ドライブ旅行@浜松市内~湯谷温泉・鳳来山(2019/05/25-26)② | パンダの音楽

パンダの音楽

静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

独自ヒットチャートの公開、お気に入り楽曲の紹介等を致します。

昨日に続き、2019年05月25日(土)~26(日)に独りドライブ旅行の記事になります。
6時頃に起きて朝風呂で温まり、朝食の時間になるまで散策することにしました。

上の画は旅館の外観になります。私が泊まったのが左上の窓が開いている部屋で和室でした。ぱっと見3階建てのように見えますが、2棟に分かれていてフロントのあるフロアでつながっていたり、宇連川の断崖に沿うように地階がつくられて露天風呂があったりして…、複雑な造りに館内を探検するのも楽しかったのです。
露天風呂から見えた渓谷や巨岩を近くで観たくなり、対岸に渡ることにしました。
宿を出て10分ほど上流側に歩き、「浮石橋」というつり橋を渡りました。
浮石橋から宇連川の上流側を眺める。燦々とした初夏の朝日の下、まさに画のような風景です。
深い蒼緑色に吸いこまれそうでいて、不思議なことに水曝の轟音が心を鎮ませてくれます。
浮石橋から下流側を写す。画の左側が宿泊した「湯の風 HAZU」の建物。正面に横たわる巨岩が水を堰き止めているようです。こうした岩が剥き出しの河原が続く鳳来峡は「板敷川」と呼ばれています。
このどデカい岩、「馬の背岩」といって国の天然記念物に指定されています。
この巨岩の周りは深い淵になってよどんでいました、まさに天然のダムです。
静寂な水面に反映する木々の風景に、何とも心穏やかにさせてくれます。…それにしても、正面の露天風呂にいたんだなぁ…、オッサン丸見えだったではないか。
宿に戻り、ベランダから再び宇連川…板敷川を撮影する。
岩の切れ間の急流と巨岩に堰き止められた淵との対称が、何とも観ていておもしろいのです。
「馬の背岩」、それにしてもデカい岩だなぁ…。幅5m、長さ122mもあり、凝灰角礫岩=緻密で非常に硬いのです。なるほど、大浴場の名前に付けられるわけです。

