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A Space of Pure Flow

・沖縄生まれ沖縄育ちのもうすぐ半世紀生きる2児のパパ。
・遊び心を忘れず、ゲーム感覚で人生を探索・探求するのが好き。
・趣味は、週末キャンプ・釣り・息子と一緒にオンラインゲーム




チャオ♪
前世がイタリア人の川上です。
(本当かな〜、、、)

子どもの宿題で
ありがちなシチュエーション。

ーーーーーーーーーーーー
ママ「早く宿題やりなさい!」
子ども「え〜やりたくない、、、」
パパ「やらなくていいんじゃないの?」

ママ(パパにぶちギレる)
パパ(ママに謝る、、、)
ーーーーーーーーーーーー

という場面がよくある川上家ですが、


「やる」ことが全てではない!
と思っている変人なパパのでママは
ぶちギレるんだろうな〜。

と思いながら
「継続しないのは力なり」
について書いてみました↓






〜気持ちはあるけど、行動出来ない人へ〜




僕は、幼少期に親から

「あんたは行動力がないねー」
「何も続かないねー」


と良く言われてました。




そのせいか

社会人になっても


「俺って、継続力ないよな〜、、、」
「俺って、取り組みが続かないな〜、、、」



と、自分を責めるようになっていました。





周りでモノゴトをストイックに
継続している人を見ては

「この人凄いな〜。よく継続できるな〜」

と羨ましがって嫉妬していました。




そんな中、
僕の事をよく知る友人に



「さすが信也!行動力凄いね!」



とか、



僕の事をよく知る知人に



「凄いね。よく続けられるね〜」



と言われる事がありました。




周りにそう言われて



「あれ?俺って行動力あるんだ」
「あれ?俺って継続力あるんだ」



と自分の事を見直すことが出来ました。




親には、行動力、継続力がないね。
と言われ


一方では、行動力、継続力あるね。
と言われる。


この違いって一体なんだろう?






改めて、自分の事(過去)を

振り返ってみると、だんだんと見えてきて




結論としては


 



「自分は行動力も継続力もある!」



のに気づきました。





自分自身は行動しなかったり、
継続しなかった訳ではない。



自分自身に取って嫌なこと・必要ではないと
思う事を「やらない!」と決断して


「やらない!」という行動を継続していたんだと。(自分の意志を貫いていたんだと)




社会人になって
友人や知人に行動力・継続力あるねと
言われたものは、


逆に自分自身が好きなこと・必要だと思う事を「やる!」って決断して行動を継続していました。





今になって思うこと。



それは、


他人から見て「やっている」「やっていない」はどうでも良いと言うこと。
(やっているから○。やっていないから×。ではないと)






大事なのは

本人にとって

「好きなものか」「必要なものなのか」




それによって
取捨選択して「やる・やらない」を選択する。
ということ。



その選択の繰り返しをすることで、
自分の人生を自分で選択し、


自分が満足できる充実した

後悔のない人生が過ごせます。





それに、気づいた僕は、今となっては

ストレス発散で酒を飲みに行くとか

ストレス発散でやけ食いする

などが無くなりました。




だって、「嫌だ」「必要じゃない」と思うものを捨て、「好き」「必要だ」だけを選んでいる毎日だから。



ストレスが溜まっている人は
嫌な事、必要じゃないことを思いっきり
「捨てる」行動をしてみてください。




例えば、人間関係で
「あの人嫌だ!」と思うのであれば、
徹底して喋らない、近づかない。
※注意.「あの人嫌だよね〜」と他人に
言いふらして賛同を得ようとか、巻き込もうとするのは、イジメと同じなのでそれはしない事。





例えば、環境やモノで
「あの環境嫌だ!」と思うのであれば、
徹底して離れる、踏み込まない。





そうすることで

ストレスを感じることが無くなります。
(それで大丈夫かな?周りに変に思われないかな?という心の葛藤は生まれますが、葛藤を乗り越えた分強くなれます)




