2017年4月9日(日)に行われたさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。今回のウォーキング開催地は豊川市、このところ愛知県に縁があって、これで3回連続で愛知県内でのウォーキングに参加となりました。
飯田線の電車。実はJR飯田線に乗るのは初めて(たぶん…学生時代に乗ったことがあるかもしれないが)。豊橋⇔豊川間は複線で、似たようなローカル線で身延線よりは交通量が多い印象を受ける。
改札口をすぐに出て迎えてくれたのは、あゆむ君ではなく、豊川稲荷のキツネの置物!。さすが、日本三大稲荷である。
その傍らでスタート受付、オレンジのジャンパーのお姉さんたち、お疲れ様でございます。
JR豊川駅の東口に降りる。豊川の街に電車で来るのは初めて。そもそも、豊川稲荷のお参り以外で豊川の街を訪れるのも初めて。前日からの雨が長引き、天候には恵まれず。
コース図はこんな感じ↑↑↑↑↑。豊川駅(=スタート)→三明寺→姫街道→当古橋公園→豊川放水路ゲート→牛久保岩下公園→牛久保八幡社→牛久保駅(ゴール)。コース距離=約9.1km、所要時間=約2時間20分、コース題目は「天下の奇祭うなごうじ祭とせせらぎの豊川を訪ねて」です。
JR豊川駅からすぐ近く、三明公園から見える、大きな桜の木。今年は開花が遅く満開までの時間もかかり、4月も10日近く経った時季なのに咲き頃の桜に出会うことができました。
新しい遊具で新しい公園、立ち入りはできたけれどまだ工事中でした。
その後、豊川駅から約400m、三明寺(さんみょうじ)に着く。
早速、ほぼ満開の桜の木がお出迎え!。天候の悪い中のウォーキングを気分良くさせれてくれました。
ジャーン!、お寺なのに鳥居があったりする。まぁ、豊川稲荷が実際は妙厳寺(みょうごんじ)ってお寺だったりするわけで、神仏混交はここだけに始まった話ではない。
桜の花をバックにそびえる、三重塔。享禄4年(1531)の建造で、高さ14.5m、国の重要文化財です。
こちらが本堂。正徳2年(1712)に再建されたものです。言い伝えによれば、三明寺は大宝2年(702)の開山。真言宗から禅宗と改宗の歴史があるが、今は曹洞宗のお寺です。
「豊川弁財天」の通称で知られている。本堂内にある千手観音を安置している宮殿(くうでん)も国指定重要文化財に指定されているのでした。
境内にある池を取り囲むような桜たち。雨水の滴る桜の花も趣があるもので、淡いピンク色と緑色とのコントラストが美しい。
桜の花をアップで撮影。花の中心部が赤くなると散ってしまうというが、そうだとすると、散る寸前なのでした。
寺の境内を出たところにある枝垂れ桜。それほど背が高いわけでもないが、それぞれの枝に重なるような花々はお見事である。しかしながら、花びらがたくさん散っていて、桜の時季が終わり行くことを告げている。なお、関連すると思われるホームページはこちら→豊川市観光協会(三明寺)。
その後、ウォーキングコースの前半のメインロードとなる姫街道に出る。そう、国道362号線!、浜松から細江や三ヶ日を経て繋がる主要道であり、親しみがわきました。
馬場町の交差点で地下道にくぐる。ここは国道362号線と国道151号線が交わるポイントで、広域道路地図とかにしばしば載っていたりする。
ひたすら姫街道を歩き進む。時速50km制限の道路とはいえ、車はビュンビュン通り過ぎ、もはや高速道路状態でした。
通り沿いから見える桜の木、ふと撮影。やや濃いめのピンクでほぼ満開。
姫街道沿いにある三谷原神社なのでした。コース上では、こういったほぼ満開の桜を見かけるところが何ヶ所かあり、お花見がてらのウォーキングになりました。
当古町(とうごちょう)交差点、国道362号線と県道380号線(豊橋一宮線)とが交わるポイント。この地点に出る手前で、姫街道を逸れて500~600mほど、所々農家が点在する住宅街の細い道を歩いたのだが、なぜそんなコース取りをしたのかは不明である。
当古橋(とうごばし)に差しかかるところで右折。この辺りが豊川市と豊橋市との市境でした。
っていうか、豊川って「とよがわ」って読むんだね。豊川市(とよかわし)だし、豊川稲荷(とよかわいなり)だし、…知らなかった。
当古橋から下流方面を写す。まだ雨を残していそうな雲の下をタプタプと川が流れる。コース題目でうたう「せせらぎ」ではない…。
姫街道を歩き始めてから約2.5km、当古橋公園、トイレ休憩所です。
…って、なんじゃこりゃ、このネコのような建物がトイレ。印象に残る。
公園を出た後は、ひたすら豊川沿いの堤防の下を歩く。
その後、堤防の上の道を黙々と歩くことになる。辺りは一帯、農地が広がるのどかな風景。
堤防を歩き進み、近くに放水路ゲートも見えてくる。
豊川が本流と放水路に分かれるところ。この画だと左が本流、右が放水路。
堤防沿いより、何とも見事な満開の桜が立つ公園が!。ここの桜はやや濃いめのピンク色。遠くから眺めただけでも目が安らぎました。後で調べたところ、古川排水機場近くの「第1号行明緑地」というらしい。
