職場復帰して半年が経った。

時間の流れは早いもので、自分のやりたいことや日々に追われているうちにあっという間に時間が過ぎていくのを感じている。

時間ってこんなに過ぎるの早かったっけ?と痛感。

 

冬の寒さに頭の血管が爆発しないかビビりながらの職場復帰。

それからなんとか冬を越えた先にあったのは繁忙期。体がもつだろうか?という不安に押しつぶされそうになりながらも、なんとか乗り越えた。

その間に自分の体は疲れがこれだけ溜まるとピンチなんだな、とか限界も見えた気がしている。

 

この間、「脳が壊れた」という本を読んだ。

ネットで見つけて近所のブックオフに駆け込んだら一冊だけあったという運命の出会い。

これが面白くてあっという間に読んでしまった。一番自分の中で引っかかったキーワードは「感情失禁」という現象。

笑っちゃいけないところでもつい笑ってしまったり、そういう人は世の中にたくさんいる。

でも脳の病気になるとそれがやっぱりコントロールできない(理性が弱い)のを感じることがたびたびある。自分は大脳の血管が詰まったわけではないので、理性を司る部分に影響は出ないはずなのだが、それでも病気後は自分の感情が

うまくコントロールできずに「それ違うでしょ!」なんて声を荒げては「はっ」とする場面もあった。

 

でも今まではいろんなことで自分を押さえつけてきた人生だったので、これくらいでちょうど良いのだろうと思うことにしている。

無理して自分を変えようと思うのではなくて、ありのままの自分の方が人生楽しいに決まっている。そんなことに30過ぎて気付かされるなんてなぁ。遅咲きもいいとこだ。

 

他にはちょっとでも感動する話を聞くと、一人で乙女のように号泣するようになってしまったし「これ欲しい!」と思ったものが今までのように「本当に欲しいの?」なんて考えこむことも少なくなった。

え?欲しいから買えばいいんじゃないですか?お金、あるんだし(そりゃ社会人だし多少は、ね)

なんて気づけばコンバースを色違いで3足も買ってたり、リュックをいきなり2個もポチってしまったり(下調べはしてるけど)するようになった。

今までの自分からは考えられないような決断力(別のとこで使えって話)

 

でもなんとか生活できているので、ま、いっかという感じ。

「死んだらなんにもならないし」という言葉が魔法のように自分に語りかけてくる。

「じゃあ生きてるうちに買っちゃえ!」

 

相変わらず血は薬の影響で止まりにくい。昨日も左のヒジ(温痛覚が無い方)に大きなかさぶたを発見。いつ!?なんて部屋で一人パニック。

でもまぁ、生きてるし、いっか(笑)

疲れると、肩甲骨のコリが半端ない。首も目の神経もしんどくて「これは無理かな」と思ったことも何回かある。でも付き合っていくしかないのだ。いろんなサイトの記事やブログを読んだりして、ちょっと便秘気味なのも病気の影響なのかしら、とやたら豆乳やヨーグルトを口に運ぶ日々。頭痛が起きるとちょっと怖い。

 

あれもしたい、これもしたいの夏がそろそろやってくる。

友達が絶望的に少ない自分にとっては、フェスとかホントうらやましくて泣ける。

しょうがないので、LCCでも使って九州か北海道の旅もいいな、なんて思っている。

冬に会社の同僚がバリに行く計画らしい。「エステとかマッサージとかすごいのよ!」なんて聞いては「とりあえず今の自分はバリ島じゃねーな」と再確認する日々。

 

あと2ヶ月で運命の1周年がやってくる。それまで元気に生きているだろうか?来年も5年後もこうやってくだらないことを言っていられるだろうか?

友達は増えているだろうか?家族はいるだろうか?

どんなに絶望的な状況でも頭の隅で「一億あったら何買うかな」とか考えている自分がいてちょっと情けないのと同時に、それでいいんだよね、と思う自分もいるのです。

 

 

 

さて、長いまとめです。

人は生きているだけでメンドくさい生き物です。

お金がかかるし、一人じゃ生きていけないし、誰かに迷惑もたくさんかけています。

あれも欲しいこれも欲しい。なんであの人だけ、どうして私だけ。なんて。

それを考えても仕方のないことだとわかっているけど、今湧き上がっているその感情をどうにかしようとして、必死に誰かに迷惑をかけています(笑)

 

でも生きているのだから、意味があるのです。

神様なんて信じてはいないけど、生きることを許されているのです。

ということは誰かのために、社会のためにきっとその人ができることがあるのです。

それを忘れたらきっと何の幸せも掴めないまま、感じられないまま、自分の人生を終えることになります。

 

世の中は「まぁそれでもいいけど」というゆるい価値観を良しとする見方もあります。それがストレスなく長生きできる秘訣なのだという意見もきっとあるだろうと思います。

今の自分はできるだけバックパックにいろんな荷物を詰めて、忙しく世界中のひとに自分のことを正直に語りたい気持ちでいっぱいです。

何も成し遂げることのなかった情けない今までの人生こと。病気のこと。これからどうしたいのかということ。

 

病気になった瞬間、実は「選ばれてしまった」という思いが自分のなかにありました。こんな情けない自分だから選ばれてしまったのか?自分はこのまま死んでしまうのか?というとても漠然としたものですが。

 

でもあれから10ヶ月が経過してまだ生きています。満足のいく人生には到底追いついてません。やり残したことがいっぱいです。そりゃそうです。何もしてこなかった人生なんですから。

「生きてていいよ」と言われた以上、その全部をやる許可を与えてもらいました。

その代わり「あの子じゃなくてもいいよね」とあっさり彼女との関係も破棄させられました。

 

なんで今になってさぁ、と裏ではさんざん当たり散らしました。

この瞬間「神様」という概念は自分の中から消えていきました。

でもいいこともあります。占いなども全く信じなくなったので毎日気分は晴れ晴れしています。

「こうなんだって」と言われても2秒後には忘れています。

 

世の中はここまで大変な思いをして生きている人間に対しても不公平なことばかりです。

でも不公平なんだと予め理解していたらなんとも思わなくなりました。

なので意外と良いことがあった日は「いい仕事してるじゃないか」と神様を上から目線で褒めてあげることもできるようになりました。ドラッカーもびっくりのマネジメント術です。

 

そんな神様を頑なに信じている世の中の人を自分は「神様はそんな働きものじゃないぞ」と心のなかで教えてあげています。

でも正面からいうとただのイヤミなおじさんなので、とりあえず自分が優しくしてあげることにしています。おまかせください。

 

きっと明日もなにかがあって、知らない人とあいさつして、1日が過ぎていきます。

一体いつになったら自分の人生に満足できるのだろう?と布団の中で不安になることがあります。

このまま明日、目が覚めなかったら?やっぱあれ買っておくべきだったなぁとか。

しかし最終的にはスケべなこと考えてるうちに寝落ちしてるような毎日です。

 

現実とのギャップに正直に向き合いながら、いつか本当の眠りにつくとき

「幸せだったな」と思えるよう、笑って生きて行きたいですね。