上司に辞令が来ました。転勤だそうです。

人との別れはとてもつらいものがあります。

 

今の上司は自分が倒れて、ものすごく迷惑をかけてしまった方です。

一番失礼なのは、自分が去年転勤してきて、わずか一ヶ月で離脱してしまったこと。

何もわからない、何も実績を残せていない状態での離脱に「おい!」となったと思います。

 

でも自分が職場復帰してからもサポートしていただき、なんとか半年で顔向けできるくらいの実績を上げることができました。

そんな方の辞令なので、とても心が痛みます。

「がんばれよ」と言われたけど。とても頑張る気になれない次第です。

 

社会人になってから最初に勤務した店舗はとても雰囲気の良い場所でした。

仕事終わりに、食事に行ったり、職場の人たちの家が近かったことも幸いしてました。

 

正直、就職活動に失敗した自分はもぬけの殻の状態で、しぶしぶ今の会社のアルバイトに申し込みました。

期間限定の短期採用です。働きながら他の企業の採用試験を受けるつもりでいました。

 

しかし世の中はうまく行かないものです。

その2ヶ月の間も、自分は企業の採用試験に落ち続けました。

もうぐうの音も出ないほどの惨敗です。

「今までの人生ってなんだったのかな」そんなことを思う毎日でした。

 

しかしまた巡り合わせというのも、わからないもので、他の会社、他の会社、と採用試験を受けながら、今の会社で長期採用になり、試験受けてみる?と言われて受けてみたら社内試験に合格。そのまま本採用になってしまいました。

 

「3年だけ」そう自分で決めた会社がそろそろ10年になります。

その間に転勤も経験しました。一人暮らしを始めてもう7年になります。

立派なおひとりさまです。

 

新しい後輩もどんどんできました。ものすごく才能があって、あっという間に仕事を覚える者。わずか一ヶ月で「やめます」ともなんとも言わずに会社へ来なくなる者。

いろんな理屈をごねては、なかなか自分の仕事をしない、意識高いだけの甘えんぼもたくさん見て来ました。

 

そんな中、ある上司の下で働くことになりました。

今はもう時効ですが、当時、今の会社の労務管理はずさんそのものでした。

働き方だけ見たら、立派なブラック。いや、ツヤのあるピアノブラックです。

 

早番で来て、自分の仕事を終えても「売り場改装」といって定時でカードを切って、夜の10時過ぎまで売り場を作る日々が続きました。いつになったら帰れるのだろうか?そればかり考えているうちに仕事がとてもつまらないものになっていきました。

 

「この売り場どうですか?」

「ちげー」

「どこがですか?」

「うまくいえないんだよね、感覚だから」

 

この会話だけ文字に起こしたらただのいじめです。

まだ、その上司の管轄から少しはずれた部門にいたので、そのような確認を取るだけで済んでいたのですが、ある年から部門が変わって、その上司の直属になった途端、勤務環境は悪化の一途をたどりました。

 

今まで自分がやったことのない部門なのでわからないことだらけです。

 

「それ!ちがう!」

え?なにが、どうちがうの?

 

「あの売り場、どうするの?」

え?もう変えなくちゃいけないの?まだわからないし

 

「あれ、やったの?」

え?それ、なんですか?はじめて聞いたんですが

 

とにかく一つのミスも間違いも許されないような環境で、自分の人格や生き方を徹底的に否定される一年が続きました。

その中で上司が自分を「本当つかえねー」とあきれるたびに、最後に言い放つ言葉がありました。

 

「いいか?ここで俺とお前が一緒なのも何かの縁だ。来年は違う店で働いてるかもしれない。だから今の時間、絶対無駄にすんじゃねぇ。お前は俺から一体何を学ぼうとしているんだ?」

 

自分としては、その上司と一緒に働いていること自体が時間の無駄だと思うようになっていました。休みの日も上司からの怒りの電話に怯え、外に出かけることができなくなりました。

 