豊川放水路ゲートの画。当古橋公園から約1.9kmの地点。江戸時代に下流の豊橋の街を洪水から守るために、「霞堤」と呼ばれる堤防が建設されたのが始まりのようで、この水門は昭和期に治水事業が行われて1965年に完成したものです。
その後、引き続き田園地帯の中を歩く。
北東方向を撮影。山の上を雲が走り、次第に天気が晴天に向かっているかのように見える。
国道151号の手前、また地下道をくぐる。
豊川放水路ゲートから約2.1km、牛久保岸下公園に着く。トイレ休憩所である。
こちらも満開の桜がお出迎え。花びらがたくさん舞い散っていて、満開を過ぎた印象がある。
飯田線は天王踏切。今回のコースで唯一鉄道を渡る地点です。
下り方向の列車。東海道線で走る電車に似ているが、ボタンを押して開閉するドアがあり、ワンマンカーならでは。
牛久保岸下公園から400m、牛久保八幡社。今回のコース題目にもなっている「うなごうじ祭」の会場である。
大きな山車が出回るところで、法被を着た地元の方々で賑わっていました。
境内は満開の桜が咲き誇り、このウォーキングコースでは三明寺と並んで、桜が多く咲き誇る花見どころでした。
拝殿から大勢の宮司さんたちがあたふたと出てきて、祭の活況ぶりが伺われました。もともと、うなごうじ祭は「若葉祭」と呼ばれていて、この地域で最大の祭事のようでした。
こちらの満開の桜も花の中央が赤く染まり、散りゆく寸前でした。お花見を堪能しつつも、少し寂しい気持ちになったりもする。
2つ山車が並んでいて壮観。練り歩くまでは観なかったのだけれど、さぞにぎやかな祭りだったんだろうな…。この時点で10:10頃。うなごうじ祭は12:20~の開催で、2時間も待ってはおれず、八幡社を後にしました。なお、牛久保八幡社に関するホームページはこちら→牛久保八幡社。うなごうじ祭(=若葉祭)のホームページはこちら→うなごうじ祭。
八幡社のほど近く、牛久保公民館に立ち寄りました。
公民館手前で係員の方に声をかけられて立ち寄ったのですが、ボールペン画展が行われていたのでした。
中は20枚ほどのボールペンの原画が展示されていました。非常に細かいスケッチには、圧巻されるのと同時に、柔らかみのあるタッチに何となく懐かしみも感じました。
↑↑↑こちらは画展でいただいた絵ハガキの一つ。このボールペン画を描いた阿部繁弘氏は、東海地区を拠点に活動する画家で、ボールペン画の創案者なのでした。
その後、足久保の市街地を歩き進む。県道400号線(豊橋豊川線)、交通量の多い広い通り。
通りのわきで、また山車を取り囲む町民の方々を見かける。ホント、町をあげてのお祭りなんだなぁ…。
牛久保駅の近くの商店街にある文房具屋さんにて。そもそも、「うなごうじ」とは「ウジ虫」のこと。男衆が「サーゲニモサーやんよう神もやんよう」と囃して、路上に寝転んだりして、その姿がウジ虫のようだから、ついた名前らしい。
☆出典:豊川市観光協会
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領主から酒を振る舞われて酔っぱらった領民たちが、帰る途中に路上で寝転んだ様子を表している。
ある時、城主は日頃の領民の苦労をねぎらうため、主だった者を城中に召し、酒食を振舞いました。領民たちは城主の振る舞う酒にすっかり深酔いし、まっすぐに歩いて帰る事もできず、ごろごろ転がりながら、互いに助け合って帰ったといわれています。この時の喜びを神事に盛り込んだもので、領主の善政を忘れない領民のこころを今に伝えています。
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…云々。城主と領民が良い関係にあり、穏やかで豊かな農村であったことが伺われます。やっぱり足を止めても見ておけばよかったのかなぁ…「うなごうじ祭」。
その後、牛久保八幡社から約1.7kmで牛久保駅に到着。
はい、ゴール!。約9.1km、お疲れさまでした。
駅舎は古びていて、歴史深い印象。明治時代に開業した豊川鉄道の頃からある駅で、現存の駅は国鉄時代:1943年に改築されたものらしい。
それじゃ、バイバイ!。豊川の街、牛久保の街。
今回のお土産は牛久保公民館でいただいた絵ハガキ。3枚頂き、1枚めは「牛久保駅」。武田信玄の名軍師である「山本勘助」のふるさとなのです。
2枚めは「浄福寺」。今回のウォーキングでは立ち寄らなかったが、山門の彫刻が実に見事。鉛筆画に近い印象を受けるが、鉛筆よりも黒の濃淡の幅が大きい感じではある。
3枚めは「八幡社」。地元の一色城主「牧野成時(しげとき)」が参拝の折に詠んだ句「きのうけふ若葉なりしか杉の森」にちなんで、「若葉祭」と呼ぶようになったという。
これらのボールペン画が収められた画集がこちら。「街道を行く~歴史と文化の道 牛久保~」。ガラにもなく購入してしまった。絵と文が丁寧に綴られていて、地史に疎い私でも興味をひく内容でした。
今回は、実に珍しいことに食べ物ネタが全くなく、歩きながらの風景を楽しみ、地域の文化に触れる「まともな!?」紀行文となりました。以上、記事終わり。