイジメなんかは当然のようにある。
当然、僕も学生時代や社会人になってからも理不尽なイジメを受けたことがある。
これは決して軽く捉えて良い話ではないんだ。
なぜなら、そのことは当人にとって、自殺など命に関わることもあるし、トラウマとなり引きこもりになるような人もいるからだ。
そして、そういう行為にあった人は決して少ない数ではない。
生まれてきて、一度もイジメを受けたことがないなんて人いるだろうか?
僕から言わせればそんな人は非常にマレな存在で、現実的・一般的ではないだろう。
人は不当なイジメなどを受けることによって、免疫力がつき、強く成長していくものだと。
たしかにそれも、間違いなわけじゃないだろうが、しかし、その一回のイジメが後の人生に大きく左右したり、中には命を絶ってしまう人だっているのだ。
決して楽観視できるものではないだろう?
イジメとは、ごくごく一般的に起こりうるものであり、不条理な人間は、必ず一定数どこにでもいる。
この「イジメ」とは、判断が非常に微妙なものであり、見る人によっては「イジられている」→「お笑い的においしい」と捉われかねない。
しかし、この真偽は簡単に答えが導き出せる。
イジられた本人が「オイシイ」と思えないなら、それは決しておいしくはないのだ
イジられた本人が、それは「イジメ」だと感じたのなら、それは紛れもないイジメなのだ。
したがって、イジる人間は最大限の注意と責任をもってイジらないと、理不尽側に立ちかねないのだ。
しかし、世の中、そのあたりのサジ加減が全然分かっていない人間がいる。
イジっているつもりが、イジメているなんてことはしょっちゅうどこにでも、誰にでも起こりうる。
最初はイジっているつもりで、イジメになっているパターンもあるし、確信犯でイジっているというベールを装ってイジメを楽しんでいる人間も多い。
このあたりのイジメの微妙なラインも、イジメを根絶することが困難となる理由の一つだろう。
ではどうすればいいか?
このどこにでも必ず一定数いる、クズ共から身を守る方法。
それは自分自身で防御壁を築き、自分自身で身を守るしかないのだ。
前提からして、まずこういった理不尽なイジメをしてくる連中というのは、その多くの場合、弱者にその理不尽さを振り向ける。
つまり「コイツならばイジメても、こちらに被害はない」という考えなのだ。
リスクのある人間に手を出そうとは、なかなか思わない。
弱者をイジメるような人間が、大義などあろうはずもなく、したがって強者に手を出そうとするチャレンジ精神はない。
そういう人間には「割に合わない」と思わせればいい
「コイツをイジメたところで、こちらがダメージを被るリスクがあるし、やめておこう」
そう思わせなければならない。
イジメてくる相手に
舐められてはいけない
のだ
なぜイジメてくるのかというと、とどのつまり「舐めている」のである。
舐めているからイジメることができる。
逆にいえば、舐めていないとイジメなんかできないのである
この「舐められる」というものの、何が恐ろしいのかというと、「正しいことを言ったとしても通じなくなる」ということなのだ
筋が通っていることで責められれば、それは自分が悪いのだから、当然、甘んじてそれを受け入れなければならない。
しかし、舐められていると、全く筋が通っていないことに対して正論で反論しても通らなくなってくる。
こうなると、まともに争い合うことさえできない。
これが危険なのだ。
独裁国で裁判にかけられてしまったようなものである。
こちらの反論は全くの空回りに終わり、聞く耳などもってもらえない、
裁判の前にすでに勝負は決しているのである。
我々は理不尽に対しては、断固戦わなければならない!
理不尽が通るというのは、おそらく快感なのであろう。
ミニ独裁者のようなものであり、自分の理不尽が通るというのはすこぶる良い気分なのだろう。
舐めきっている相手だからこそ、そのような理不尽が通ると思っているのである。
何度も繰り返し言うが、舐められてはいけない。
なぜなら、弱者に理不尽なヤカラは、必ずどこにでも一定数以上いるからだ。
そのために、舐められないための防御壁を自身で築く。
面倒くさいが、ハッタリでもいいから、舐められないための防御壁が必要だ。
ヤツラは単純だから、簡単なハッタリでもかまわない。
見かけ倒しでもいい、とにかく、サンドバッグと思われないこと。
必ず一矢報いるという気合いを相手に感じさせないといけない。
こういうヤカラはどこにでも必ず一定数いるものだから、面倒なエンカウントを避けるという意味でも、防御壁は築いておいて損はないだろう。
つまりドラクエでいう「トヘロスや聖水」である
無駄なエンカウントを抑えることにより、無駄な疲労を避けでもしないと、我々が漕ぎだす目的地になかなか辿りつけないのだから。
彼らはザコなのだから、いちいち倒しても経験値やお金もマズイのである。
スルーできるにこしたことはない。
もちろん、本当にムカツク一撃をくらわせられたら、先祖や子孫の面子にかけても倒さなければならない。
あなたが、あなたのお父さんやお母さん、お子さんなどの不当な悪口を聞いたとしたら怒るでしょう?腹が立つでしょう。
それと同じように、あなたが言われもない不当な悪口を何者かに言われていたら、あなたのお父さんやお母さん・お子さん、果ては先祖や子孫も無茶苦茶腹が立つのです。悔しくて仕方がない。
だからあなたは不当にバカにされるべきではない!
じゃないと、ヤツラはドンドンつけ上がるんです。
たまに行う「逆ギレ」は効果的
それ以外は、「はいはい」という気持ちで上手くやりすごす。それがベスト。
基本はダメージが残らないよう、やりすごす。
そして嘘でもいいから、胸を張る
イジメられやすい人物というのは、共通項があって、イジメられやすいオーラを発しているのだ
オドオドしている空気というのは、ヤツらザコは敏感に嗅ぎとってくるからだ。
やつらはそういうのは、幼いころから嗅ぎわけるのに長けているのだ。
体をまとうオーラというのは、本当にあるらしく、強気で自信にあふれ、健康的な人間には勢いよく流れているという。
オーラに勢いがある相手に対しては、ヤツらはおいそれと手を出してこない。怖くて出せないのだ
そして、オーラはハッタリであっても、強く思いこみ続けたら、本当にあとから巡ってくるという。
つまり、考え方しだいなのだ。
マインドコントロールのようなもので、強く願い続けることによって、本当に思考がそのように働きだす。
もちろん1日やそこらじゃ、達成はできないらしいが、数日強く願うことによって、考え方のクセは変わってくるらしい。
マインドコントロールといったらイメージが悪いが、自分や周りが良くなるような環境を目指すならば、大いに利用すべきスキルではなかろうか。
つまりハッタリでも、毎日続ければ本当になる。
僕も最近、職場で「強気!強気!」と何度も自分に言い聞かせるようにしてます(笑)
胸を張ればオーラの巡りも良くなる
とにかく、舐められないよう、一度の人生を大切に、無駄なエンカウントに翻弄されないように、上手に防御壁を張り生きていきたいですね
ただ、自分に非がある場合は、受け入れることを忘れずに(笑)