自分自身にとって嫌な事

必要じゃないことを「捨てる」事ができたら




そこから先は自分自身が

「好きな事、必要なこと」を選んで

進むだけです。



今、
自分自身が好きなこと、
必要だと思っても行動できていない、、、
一歩踏み出せていない、、、

と思う人は、
まずは「捨てる」という事から
始めてみてください。




次回のブログでは、
捨てた後に、「好きな事、必要な事」を選んで“行動を継続していく方法“についてお伝えします。


最後まで読んでくれてありがとうございます♪

人って、学校教育の影響が

そうさせたのか分かりませんが



先に決まっている“答え“を出さないと

“ダメ“という採点をされますね。


例えば、学校教育の中にある“テスト“。


テストの答えは

先に先生によって作られています。

(先に決まっています)




その先生が作ったテストの答え。

生徒からするとテストを受けた後に

待っている“未来の答え“になるわけですが。



その先生が用意した答えから外れると

不正解=ダメ。ということになります。





じゃあ

テストじゃなかったらどうなるのか?




テストじゃなければ正解になります。





例えば、社会人になって「1+1=2」ではなく「3」にでも「4」にでもなるように

頑張ろうとか口にしたりしますよね。




その考え方に共感したりすることで

「1+1=3」が、その人の中では正解になります。




先生が作ったテストでは「1+1=2」が正解でも、社会人が思う「1+1=2」は不正解になるわけです。



何が言いたいのか?というと。





「答え」は未来に存在しない。




ということ。



答えの無い未来に

答えを探して動いていくことほど

虚しいものはありません。



だって、その先には答えは無いんですから。



答えは、その人の中にあり

その人が歩んで来た人生(過去)にあります。




未来の見えない答えに向かって

何かをもとめたり、何かを繋いでいくのではなく


すでにあなた自身が歩んで来た

過去が答えであり


その過去と今とが繋がると、

答えは必然と、後から生まれて来ます。
(ちょっと難しいかな、、、伝わるかな)




何かの答えを未来に探しているあなた。
未来には答えなんてありません。



答えがあるのはあなたの中。

あなた自身が過去体験した事。

あなた自身の“今“に答えがあります。




そんな話しをすると


「自分の求めてる答えは何だろう?」

「今の自分の中にある答えでて何だろう?」




と、またまた未来に答えを探す人がいますが

答えは“考えて“も出て来ないです。
(考えて答えが出るのはテストだけ)




人生の答えは動くこと。

行動することの過程にあります。




行動したプロセスの中に

行動した数の分だけ、量の分だけ答えが

出て来やすくなります。




「何かをやる」ということは、

相対的には「何かをやらない」という事と

セットです。




「仕事にいく」ということは

「家族とはいない」ということになる。



「友人と遊ぶ」ということは

「仕事をしない」ということになる。




何が良いか悪いかではなく、

思いっきり「やる事」を決めて行動する。

ということが大事。

(これをやるから、結果としてこれはやらない!と決めて行動すること)





その決めて行動したことが

すでに答えであり、その答えに対して周りが

何と言おうがあなたの中では正解なんです。




動いたり、発信したり、公表したりすると

必ず賛否両論の反応があります。
肯定もあれば否定もあります。



否定を恐れて、否定されない答えを求めて生きる人生ほど勿体ものはない。


限られた人生の中にそんな余裕はないはずです。



かの有名なスティーブ・ジョブズの迷言にも以下のことばがありますので紹介します。




ーーー
”あなたの人生という時間は限られている。

だから、他の誰かの人生を生きるなどという時間は無いんだ。




誰か他の人達が考えた人生に従って生きるなどという教えに囚われてはいけない。


自分の内なる声を、他の誰かの意見で押し殺すなどということをしてはならない。




そして、もっとも大事なことは、自分の内なる声と直感に従う勇氣を持つことだ。


どういうわけか、それらは、あなたが本当はどうなりたいのか、とうの昔から解っているのだから。

他のことは全て、二の次でいい。”

