さわやかウォーキング@刈谷(2019/10/06) | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

独自ヒットチャートの公開、お気に入り楽曲の紹介等を致します。

10月6日(日)のさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。「なるべく歩こう」と志すものの、結局9月8日(日)の天浜線ウォーキング以来、1ヶ月ぶりのイベント参加となってしまいました。

JR刈谷駅を降りるのは初めてでした。名鉄三河線との乗換駅で、JR東海道線の新快速も特別快速も停まる刈谷の街の玄関口です。

駅の南口がスタート、オレンジのジャージのお兄さん・お姉さん、駅員の皆さん、お疲れさまです。

調べたところ、東海道線豊橋-岐阜間では、刈谷は名古屋・金山に次ぐ3番めに乗車人員が多い駅なのだとか(2019年10月在)。さすが名古屋のベッドタウンとして栄えているだけあります。

この日は快晴、というか名古屋で最高気温28℃にもなる夏日でした。「天高く馬肥ゆる秋」とはよく言ったもので、オッサンはこれ以上ボリュームアップするわけにはいきません。

コースは刈谷駅(南口)=スタート→刈谷市交通児童遊園→ミササガパーク→田町のコスモス畑→本刈谷神社→市原稲荷神社→刈谷市歴史博物館→逢妻駅(南口)=ゴール。距離=約8.4km、所要時間=約2時間10分、コース題目は「秋の本刈谷神社と歴史博物館を訪ねて」です。

刈谷駅を出てJR東海道線沿いを南東方向へ、県道48号線(岡崎刈谷線)を進みました。

刈谷駅から約700m、約7分ほどで「刈谷市交通児童遊園」に到着。

デゴイチがお出迎え、この施設のシンボル的存在です。

昭和17年(1942)製造、現役時代は東海道線および中央西線で活躍、30年間事故に遭遇することもなく、約209万kmを走破しました。ラッキーナンバーをかかげた「D51777蒸気機関車」、あやかりたい存在なのです。

こちらのレトロ感満載の車輌は「名古屋市街電車」(=名古屋電気鉄道)のもので「1600型 電動客車」、昭和26年~49年(1951-1974)に笹島町~愛知県庁(現:名古屋市中区役所)の間を走りました。今は市民の憩いの場の中で温かく見守られています。

それにしても暑い日…、トランポリンで跳ねては噴水で水浴びする子供たち、かき氷がとても美味しそうでした。

こういったイベント参加でもなければオッサン1人では立ち入らない施設だし、そもそも誘拐犯に間違えられてしまいます。

アトラクションさえ乗らなければ無料で楽しめる施設、小さいお子様連れにはうってつけの公園です。

人口約15万人の規模の都市でこういった施設があるとはなかなか…、刈谷市は市民サービスが充実している街だと感じました。

「刈谷市交通児童遊園」を出てミササガ通り(刈谷市道)を南下しました。上の画は猿渡川(さわたりがわ)を渡る画。秋の空は澄み渡り、穏やかな水面が涼をさそいました。

「ミササガ橋」…えっ!?、「ミササガ」って日本じゃなくてカナダの地名なんだ!!。

「刈谷市交通児童遊園」から約800m、10分くらいで「ミササガパーク」に着きました。ミササガは「City of Mississauga」、カナダ最大都市トロントのベッドタウンで、一般的な発音は「ミシサガ」。