さて、朝食です。寄せ豆腐、焼き魚、台物の雑炊、地産の野菜のお新香など…、前日の夕食に続き、スーパー豪華です!。

鮎の開きの焼き物。鮎は1尾まるまる姿焼をよく見かけるのだが、開きで食すのは初めてでした。

高菜などが入ったグラタンにお餅が入っていました。アツアツでしたが美味しくいただきました。いつも朝はエサのような食事しかしていなかったので、意気揚々に山道のドライブにあたり意気高揚しました。
チェックアウトして、鳳来山頂上へ向かいました。「湯の風HAZU」から宇連川の右岸へ渡り、県道524号線(門谷豊岡線=鳳来寺山パークウェイ)の山道をひたすら登り、約13分ほどで鳳来寺山パークウェイ駐車場に着きました。
この日も天気に恵まれて良い眺望を拝むことができました。画の中央に写る集落=門谷(かどや)が鳳来寺山の麓にある城下町で、車でラクチンしなければ表参道を登山することになるのです。
切り立った岩肌は安山岩が主体の岩脈です。この画の中央に写るのは「鏡岩」といって高さ70m、幅250mもある岸壁で、鳳来寺山の象徴となっています。
鳳来寺山は標高695m、「声のブッポウソウ」といわれるコノハズクの棲息地として知られていてます。宿泊した「湯の風HAZU」にも1羽のコノハズクが飼われていて、宿泊客に愛想よくしてくれていました。
鳳来寺山パークウェイ駐車場から徒歩で約550m、鳳来山東照宮に着きました。
古めかしくも威厳のある佇まいのある石鳥居、その奥に苔むした屋根のある拝殿がありました。
鳳来山東照宮は日光(栃木県)、久能山(静岡県)とともに「日本三大東照宮」と称されていて、国重要文化財に指定されています。
上の画は鳳来山東照宮のパンフレットです。
==========================================
松平広忠の夫人:伝通院於大の方が鳳来寺薬師如来に祈願して、徳川家康が生まれたと伝えられています。その因縁により3代将軍家光が造営、慶安4年(1651)に落成創祀されました。
==========================================
…云々。何にせ「東照宮」と名がつくということで、御祭神は徳川家康公です。
拝殿前にて撮影。何かと精神的に患うことが多いので、自らの健康を祈祷しました。
ふと過去を振り返ってみれば、久しくさわやかウォーキングとかで寺社を訪れていませんでした。つまり、鳳来山東照宮が令和になって初めて参拝した神社なのです!。
東照宮から3分ほど杉林の中を歩き、鳳来寺の本堂前に着きました。
薬師如来を祀る真言宗五智教団の本山で、この本堂は昭和49年(1974)に再建されたものです。
==========================================
大宝3年(703)に利修という仙人によって開山されたと伝えられています。文武天皇がご病気になられた時、利修仙人が鳳凰に乗って都にのぼり、7日間の加持祈祷によって天皇のご病気を治したといいます。この時のお礼として伽藍を建立し、仙人が鳳凰に乗って来たことに因んで、「鳳来寺」と名を賜りました。
==========================================
…云々。1300年もの歴史と深い緑の静寂に包まれた古刹なのです。
そして、何を思ってか鳳来寺の参道にある仁王門(国指定重要文化財)を観たくなり、山を下り始めてしまったのです。
これが大きな誤り!。1425段もの石段を下りたのですが、ランダムに高さの違う石段を踏み外さないように歩き続けました。おかげで仁王門に着く頃には膝がガクガクしてしまいました…((;´∀`))。
膝が大笑い状態でしたが仁王門に到着。ボヤけた画になってしまったなぁ…。デジカメをストラップで首から吊り下げて歩いていたのですが、冷や汗タラタラでレンズに水滴が付いていたのを気付かなかったのです。
この仁王門は両脇の仁王像や鳳来山東照宮とともに、徳川3代家光公の命により慶安3年(1650)に着工されたもので、国指定重要文化財です。棟高は11.2m、前面に竹と猛虎、裏面に牡丹と獅子の彫刻が施されていて、杉の大木が群生する緑の中に朱色が映えます。
さて、本堂へ戻るべく、次は山登りです。全部で1425段ある石段ですが、仁王門の手前で「225段目」の看板があり、本堂まで1200段のノルマでした。
仁王門から3-4分ほど登ったところにあるのが「傘すぎ」です。
樹高60m、幹周り7.5m、樹齢800年と推定されていて、鳳来寺山で最大の杉の巨木です。
すっげぇなぁ…、見上げても幹の先端が見えないよ…。既にクタクタだったけれど、パワーをいただきました。
…黙々と石段を登り続けました。気持ち頂上が近くなるにつれて石段が小刻みになって勾配が大きくなっていくような…、んもぅオレのバカ!。
山を下りる時も登るときも、ハイキングされている方々とすれ違ったのですが、ほとんどが麓の参道入口から本堂まで歩いていると思われました(約1.2km、所要時間=80分)。実にご苦労なことだけどご利益のあることだなぁ…と感心するばかりでした。
いやぁ…、キツイ。5月下旬にして少し暑い気候で、汗だくでした(もはや死亡です)。
まぁ、山頂駐車場に車を置いてしまってるわけで、意地でも登りましたよ。
ふっ、登ったった。上の画は本堂の前にある展望台からの眺めです。一面緑の風景ですが、目に優しく癒しのひとときでした。
私のやや早歩きで、本堂から仁王門までの下りで20分、折り返し仁王門から本堂までの上りで25分かかりました。

