自傷行為をしてた頃の話。 | 高校中退者が塾長になった話。

高校中退者が塾長になった話。

都内の私立高校を半年で中退し、その後10年のブランクを経て、高校卒業程度認定試験を取得。大学に進学。紆余曲折あり、塾長になった話。

小話をひとつ。


自傷行為についての記事です。

苦手な方は

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健全(?)な

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私が最初に自傷行為を行ったのは、

中学3年生のときだった。


何かからぼんやりと得た知識で

特に理由もなく、

左手首をカッターで切ってみた。


浅い傷だったが、

傷口はすぐに赤い血液が滲んだ。

痛みは感じなかった。


今となっては、

保管してあるのか処分したのかわからないが、

自分のリストカットをした出来事を

当時の想いと

イラスト(数少ない友人に描いてもらった)に

おさめて、ひとつの作品にした記憶がある。


私は昔から詩を書くことが好きだった。

今となっては、覚えていないが、

友達がほとんどいなかった中学時代、

よく詩を書いていた。






時は経ち、

しばらくの間は自傷行為の存在を忘れていた。


18歳になった私は、

自分史上、最も大きいと言える失恋をした。


途端に荒れ狂う生活。

左の手首から肘裏まで隙間なく傷つけた。


やっぱり浅い傷ではあったが、

その後1年は、その数が消えることはなかった。


傷つける場所が左手しか思いつかなかった私は

次に、目の前にあった

小瓶に入ったビタミン剤を一気に飲み込んだ。


人間の体はうまく出来ているようで、

体内に一気に入ってきた錠剤にビックリしたのか

すぐに吐いてしまった。


その次に手を出したのは、

当時通っていた心療内科で

処方されていた睡眠薬だった。


不眠症に悩まされていた私は

毎晩、睡眠薬を飲んで眠りにつく生活を

送っていたが、

寝れない恐怖と苦痛から

服用してすぐになど効くはずのないのに

「薬を飲んだのに寝れない!」と

追い睡眠薬をするようになっていった。


精神安定剤も同様、

嫌なことがあると処方された分の薬を

ありったけ飲む生活。


当時、母との折り合いがつかず、

家出を繰り返していたが、

気まぐれに母と出掛けることになった。


場所は、地元から電車で20分程の繁華街。


毒親ではあったが、

共依存とも言える親子関係だった。


久々の母との買い物に、内心張り切っていたが、

当時、精神安定剤を飲む生活を送っていた私は

繁華街に出掛けることが不安だった。


母との待ち合わせ前、

手持ちの精神安定剤を全部飲んだ。


母と落ち合い、

大量の安定剤を飲んだことも忘れ、

買い物を楽しんでいたが、


気付くと、

病院のベッドの上にいた。


街中で私は倒れたらしい。


大事には至らなかったが、

こっぴどく医者や母には叱られた。


何度かオーバードーズを繰り返す日々が

続いたが、引越しやら何やらで

心療内科自体に通わなくなり、

精神安定剤や睡眠薬から卒業した。


リストカットの傷は、消えかけていたが、

アルコールを摂取すると、

傷が浮き出てくることが数年続いた。


今では、精神安定剤やリストカットから

無縁な生活をしていて

自分から打ち明けない限り、

誰にも気づかれないが、

事実として、そのような行為をしたことはある。


いつしか、自暴自棄になったときには、


    

  • セルフで髪色を染める
  • 美容院に行く
  • ネイルをする
  • ピアスを開ける


など、世間から許された形式で

気分を変えるようになった。


今でも、

その行為をしている人を

否定しようとは思わないし、

人間、どうしようもないときもある、

と思っているけど、

一歩間違えたら死に至るリスクや、

死ぬまではいかなくとも、

消えない傷を見て、

理解してくれる人ばかりではない、と思う。


ただ、

ファッション感覚で自傷行為を行い、

それを他人に見せびらかしたりする行為は、

間違っていると思う。