社会復帰してから約2ヶ月が経った。
相変わらず薬は毎日飲んでいるし、寒くなると首は痛くなるし、
「完治」という表現には程遠い毎日を送っている。
でもなんとか「普通」と表現できるような食事をして風呂に入って、車の運転をして、という日々を過ごしているし、復帰してから仕事も欠勤していないし、
側から見れば「なんだ」という印象を受けかねないように思っている。
病人であるということを理解してほしい気持ちはさらさらなくて、むしろ自分の病気のことを知っている知り合いが一緒にいて誰かと会った時に「こいつさぁ」となる時以外は自分からまず病気のことを語る機会はない。
最近はめっきりそういうことを質問されることもなくなった。それは楽だ。
でも電車に乗ったりすると「私、これでも去年は生きるか死ぬかだったんですけど」と我が物顔でシートに座っている兄ちゃんにマジ蹴りでも入れてやりたくなってしまう。本当に人間って勝手な生き物だ。とりあえず自分は電車通勤の人生は無理だ。
この社会復帰してからの間にクリスマスとお正月と誕生日とバレンタインを迎えた。
生きているだけで感謝していたクリスマスから、だんだんと欲が出て、なんだバレンタインなんてなぁとクヨクヨする自分がいることに気づいた。でもよく考えよう。最初は生きているだけで「丸もうけ」だったのではないか、ということに。
普通の人が「あの人が好きだ」とかロマンスを繰り広げている間に自分は一つ年をとった。何もそんなことがないままに年をとった。仕事から帰ってドラマを見ててもふと思う。あの一年ってなんだったんだろう。自分の32年間ってなんだったんだろう、と。
何を手に入れることができたのか?1億でも稼いだのか?結婚したのか?宝くじにでもあたったのか?
そうだ。何もない。
何も持たない。何も望まないというライフスタイルがもてはやされているようだが、自分はそんな人生をカッコいいなと思いながらも、欲しいものは欲しいと思っている人間だ。
大きな車や家、綺麗な奥さんに子供。ウッドデッキで毎週末のバーベキュー。欲しくないなんてウソだ。かえってそれを隠している方がしんどい。
もっとオシャレになりたいと思っているし、心の中ではやっぱりカワイイ彼女が欲しいと思っている。当然といえば当然だ。
でも自分の今の状態ではなぁ、とかもうこんな辛い思いを繰り返したくない、という感情が渦巻いていて、どうにもならなくなっているのも事実。
社会人になる前(今でもそうだが)は放送作家になりたかった。この仕事の一番の魅力は「誰かの人生を変えることができるかもしれない」ということ。
豊かな人生を送るために必要なことって日々のちょっとしたきっかけなのかもしれない。ということを学生の時からずっと考えていて(自分がそう変わりたかっただけ)これならば、一回の仕事で何万人という人に情報を届けられて、かつ誰かの人生を変えることができるかもしれない。そのチャンスも多い。そうなったらものすごく自分も幸せだよなぁと考えたのだ。
今まで生きてきて、自分は正直に「幸せだなぁ」と感じたことはほとんどない。
むしろ幸せってどういう感情なの?と思うくらいに生きてきた。
おいしいものを食べたりして正直に「幸せ!」とアピールできる女の子や友達を見てずっと羨ましいと思ってきた。自分が幸せになること自体「おこがましいのかも」とも思ってきた。
だったら誰かの人生を幸せにする方が向いているんじゃないか、と考えたのだ。
幸せの種というのは調べるといろんなところに転がっている。
これが幸せ!というのはネットで検索すればいくらでも出てくる。
そうか。こういう状態のことを幸せっていうんだな。理解はできる。
まだ放送作家にはなれていない。いつなれるかもわからない。でもなりたい。
でも生活していかなければならない。それには仕事だ。そこで今の自分の仕事で
一体どのくらいの幸せを届けることができるのかを徹底的に考えることにした。
何回も繰り返しになってしまうが、今自分は「普通の幸せってなんだろう」くらいのことをすごく考えている。
すごく考えている、というのはいつも考えている、ということだ。それほど深く考えているわけではない。だって答えはシンプルだもの。
誰かと一緒になって家族を作っていくこと。
だと思う。
でも今の自分はそれを全く見据えることができない。
吐き気がするくらいだ。
素直にそうなりたいと思えるようになるにはもう少し時間がかかりそう。
しばらく一人でいいや。
ずっと一人ならそれはそれでいいや。くらいの感じ。
人生は一回しかないからね。
やりたいことやって、笑って生きていこうね。