上の画は鳳来山東照宮で御朱印を押してもらった際に頂いた、鳳来寺山全体のハイキングコースを案内したものです。麓の参道入口から鳳来寺の奥の院を経由して山頂に辿るようなことをするならば、オッサンは2-3回くらいお亡くなりにならないといけないのです。
その後、鳳来寺山を後にして、県道524号線(鳳来寺山パークウェイ)→県道389号線(富栄設楽線)→県道32号線(長篠東栄線)と40分ほど走り、長篠城址に着きました。
本丸跡…といっても原っぱなんだけどね。草野球するにはちょうど良いスペース…といった感じでした。
すぐ近くにある資料館(史跡保存館)に入りました。
上の画は「長篠城址史跡保存館」と「設楽原歴史資料館」のパンフレットです。日本史に疎いオッサンですが、「長篠・設楽原の戦い」は大河ドラマ「おんな城主 直虎」でもストーリーに挙げられていて、少し興味があったのです。
こちらは「長篠城址史跡保存館」と「設楽原歴史資料館」の共通観覧券です。一般で110円お得で、JAF会員証提示で100円引き、300円で入場できました。
長篠・設楽原の戦いでは、当時最強とうたわれた騎馬隊の武田軍を、織田・徳川軍が火縄銃で破り、戦国の流れを大きく変える出来事でした。
ブレた画になってしまいましたが、「血染めの陣太鼓」。血の跡が黒く残っていて、生々しいです。長篠・設楽原古戦場のマップも展示されていましたが、兵士のお墓や「首洗池」とかあったりして、惨い戦に唖然としました。
新城市に入って所々で見かけたのが、この磔(はりつけ)の男性の画。鳥居強右衛門(とりいすねえもん)といって、「戦国史上もっとも有名な足軽」と名高い兵士なのです(…知らんかった)。武田軍から徳川軍に寝返った奥平信昌に仕えた足軽で、自らの命と引き換えに奥平軍を救った英雄なのです。
それにしても、この画。痛々しい描写ではあるが、どうしても強右衛門のギャランドゥに目がいってしまうのは私だけではないと思います…。
長篠城址を出て、次に「設楽原歴史資料館」に向かいました。国道151号線を西方向へ進み、新東名の新城ICの近くで左折し丘を登ったところにありました。長篠城址からおよそ13分ほどのドライブです。
鎧のレプリカがズラリ。戦国時代に名をはせた織田信長、羽柴秀吉、松平家康、武田信玄…。長篠・設楽原の戦がメインですが、日本史の知識が浅い私でも親しみが沸く題材が多い展示でした。
はて、この大きな箒みたいなのは何でしょう…?
信玄塚の火おんどり「大たいまつ」といって、毎年8月15日に設楽原の決戦(1575)に戦死した武田軍と織田・徳川連合軍の将兵の霊を供養する盆まつり「火おんどり」で使用する大松なのです。
「長篠城址史跡保存館」でも当時の戦で使用された武器や鉄砲の展示がありましたが、こちらの歴史資料館での鉄砲の展示は本格的!。上の画は「日本最大の大鉄砲」で全長3.32m、口径4.0cm、重量72.8km(!)もあります。果たして誰がどうやって担いで使ったものなのか…謎に包まれています。
日本では戦国時代から使われ始めた鉄砲。資料館でのコレクションは室町時代後期以降の火縄銃、江戸時代から明治時代に至るまでの鉄砲・大砲がズラリと並ぶ膨大なもので、時代に合わせて鉄砲が進化していく過程を学ぶことができました。
長篠・設楽原の決戦場を描いた画です。…うん、確かに中学生の頃の日本史の資料集で見たことがある絵ですね。
屋上にあがってみました。屋上にタイルやモルタルで造られたオブジェがあって、設楽原の川や中州を表現しているものでした。
何にしろ野っ原が広がる風景です。この辺りは豊川と宇連川が合流点で湿地帯です。
かつての将兵が泥と血にまみれながら命を落としていったことを思うと、生々しくも精一杯生きていた兵(つわもの)たちに畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。
「設楽原歴史資料館」を出て、県道439号線(能登瀬新城線)を経て再び国道151号線へ戻る途中、5分ほどにある道の駅に寄りました。「もっくる新城」といって、注射するスペースもないくらいに大混雑でした。
食事処はありましたが行列が長すぎて却下。仕方なくメイン建物の外にあるホットスナックで昼飯を済ませました。
ジャンキーだけど設楽町の名物=五平餅と地元の豚を使用したビックフランク。それなりに旅の味…腹も減っていたし美味しくいただきました。
この後、歩き疲れた身体を癒すために再び湯谷温泉に戻って風呂につかりたかったのですが、思った以上にくたびれてしまい、大人しく浜松へ帰ることにしました。2日めの大まかな行程:湯谷温泉→(主に県道524号線=鳳来寺山パークウェイ)→鳳来寺山→(鳳来寺山パークウェイ~県道389号線~県道32号線)→長篠城址→(主に国道151号線)→設楽原歴史資料館→(主に県道439号線)→道の駅「もっくる新城」→(国道151号線)→新城IC=(新東名)=三ヶ日JCT=(東名)=浜名湖SA=(東名)=浜松西IC→(主に国道152号線)→浜松市内。78.2km、約2時間30分のドライブでした。
オマケ画ですが、帰り道の途中で寄った浜名湖SAにて食べちゃうんだな、ソフトクリーム。三ヶ日みかんをフレーバーしたもので、爽やかな味わいが初夏の気候にグー!、鳳来寺山のハイキングを十分還元するメニューでした。
今更ながら、新城市のお祭りの紹介。上の画は「しんしろ戦国絵巻」といって、上述した"火おんどり「大たいまつ」"と同じ場所で行われる「設楽原決戦場まつり」など戦国鎮魂を祀るイベント。新城市全体を巻き込んだ気合いの入ったお祭りのようです。
そして、少し憧れ。湯谷温泉の他にも奥三河には温泉がいくつかあり、今回のドライブ旅行で、リピーターというか再挑戦でまた訪れたい土地になったのでした。以上、記事終わり。