御朱印めあてで寺社巡りする@名古屋市街(2019/11/30-12/01)① | パンダの音楽

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昨年(2019)11/30(土)~12/1(日)にかけて、名古屋市内の寺社を巡ったことを記事にします。浜松から名古屋へは新幹線ひかりで30分で着く、私にとって身近な都会です。ここ数年の御朱印ブームに乗っかったていですが、これまで何度も「さわやかウォーキング」などイベントに参加し、いくつもの寺社を参拝することがあり、「せっかくだからご利益にあやかりたい」という気持ちが募るようになりました。
そして、今回は自主メニューで名古屋市街にあるメジャーな寺社を御朱印めあてに巡ることにしました。Googleで「名古屋 御朱印」で検索し、ヒットした寺社は10ヵ所ほどありました。その中でも筆頭にメジャーなのは「予想どおり!?」熱田神宮と大須観音、他に日泰寺、七寺(長福寺)、万松寺、若宮八幡社などがヒットしました。七寺など大須観音の近くに御朱印スポットが集まっていることがわかり、JR名古屋駅から遠い寺社から参拝することにしました。
そして1ヶ所めに訪れたのが、日泰寺(にったいじ)です。冒頭の画が山門になります。

千種区は東山動植物園の近くにあるお寺で、県道60号線(名古屋長久手線)で覚王山交差点を北へ向かったところにありました。私は名前も所縁も知らないお寺でしたが、到着してまず、規模の大きさに圧倒されました。
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明治37年(1904)に覚王山日暹寺(かくおうざんにっせんじ)として創建、本尊は「釈迦金銅仏」、どの宗派にも属していない「日本で唯一の超宗派」として知られる。明治33年(1900)にシャムの国王=チュラロンコン陛下から日本へ真舎利=釈迦の遺骨が贈られたのが起源とされる。シャム国がタイ王国へ改名されたことにより、昭和24年(1949)に「日泰寺」に改名する。
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…云々。つまりはシャム国との交流により建てられたお寺で、「日泰」の「日」は日本、「泰」はタイを表しています。
境内には五重塔がありました。筋雲が流れる澄んだ青空に陽射しを浴びて、より神々しく見えました。

明治時代創建の寺院で、鐘堂も新しい印象を受けます。
立派な青銅の鐘が吊り下がっていました。東山の界隈に鐘の音がよく響き渡りそうです。

こちらは「日本国民への贈り物」として釈尊の遺骨を賜われたシャム国王:チュラロンコン陛下の像です。欧米列強国がアジアの各地を植民地化していく時代に、日本とシャム:ともに独立国として励まし合うものもあったように感じられます。

荘厳な雰囲気に包まれ、ふんわりとした気分で寺をあとにしました。加えて、日泰寺のホームページがありましたのでご案内です。リンクはこちらです→覚王山 日泰寺
次に訪れたのは熱田神宮です。いつも名鉄に乗って参拝していたので東海道線でJR熱田駅に降りてからの徒歩にチャレンジ、が、慣れない土地で遠回りしてしまい、思いの外到着まで時間がかかってしまいました。
上の画は名鉄神宮前駅で、直ぐ近くに名物の銘菓「きよめ餅」のお店があります。
こういう、飾り気のない木製の鳥居が伊勢神宮の系統らしいですが、歴史の深さはひしひしと伝わります。

ちょうど七五三詣りでの家族連れの参拝客も多く、それなりに参道は賑わっていました。

名古屋の都心にあって豊かな緑の中の散策、心が洗われます。

境内にある大楠の画。弘法大師がお手植えとも伝えられていて、樹齢1,000年以上あるといわれています。
これで古めかしい木の鳥居の3つめをくぐります。境内に入ってから約8分ほど歩き、ようやく本宮の社殿が見えてきました。

