おいらがバックパッカーになるまで① | 元バックパッカーのぼやき

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今でこそおいらは 「元バックパッカー!」 などと

「バックパッカーでした」 ということを自負しておりますが

元々おいらは 「バックパッカー」 などという言葉は、全然知らない人だったんです。




「バックパッカー」 の意味は、バックパック旅行に出かけてから初めて知ったわけで

ふと気が付くと、バックパッカーになっておりましたという・・・。

最初から 「バックパッカー」 を決起していた人ではなかったんです。 意外でしょう?




2002年 1月

それまで長年勤めていた、地元四国の旅行会社を退職したおいらは

大韓航空のバンコク行き往復航空券(1ヶ月FIX)を5万円で購入しました。

元々タイ(ハジャイ)に友達が住んでいたので、その友達に会いに行く為の訪タイだったんです。




「1ヶ月間の旅行」・・それは今までさんざん働いてきた自分への「ご褒美」のつもりでした。

1ヶ月も海外へ行くなんて、自分の中では途方もないことだと思っていましたし

おいらにとって 1ヶ月 は 「とてつもなくスケールの大きい旅行」 のつもりだったんです。




最初、いつも通り、スーツケースで行こうと考えていましたが

タイの友達の勧めもあって、動きやすい 「大きなリュックサック」 を購入することにしました。

大きなリュックサック・・つまり 「バックパック」 のことですな。

これを背負って旅する人のことを 「バックパッカー」 と呼ぶわけですが

この時のおいらは 「バックパッカー」 という意味も知らないで、バックパックを購入したことになるのです。




出発の前日。

バックパックを車に積んで、地元・宇和島から夜通しで運転して徳島港へ向かいました。

翌朝、徳島港に到着し、港の駐車場に車を停め(徳島港は駐車代が無料なのだ)

バックパックを背負い、フェリーに乗り和歌山港へ。 和歌山港から南海電車に乗り換え

目指すはもちろん関西国際空港! 関空から、大韓航空に乗り(ソウル経由で) いざ、バンコクへ!!




今思えば、この時が 「バックパッカー」 として 「初めての旅立ち」 だったのかも知れません。

1ヶ月間、タイのほかに、マレーシア、シンガポールなども満喫したおいらは

帰ったらスグに 「地元・えしめ県で真面目に就職するつもり」 でおりました。




しかしこの1ヶ月間で、おいらは様々な 「バックパッカーさん達」 と出会います。

そして 「超筋金入りのバックパッカーさん」 なる人物と仲良くなり、世界の様々な話を聞かせてもらい

単純なおいらは 「バックパッカーなる人物」 から 「衝撃」 を受けてしまうのでありました。




バックパックを背負い、安いホテルを泊まり歩き、現地の人と同じものを食べ

旅行会社に頼らず、自分で乗り物や観光の手配をして、何年もかけて気ままに世界中を放浪する・・。

このようなスタイルで、何年も日本を留守にしているという旅人さんに何人も出会い

「こんな世界があったのか・・・」 と、おいらは目からウロコだったのです。




この時に初めて 「バックパッカー」 という言葉を知ることになります。

それまで本当に 「バックパッカー」 の存在なんて知りませんでしたし情報もありませんでしたし

こんなスタイルの旅行があること自体、おいらにとっては純粋に驚きだったのです。




1ヶ月はあっという間に経ちました。

いよいよ帰国です。日本に帰らなければなりません。

しかし、この時すでに、「地元で就職する!」 という考えはおいらの頭の中にはありませんでした。




「おいらもバックパッカーやる!!」

そうです、頭の中は 「バックパッカーとして世界中をうろつきまわる」 事でいっぱいです。

一旦帰国をし、宇和島に帰ったおいらですが、すぐさまバンコク行きの格安航空券を購入し

帰国して僅か4日後、再びおいらは関西国際空港から出発し、日本を脱獄するのでありました。

まさに深夜特急っ!! こんばんわ~島木耕太郎で~す。




しかし・・・

これが 「約3年間にも及ぶ バックパッカー生活の始まり」 だったなんて

この時のおいらは、全然気が付いていなかったのです・・・。




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