上の画の中央部右辺り…公園にあるでっかい赤いジャングルジムみたいなモニュメント…、よくよく見たらカナダの国旗=カエデの形をしていたのです。

しかしながら、刈谷市とミシサガ市がなぜ姉妹都市提携をしたのかはわかりませんでした。

「ミササガパーク」の猿渡川沿いはキャンプやバーベキューを楽しむ人たちが大勢いました。10月にしてこの夏日、ビールがすすみますね。

「ミササガパーク」を出て猿渡川を下流方向に進み、高須橋を渡りました。

高須橋にて上流方面を撮影した画。猿渡川は川幅いっぱいに水がたぷたぷと流れ、深い青に吸い込まれそうでした。

「下り松川」という猿渡川の支流に差しかかったところで、左に曲がりました。

下り松川沿いを下流方向に歩きました。画の中央に写るのは「刈谷豊田総合病院」というめっちゃ立派な施設です。

「ミササガパーク」を出てから約1.3km、10分ほど歩いてコスモス畑が広がる休耕地に着きました。

秋の風物詩、コスモス(秋桜)。キク科の植物だけあって、長く楽しむことができる花々です。

コスモス畑のある地名は「刈谷市田町」、まさにぴったしカンカンです。

さほど密集せず淡い緑の中にピンク・赤・白の花々が映えているのが何とも見事でした。

コスモス畑の片隅ではこんな看板が…「ん、シャボン玉?」

大変伝わりにくい画ですみません…。左側に写るハシゴの上の吹き口から、自動でシャボン玉がプカプカと風に乗っていきました。夏日でしたが「穏やかな秋の日」を演出してくれました。

「元刈谷環境保全会」という市民団体が育ててくれているコスモスたちでした。良い目の保養をさせていただき、ありがとうございました。

淡いピンクに濃いピンク・赤紫など、花それぞれ個性があり、まさに「十人十色」です。私はオーソドックスにこの画のようなピンク色の花が好きです。

10分ほど田んぼの畦道を散策し、コスモス畑を後にしました。

県道245号線(半城土広小路線:はじょうどひろこうじせん)に出て、深見橋にて下り松川を渡る画。川の両岸はうっそうと草木が生い茂り、ジャングルのように何か…いっぱいいろんなものが棲んでいるようでした。

「富士見町」交差点にて左折、交通量の多い通りを西へ進みました。

名鉄三河線をくぐる画。名鉄三河線は豊田市猿投(さなげ)駅から碧南(へきなん)駅を結ぶ約40kmの路線、知立(ちりゅう)駅で名鉄本線と交差しています。

「松坂町」交差点にて、県道48号線(岡崎刈谷線)の延長となる広い道路を渡るときの画。

「もみじのて」、良い表現ですね!!。横断歩道の手前にあるダイヤマーク…「横断歩道の前で歩行者がいる場合は停車しないといけない」のだけれど、なかなか浸透しないマナーですね。

田町のコスモス畑を出てから約3.2km、20分かけて「本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)」に着きました。

境内に牛の石像がありました。…つまり、天神さまを祀る神社ですね。

↑↑↑↑↑こちらが「本刈谷神社」のパンフレットです。「参拝の栞」って表現がシブいです。

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御祭神は「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」、「須佐之男命(すさのおのみこと)」、「菅原道真公」の三柱。当神社は従来元刈谷地内鎮座の「八幡社」「八雲社」「北野社」の三社を大正2年(1913)に合祀したもの。「八幡社」は「誉田別尊」を御祭神として大宝年間(701~703)に建立。「八雲社」は永仁2年(1195)に牛王天皇(ごずてんのう)を祀る天王社として建立されたが、明治元年(1868)に「八雲社」と改称し、「須佐之男命」を祀るようになる。「北野社」は建立年代はわからないが、菅原道真を祀る「天満宮」から明治元年(1868)に「北野社」に改称する。

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…云々。1300年余りもの歴史がある、農耕・雨乞・産業の神様であり、学業成就の守り神でもあるのです。