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御祭神は「熱田大神(あつたのおおかみ)」、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とする天照大神(あまてらすおおかみ)のこと。相殿神(あいどのかみ)は天照大神、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、武稲種命(たけいなだねのみこと)の「五神さま」と呼ばれ、いずれも草薙神剣と縁の深い神々である。御代43年(113)日本武尊は御東征の後、宮簀媛命のお手許(名古屋市緑区大高町氷上)に神剣を留め置かれて亡くなる。宮簀媛命は日本武尊の御遺徳を偲び、神剣を熱田の地に祀られたのが熱田神宮の始まりである。

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…云々。伊勢神宮の内宮の遷座の際に「草薙神剣」がTVなどで報道され、全国的に知られた神社ですね。
上の画は熱田神宮の境内マップです。森の中にいく筋の歩道が整備されていて、地元市民の方々に散策やジョギングなどで使用され親しまれているのです。
これは授与所の画、七五三詣りの参拝客でわんさか。御朱印めあてで立ち寄りましたが、意外とすんなり受付をしてもらい御朱印を頂戴しました。この日はお守りやお札を買い求める方が多かったのです。
上の画は神楽殿の正面を写したものです。ここもご祈祷を受けられる方々や結婚式など斎事に参列方々などで賑わっていました。
境内にある本宮以外の社祠や史跡・名勝をつまびらかに見てまわれば半日はつぶれてしまうくらいの、広大で御利益有り余るありがたいパワースポットなのです。なお、熱田神宮のホームページはこちらになります→熱田神宮
再び名古屋の中心街へ、大須観音へ向かいました。この辺りは寺院が多く建てられていて古くからの門前町なのであろう、アーケードのある商店街がタテ横に交差していて、歩いているだけで楽しいです。
名古屋へ出かける際に時々立ち寄るのだけれど、御朱印目当てで大須観音を訪れたのは初めてでした。
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寺号は「北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)」、もとは建久年間(1190年代)の尾張国長岡庄大須郷(おわりのくにながおかのしょうおおすきょう:現在の岐阜県羽島市桑原長大須)が発祥、元享4年(1324)に後醍醐天皇が北野天満宮として造営、その別当院として能信上人(のうしんしょうにん)が元弘3年(1333)に開創される。ご本尊は聖観音(ひじりかんのん)、後村上天皇は能信上人に帰依し「勅願寺となす」と詔を下す。戦国時代には織田信長が寺領500石を寄贈する。慶長17年(1612)に徳川家康が名古屋を建設造営するにあたり、現在地に移転させる。

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…云々。現在は「大須観音」と俗称され、「真言宗智山派(ちざんは)別格本山」として、その霊験を参詣されています。

大須観音の門前町となる商店街は海外からの観光客にも人気があって、この日もやはり中国人や台湾人の観光客で賑わっていました。
本堂となる「大悲殿」、もくもくと立ち込めるお香の煙をかぶって、ご利益を願いました。
なお、御朱印をくださる寺務所はこのお堂の脇にあり、知らないと近寄りがたいところにあります。大須観音のホームページはこちらになります→北野山真福寺宝生院
…と、やや中途半端ですが、ここで記事をくくります。11月30日(土)に訪れたのは日泰寺と熱田神宮のみで、大須観音から徒歩10分ほどにある洲崎橋近くのホテルで宿泊しました。翌12月1日(日)の朝いちに参拝したのが大須観音でした。行程:<1日め>浜松→(東海道新幹線)→JR名古屋駅→(地下鉄東山線)→覚王山駅→(徒歩)→日泰寺→(徒歩)→覚王山駅→(地下鉄東山線)→JR千種駅→(中央線)→JR金山駅→(東海道線)→JR熱田駅→(徒歩)→熱田神宮→(徒歩)→JR熱田駅→(東海道線)→JR名古屋駅→(名古屋市バス名駅17)→新洲崎橋バス停→ホテル(水主町)。<2日め>ホテル(水主町)→(徒歩)→大須観音。以上、2日めの行程をつづるべく、明日の記事に続きます。