自身の所属する民族に、国がない時、その民族がどんな目に合うのかは、失った民族に所属した経験のある人でないと正確な苦しみは想像ができない。
「我々の国から出て行け」と他民族になじられる時、言い返せる言葉を持てぬ怖さは、想像以上に恐ろしい。どこへ行けと言うのか?他所で同じことを再び詰られるために流浪せねばならぬのか、という途方もなさを、私たちは本当の意味で見遣ってるとは正直思えない。
ベン・グリオンの民にとって、自由へのこの道は長く苦悩にみちたものだった。彼らの祖先ヘブル人たちが、その指導者アブラハムに神が約束したこの土地に最初に姿を現わしたときから、この夜の投票がそれを返してくれるまで、苦悶と戦いの4000年が流れている。
この記事たちは、日本人には馴染みのない地名と民族といさかいの名がいくつも出てくるので、正直極東の民族がその真価と畏怖を覚えるには、余程「知りに行きたい」が本気でないと、まず脳に入ってこない。
エルサレムに向かう途上で出会ったユダヤ人集団を次々に殺戮したとき、その犯行を合法化するために叫んだことばは、デウス・ヴルトだった。
「神がそれを望みたもう」
大部分の国々が、ユダヤ人に不動産の所有を禁じた。中世の職人や商人の組合にはいるみちも、彼らにはひとしく閉ざされていた。法王の勅令の1つが、キリスト教徒に金融業を禁じ、ユダヤ人たちは不名誉な高利貸業に追いこまれた。法王庁はさらにキリスト教徒にたいして、ユダヤ人のために働くことを禁じ、彼らといっしょに生活することをさえ禁じた。
方便です、神はそうは望まんでしょう。
この人種差別は、1215年に絶頂に達する。このとし開かれたラトランの第4回公会議は、ユダヤ人を真の別種族とすることに決し、彼らに明瞭な徽章をつけることを強制した。
イギリスではそれは、モーゼが十戒を受けた律法の板をあらわす徽章だった。フランスとドイツとでは、黄色い星をあらわす黄色の楕円で、のちに第三帝国がガス室に送る犠牲者を示すために、これを採用することになる。
日本人でこれに現代でピンとくるには「進撃の巨人」くらいではないか。
ヘルツルはスイスのバーゼルの「カジノ」で開かれた第1回世界シオニスト会議の席で、シオニスムの運動を正式に発足させた。空想と現実主義とがまざりあった、奇妙な会議である。会議は国家の創設を決議したが、どこにどうしてということはわからなかった。なぜならオスマン帝国が、パレスチナのすべての門戸を閉ざしていたからである。
それでも代表たちは国際執行部の委員を選出し、パレスチナの土地購入のための民族基金と銀行とを創設した。さしあたりは彼らの空想の熱狂の中にしか存在しない国家のために、2つの紋章までも選んだのである。すなわち、国旗と国歌とである。
「バーゼルで、私はユダヤ人国家をうち樹てた」
ヘルツルは同じ夜、その日記で結論づけている。
「大声で今日私がそういえば、世界中の哄笑を買うだろう。おそらくは5年後に、そして50年後には確実に、それは万人に明白の事実となる」
この威力。
ある意味、イマジネーションの具現化をこれほどに広範囲に現代に再現し構築の礎にしたものは稀有でしょう。
「そこにまだ、ない、国、だったもの」が後年、ここを起点に国家をなしてゆく。
民族が世界中に散らばり、自らをユダヤ人とした人らの、数世紀を超えての結託は、世界中で「自国がないがために受けてきた弊害」も馬力に転換してボルテージを上げていった。
現代にクルドの方やチベットの方のように、苛みの渦中にある人ら・・・いや、「ウクライナ人」
ですら国連常任理事国ロシアを相手に国家存亡をかけた戦争に陥れられている現在進行形だ。
ポーランドが地図上から消された事実や、「かつてあった領土」を「失ったのだ」と思った側の執念は、民族に深く巣食うし、結実を悲願とするでしょう。
つまりまだ、人類は諍(いさか)いを続けるということです。
希望を胸に秘めるが故に、国を滅ぼされしても、再起を秘めるだけであり、つまりは係争は人がいる限り、浄化をなし得ないのでしょう。
「かつて持ってた」という記憶のせいで。
反面、特色のある民族意識が、新しい生き方を模索途中で、興味深いありようを見せもします。
こういった文化の豊穣の方へ世界は開眼して、本当の意味での民族の多様性の容認に進むといいのに。惜しむらく、です。