時差ボケ真っ只中 | ぱね便り(旧:V町便り)

ぱね便り(旧:V町便り)

スウェーデン暮らし12年目。おかしいな、いつの間にそんな時間が経ったのだ?と、毎年同じことを考えています。

6月18日(火)深夜に成田を出て、ヘルシンキ経由でおよそ24時間後の6月19日(水)夕方に、無事B集落の自宅に戻ってきました。飛行機は、行きの時よりは混んでいたけど、幸いながら3席1列を独占できたので、横になることができ、結構眠ることができたのですが、

・・帰ってきてからの時差ボケにはやっぱり効果なしであった。今日でまる2日経ちましたが、相変わらず、午後~夕方の早い時間に猛烈な眠気に襲われてしまい、気絶するように眠ってしまって、夜中の0時過ぎに目が覚め、その後はもう何をしても眠れない、という状態です。去年の日記を読み返してみたら、全く同じ状況が1週間は継続したらしい(泣)ので、来週まではかかるかなーと覚悟を決めております。orz

日本滞在最終日の18日は、関東地方は丸1日ものすごい雨でしたが、その雨の中をびしょ濡れになりながら予約していた施設見学に出かけたぱね。午前1件、午後1件だったのですが、その午後の1件は、ぱねが気になってはいたが見学予約は入れていなかった同じ企業グループの別の施設のすぐ近くにありました。見学が終わってから、案内をしてくださった方に、「この近くにももう1件、同じグループの施設がありますよね。予約を入れていなくとも、見学させてもらえるでしょうか・・?」と試しに尋ねてみたら、「電話してみますね!お待ちください」と親切なお答え。で、そちらの施設の施設長さんに直接尋ねてもらったところ、「どうぞどうぞ、お越しください」とのことだったので、

遠慮なく出かけていきました。

そしてその結果が、吉と出たのであった(涙)。前日、月曜日に見学した施設が、やっと「ここならいいかも?」と感じられた施設だったのですが、この飛び入り見学した火曜日3件めの施設も、「ここならいいかも?」という感触を得られた施設だったのです。

今回の日本一時帰国の間に、見学した施設は結局8件でした。財政面で赤字は出るけど「あと数年」(最終的には特養に入ることを前提として)なんとかしのげれば・・という予算枠と、妹宅にある程度は近い(電車/クルマで行きやすい)地域内にあることと、チチとハハにある程度は「合うのではないか」とイメージできる施設に巡り会えればいいなあ・・とかけずり回ったぱね、そのうち2件で「ここならいいかも」に出会えたので、この努力は報われたと思いたい(泣)。

しかし、肝心のチチハハの方は「引っ越しは無理」と強情なので(最初は理解を示していたチチも、ぱねが日本を離れる前日に反旗を翻したため、全てが振り出しに戻ったorz)、ぱねの戦いは今後も続きます。まあ、そう簡単にはいかないのは当たり前。しかし、ハハの方は認知症ゆえに仕方ないとしても、まだ判断力が残っているチチの方には納得してもらわないと、話が先に進みません。チチの方の判断力が落ちてしまう前に、何とかしなければいけないのだが、今はどうしようもない・・

なにか、「これはもうダメだな」とチチに痛感させるような事態が起きないことには、ことを動かすことはできないかもしれません(泣)。私も妹も近くにはいない、いざという時に駆けつけられる親族がいない、ということが何を意味するのかを、結局は体感してもらうしかないのかもしれない・・。

そして今回、地獄の福島滞在の期間を含めて日本にいた間ぱねが痛感したのは、限界に近づいているのは自分だ、ということでした。

去年の秋、妹の病気が発覚して、福島のことは私がやるしかないと覚悟した時から一気に悪化した睡眠障害と、常に自分の中にあるものすごい不安感。その不安感はどこにいようが消えず、今回の日本滞在の間には、さらにそこに孤独感まで加わったことに自分でも驚いた。