ーーー


誰かが作った正解に合わせようとせず

自らが決めたこと=“正解“を信じて人生の取捨選択をして欲しいと思います。








今日はとても良い1日でした。




人の本来持つ

素直で純粋な心。



悔し気持ち

悲しい気持ち

苦しい気持ち



相手を大切にしたい気持ち

仲間を想う気持ち



助けたい気持ち

助けて欲しい気持ち





そんな


人として当たり前に抱く

感情に触れ


自然と感謝の気持ちが

心から湧き出てくる日でした。




出会えた1人1人に

心から生まれて来てくれてありがとう。



感謝。





ども。

沖縄で家族愛を
追求しながら

人と人が物理的にだけじゃなく
心と心が本当に繋がる
お手伝いをしている

ZEROチーム・コーディネーターの川上です。



家族の愛がベースにあると
必ず人と人は繋がる。

他人ですら繋がることができる。
というのを信じて
日々追求の繰り返しをしています。



僕の肩書きになっている
「ZEROチーム」の意味ですが



”チーム”というのは
2人以上の人の集まりのことを
指しています。

パートナーであれ
家族であれ
団体であれ
組織であれ
会社であれ
地域であれ

2人以上の事を総括してチームと
定義しています。



”ZERO”というのは
無=形のない
原点
プラスでもマイナスでもない
円(縁)
◯(丸)
元に戻る(どの数字を掛けても0)
今(今の時点がスタート)
可能性
全て

というとても1つでは定義できない
抽象的な意味として表現しています。

人が最終的に行き着くのは
「ZERO」だと思っているので

そういう意味では終わりがない
生きている限りのテーマです。



なぜ、僕の価値観に
そのような考え方が入っているのか?


それは、間違いなく
両親の影響がとても大きいからです。


僕の母親は
周りからマザーテレサのような
愛情の深い人だ。と言われるくらい
家族愛が深い人。

一方で父親は
家族愛を知らずに1匹狼で
生きてきた誰も寄せ付けない
強さを持った人。

コテコテのThe母親と
コテコテのThe父親の
間に挟まれ育ったのが僕。


全く異なる
両極端過ぎる(振り幅が大きい過ぎる)
2人の特性を受け継いだのか僕。


おかげで
何が正解か何が不正解か分からず
葛藤、苦しみ、悲しみの連続も
ありました。


しかし、
正解や不正解ではなく
すべては「◯」なんです。

”ZERO”なんですね。
(この両親の間が、ZEROなんですね)



この価値観が僕の強みであり
価値であり使命なんです。


だから、
家族の愛がベースにあると
必ず人と人は繋がる。

と言い切るんですが、、、


僕自身、その自分の特性を
間違えて使ってしまうと
(もしくは使わないと)

逆に、繋がりどころか
「絶縁」になります。
(過去の僕がそうだった)

今はようやく使い方が分かり
人と人との繋がりを増やしています。
(僕自身の繋がりというよりは、
クライアントのチームのつながりがメイン)


”チーム”で何かの課題や問題を抱いている人
”チーム”がもっと良くなることを望んでいる人。


そんな人に対して
”ZERO”の考えを軸にした
セッション、コンサルを提供して
”ZERO”にするのが僕のビジネス。


明日も「ZEROチーム」が誕生するのを
願って♪ 感謝。



(絶対に伝わらんわー。この自己紹介)



チャオ_φ( ̄ー ̄ )




















外に対しての感性


世の中の動きに対しての直感力


人に対しての敏感な洞察力





そんな能力がありながらも



自分が描いているものが中々形にできない、、、


自分が伝えたいことが、うまく表現できない、、、


結果として、家族やチーム、組織がバラバラになっている、、、


物理的には一緒にいるのに、心と心が通っていない気がする、、、






自分が描いたもの

理想とするものに共感してもらい

一緒に未来に向けて歩みたい!





1人で悩んで苦しんで

1人だけで頑張るのに疲れた、、、。



どうにか今の状況を打破して前に進みたい、、、。


今の状況を誰かに共有して分かってもらいたい、、、。






と思っている人。





そんな人を応援したいな~。

ってふと思った今朝のひと時。



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