どうしようかな。こんな人生、初めから無ければよかったのに。

上司が転勤でいなくなる直前は朝の8時から夜中の2時までぶっ通しで働いていました。ただの奴隷です。家に帰って2日連続で泣きました。

 

ついに我慢できなくなって、休みの日に実家に戻り、両親に「辞める」と言いました。

それまでの衰弱具合を見て来たので、両親は「次の職場探してからね」と、それ以上は何も言いませんでした。

母親はとにかく世間体が命みたいなところがある人で、よく近所の同級生と比べられていました。

「あそこの○○君、あそこの高校受けるんだってさ。なんであなたはさぁ・・・」

 

あまりにも自分の出来が悪いのと、母親の見栄が折り重なって、自分のことを親に話すようなことはしたことがありませんでした。考えることはあっても「どうせ」という思いが先に浮かんで、だったらいいや、という感じです。

 

でも「辞める」と宣言しての母親の反応は意外だったので、正直、こんなに世間体ばかり気にする人でもとりあえず息子のことは心配なんだな、と少しだけ安心しました。

あ、父親はそういうことあまり口にしない人です。それにも助けられました。

 

それから母親が勝手に手配した心療内科に通うようになりました。

休みのたびに実家へ戻り、通院する日々。

その間もクソみたいな勤務は続きました。

 

今日の辞令の話を聞いて、まず思ったのはそのことでした。

「人の縁」というものをこれほど感じた一年はありません。

良いことも、悪いことも、他の人の10年分くらいを一気に消化した感じです。

 

正直、転勤してくる直前、今の上司の評判というものは「怖い」一辺倒でした。

人生で一番軽蔑している先輩から「お前なんかチンッチンにすぐやられちゃうからな!あっひゃっひゃ!」と言われていました。頭のとても悪い先輩なので、気にしないことにしてましたが、やはり気にならないといえば嘘になります。

 

ここでとりあえず親に相談しました。

「また強烈な上司の元で働くことになった。今度あんなことがあったら辞めると思うので、そのときはよろしく」

親はとりあえず「そのとき考えましょう」とだけ送ってきました。

 

そうやっていざ転勤してみたら、です。

この人ほど自分に合う上司はいない、と感じるほどでした。

そりゃ怒れば怖いです。でもそれは自分が悪いことをしたから。

今までさんざんこき下ろされて来た自分の売り場の作り方が「良いじゃん」と言われるようになったのです。

 

まず最後までやらせてくれる。この環境は今までありませんでした。

どこかで修正が入って、どこが自分のミスなのか、理解する機会がなかったのです。これは後からわかったことですが。

 

最初から最後までを考えて仕事を行うことで、自分の至らなかった点が見えて来ます。

次の仕事でそれを活かせば、自分のスキルが上がっていることを手に取るように実感できます。

なんでこんなことがわからなかったのか?とてもつらいものでした。

 

そんなやる気に満ち溢れた瞬間、病気で倒れてしまいました。

復帰してからも、上司は「がんばろう」とサポートを惜しみなく送ってくれました。

仕事って楽しいんだな。これは久しぶりの感覚でした。

 

そんな上司の転勤は自分にとってとてもつらいものです。

次の上司が同じように仕事をさせてくれる方かどうか、なんてわかりません。

気に入られなくて、細かいどうでも良いような部分をネチネチ指摘されるかもしれません。

また、長時間勤務の地獄に足を踏み入れなければならないかもしれません。

 

でももうそんなことができるカラダではないので、そうなったら速攻で辞めます。

もう一生分くらい、ストレスも辛いことも経験してきました。

前向きに生きることのできない自分に何回苛立ちを感じたでしょうか。

 

何回、他の人をうらやましいと妬んだことでしょうか。

時間が元に戻せない以上、これからの時間を有意義に使うしかありません。

 

どうやら私が送別会の幹事になりそうな予感でいっぱいです。

上司が「こいつと仕事できてよかったな」と思えるよう、最後の最後まで

全力で向き合うつもりです。