この日は年に一度の例祭(大祭)で、境内には屋台が並び、巫女さんの衣装を着た女の子たちが楽しそうに歩き回っていました。

社務所にて御朱印を待っているときの画。氏子のオジサンたちも白衣装束でキリッとした感じでした。

境内にある本刈谷貝塚の遺跡です。縄文時代晩期の貝塚で、多種多様な土器・遺物が出土しており、愛知県指定遺跡になっています。

暑いけど、風景だけは秋祭り。例祭の日の夜は、氏子の町ごとでお神輿が作られて、神社の近辺を練り歩くそうです。

「本刈谷神社」を出て、再び西方向へ進みました。「港町」交差点=県道50号線(名古屋碧南線)と51号線(知立東浦線)が分岐する地点付近に喫茶店がありました。

「珈琲家 暖香(だんか)」、何ともいい雰囲気な感じです!。「コメダ珈琲」で溢れかえっている愛知県にして是非立ち寄ってみたいお店でした。

県道50号線を北へ進み、「司町」交差点を過ぎて100mほどのところに赤い鳥居がありました。

ここで左折して「市原稲荷神社」の参道に入りました。

「本仮屋神社」から約1.5km、15分くらい歩いて「市原稲荷神社」に着きました。

「本仮屋神社」よりも敷地が広くて、いかにも由緒ある神社であることを直感しました。

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御祭神は「倉稲魂神(うがのみたまのかみ)」、「保食神(うけもちのかみ)」、「大山祇神(おおやまづみのかみ)」の三柱。伝承によると、かつて海中から浮かび上がった御神体を白狐が咥えて陸に上がったため、村人たちが社を建てて稲荷大明神を祀ったという。白雉4年(653)に亀狭山(現在の亀城公園)に社殿を創立したのが市原稲荷神社の始まりであるとしている。天文2年(1533)に水野忠政が刈谷城を築城した際、市原稲荷神社を現在地に移転させ、宝剣や神馬を献納して祈願所とした。永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで社殿が焼失するも、永禄5年(1562)に再建され、刈谷城の初代藩主である水野勝成以降、歴代刈谷藩主による寄進を受けた。慶安4年(1651年)以後、稲垣氏が刈谷城藩主の時代には市原稲荷神社、野田八幡宮、知立神社が「刈谷藩領内3社」とされている。

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…云々。「稲荷神社」ということで御祭神は百穀・食物・実結び…と農耕の神様です。けれど、戦国時代から江戸時代にかけて時の武将の挙動に振り廻された歴史があるのです。

社殿前にて。私がお賽銭を投げてお参りしているときに、どこかしらの企業の方々20名くらいが社殿内で御祈祷を受けていました。「うまく便乗した」カタチでいっしょにお祈りしました。

社務所の前にて。御朱印を待っている間、中に上がらせていただき、冷水をいただきながら扇風機の前でゆっくり休憩することができました。ありがたいことです。

「お稲荷さん」だけあって、可愛らしいキツネのお守りなどがたくさん売られていました。特に神社を案内するパンフレットなど手にすることがなかったのだけれど、公式ホームページがありましたのでご案内します。リンクはこちらです→「市原稲荷神社」。

↑↑↑↑↑ここにきてウォーキングのコース図を載せます。「本刈谷神社」と「市原稲荷神社」で特別スタンプが設置されていて、ついつい押してしまったのです。…ま、頑張った記念として…。

「市原稲荷神社」を後にして参道入口に戻ってから左折、県道246号線(刈谷大府線)を北へ進むと野球場が見えてきました。

球場のすぐそばに池があり親水公園になっていました。

実はこの辺りが刈谷城の跡地で、池は本丸を囲むお堀です。「亀城公園」として整備されていました。

刈谷城付近の2つの地図を並べて載せてみました。上図が江戸時代正徳期(1711~1716)の城郭位置図、下図が明治元年(1872)の街並みをベースにした刈谷城現況対照図です。

ウォーキングコース沿いの池は二ノ門と三ノ門の間にある城池なのでした。

亀城公園は池の周りにベンチが多く設置されていて、日なたぼっこしながら良い休憩所でした。

その後、程なくして「刈谷市歴史博物館」に着きました。「市原稲荷神社」から約1.0km、10分くらいの徒歩でした。

新しくて近代的なデザインの建物、しかも企画展以外は入場無料!。ここでも刈谷市の市民サービスのレベルの高さを感じました。

こちらが「刈谷市歴史博物館」のパンフレットです。いわゆる「郷土博物館」によくある歴史的遺物の他に、街をあげてのお祭りなど風俗関連の展示もあり、刈谷市の「地元ラブ」を感じさせてくれる空間なのです。