有能アメリカ人ジョンさんと仕事をしている間とか、友人や妹と一緒にいる間とかはいいのだが、1人になり、電車で移動している時とかに、ものすごい孤独感に襲われたのです。ぱねは元々、1人でいるのが全く苦ではなく、「孤独だ」とか「ひとりぼっちだ」とかという感情に襲われたことはほとんどなかったのですが(例外は1993年~94年のドイツ滞在の時だけ)、今回のこの孤独感は、なんというか空恐ろしかった。真っ黒で、救いようがなくて。

私はひとりぼっちじゃない、みんなが支えてくれているのだ、ということは頭ではわかっていても消えない、真っ黒な救いようのない気持ち。

私はもう、本当にクタクタに疲れ果てているのだな、と思った。

チチハハの状態に、心が巻き込まれないようにしないと自分の身がもたないよ、ということはJ兄からも友人たちからもずっと言われているんだけど、「どうすれば」それができるのかが、ぱねには全くわかりません。

結局は、「チチハハに何が起きるかを、私がコントロールすることはできない」という客観的で普遍的な事実を、理解し受け入れるしかないんだろうな。自分にできることはすでにもう全部やってるんだし、これ以上できることは何もないんだから、この先起きることは、もう私がどうこうできる領域にはない。

ぱねは「自分でコントロールできないこと」に対して、ものすごい恐怖感を感じる人間です。コントロールできないことは、最初から避けて通るか、そのような状態にできるだけ陥らないで済むように、先を読んで、先回りして、あらゆる準備を整えたいのだ。そうしないと「安心できない」と思っているのね。

でも、どんなに準備しようが、事態というのは結局、ぱねの予想や予測通りには全く進まず、「準備」は9割方、無駄になることが多い。で、「安心」などは、何をどうやろうが得られず、最終的にはその場の状況に応じて判断して動くしかなかったりする。

私が子供を持つことを全く考えなかった(考えられなかった)根源的な理由はそこにあるんだろうな。子供なんて、予想だの予測だの一切通用しない存在だし、私にとってはそんなの、恐怖の対象でしかない。

ところが、「自分でコントロールできないこと」に対するこの底なしの恐怖感は、ものすごい「心配性」として自分に降りかかり、今のこの状況の中で、自分の精神的健康まで脅かそうとしているのであるよorz

というわけで、とにかく、両親のことは気持ちの上で「放り出す」しかないと思っています。どうでもいいと思えるわけではないけど(本当はそう思えればどんなにいいか、と思うが)、日曜日以外はどこかの時間帯で両親の様子を見てくれる人が家の中に入る状況を作ってきたんだし、これ以上は私には何もできない・・

そして、「自分の生活を大切にする」「自分を大切にする」ことに取り組もうと思うのですが・・それ、どうするんだっけ?状態なぱね。疲れ果ててるのですわ、ほんと。

しかしまあ、ジョンさんとの行商+その後の週末を挟んだ日本滞在の締めくくり数日で、ぱねは後悔のないよう、

炭水化物を中心に、食べたいものをひたすら食べてきました。福島の2週間で少し減ったかもしれない体重は、東京での9日間で元に戻り、さらに増えたのではないだろうか。コンビニおにぎりも片っ端から食べたし、大体、毎回「3個」食べていたのだから、以前の1.5倍は食したことになります。

 

東京滞在最終日の夜には、再びドンキホーテでお菓子を爆買いしました。

 

 

そして今回は、ぱねともあろうものが、一風堂のラーメンを食べそこねていたので、

最後の最後に、成田空港第2ターミナルで悔いのないよう食べておいたなり。もちろん替え玉付きでね。

スウェーデンは昨日が夏至前夜祭、今日が夏至祭。そういえば、ぱねが初めてスウェーデンにやってきたのが1994年の夏至前夜祭の日だったから、あれから今年でちょうど30年経ったのです。あっという間だったんですが?てことは、これからの30年はもっとあっという間に過ぎるってことなのですね? orz