↑↑↑企画展は撮影NGなのでパンフレットの画像を載せました。この日訪れたときに見学できたのは「発掘された中条遺跡展」、入場無料でした。「中条遺跡(なかじょういせき)」は縄文時代から室町時代にかけての遺構・遺物が大量に出土し、刈谷の歴史を知る上で貴重な遺跡なのです。

縄文~弥生時代の海水面が高い時代は、刈谷市内の平坦地のほとんどが海の底でした。境川や逢妻川の近くには貝塚や縄文期の遺跡が多く発掘されています。

刈谷には「大名行列・山車祭」「野田雨乞笠おどり」「万燈祭(まんどまつり)」の3つの大きなお祭りがあり、それぞれの展示がされていました。

中でも「万燈祭」で担がれる、高さ5mにもなる張子人形に見とれてしまいました。

暗闇の中に浮かぶ芸術…幻想的な演出にうっとりしてしまいました。

テレビでしか視たことはありませんが、青森の「ねぷた祭り」に近いものを感じました。

こういった豪華絢爛な山車や屋台を曳いてまわるお祭りについての展示について、過去の思い出と重なったりしました。関連記事はこちらです→さわやかウォーキング@三河田原(2017/02/19)②さわやかウォーキング@浜松(2018/04/14)②ドライブ旅行@高山~下呂温泉(2018/11/24-25)③

なお、「刈谷市歴史博物館」のホームページのリンクはこちらになります→刈谷市歴史博物館

博物館を出てみると、おっっっ、刈谷市のマスコットキャラクター「かつなりくん」がお出迎えしてくれました!。初代刈谷藩主=水野勝成がモチーフです。

こちらは「おだいちゃん」、刈谷市の隣町=東浦町のゆるキャラです。徳川家康の母=「於大の方(おだいのかた)」がモデルになっています。

それにしても、この暑いさなか、本当にお疲れさまでした!。なお、「かつなりくん」に関連するホームページはこちらです→かつなりくん(刈谷市)

「刈谷市歴史博物館」を出て、再び県道246号線を北上→「熊野町6丁目」交差点にて右折して東へ進む→熊野町7丁目あたりで左折し北上…、「刈谷市歴史博物館」から1kmほど歩いてJR逢妻駅に着きました。

はい、ゴール!。8.4kmのウォーク、お疲れさまでした。

逢妻駅の近くにはこれといった食堂やコンビニがなく、オッサンにしては珍しく、何ら食べ物ネタがなく帰ることになりました。じゃぁね、バイバイ、刈谷の街!。

↑↑↑↑↑こちらは刈谷市について史跡・名勝地・観光スポットなどについての紹介をコンパクトにまとめて掲載している、わかりやすくてタメになるガイドブックです。発行元の観光協会のホームページのリンクはこちらです→刈谷市観光協会

↑↑↑↑↑さらに、こちらは「刈谷遺産」という刈谷市の文化観光課が発行しているパンフレットです。JR刈谷駅から亀城公園にかけての「歴史街道」「ものづくり街道」をモデルコースとして紹介しています。

↑↑↑↑↑さらにさらに刈谷市の市民広報誌「かりや市民だより」。ここでも刈谷の歴史を巡る旅を紹介しています。この冊子では他にも、東京2020オリンピック・パラリンピックに出場する刈谷市出身の選手についての特集も掲載されていて、「地元ラブ」が強すぎます!。

↑↑↑↑↑…で、上のパンフレットの表紙で「刈谷遺産」の冊子を持っている女の子2人が挑戦したのが、この「刈谷遺産フォトスタンプラリー」です。指定されたポイントで撮影した写真をSNSにつけて投稿すると記念品がGETできるイベントです。今年(2019)の12月28日(土)まで開催されていますので、興味のある方は是非どうぞ!。刈谷市の文化観光課が関連記事を載せていたのでリンクを貼っておきます→パンフレット「刈谷遺産」を作成しました

…って、何でか刈谷市の観光アピールをしまくる記事になってしまいました。親戚も知人もいない街なんだけどね、ま、いいや。以上、記事終わり。