インバウンド・・そこんとこどうなんでしょうね、日本は? | アメブロなpandaheavenブログ

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「Traveling Solo Logs」というアカウント名の外国人は、TikTokにその光景を投稿しました。

動画には、ペットボトルや缶類などが高く積み上げられ、地面にゴミが散らかっている状態が映っています。

投稿者はこれを見て、「これは日本にゴミ箱がない結果です」とコメント。

ゴミ箱のように見えている茶色の物体は、変圧器などの地上機器で、人々がゴミを勝手に置いているだけなのでした。

「皆さんは、これを良いことだと思いますか、それとも悪いことだと思いますか?」と尋ねる投稿者。

「喫煙場所はありますが、ゴミ箱を置くべきではないでしょうか?」と疑問を投げかけています。

この投稿には、「観光客が捨てている」「観光税で対処すべき」といったコメントから、「デパートでゴミ箱がなくて困った」というさまざまな意見が寄せられていました。

諸説ありますが、日本の街中にゴミ箱があまり設置されていない理由は家庭ゴミなどを捨てられないようにする、防犯対策などが挙げられています。

うん、そうだね。何か一回りした感があるね。

 

2024年6月、長崎県対馬市の和多都美(わたづみ)神社は、韓国人観光客の「出入り禁止」を発表した。その理由は、一部の観光客が神社境内でのタバコのポイ捨てや痰(たん)や唾液の吐き捨てといった迷惑行為を行っていたためだ。この禁止措置は、そうした迷惑行為に対処するための措置として実施された。結果、このニュースはインターネット上で大きな反響を呼び、多くの人々は感情的な言葉で彼らを非難した。

 そんな流れのなか、一部の有識者の間で懸念されているのが、日本国内における

「ゼノフォビア(xenophobia)」

である。ゼノフォビアとは「外国人嫌悪」「外国人恐怖症」を意味する言葉で、世界各地で使用、論議されている。

インバウンドの増加にともない、SNS上では人種や民族を問わず外国人に対する不満や怒りの声が目立ってきた。この現象は、日本社会に潜在していたゼノフォビアが顕在化していることを示しているのかもしれない。しかし、こう書くと、インターネット上では必ず次のような反応が返ってくる。

「私たちは彼らの“行為”を非難しているだけで、外国人を嫌っているわけではない」

と。本当にそうだろうか。

 表面上は「観光立国」を目指している日本だが、実際には多くの国民がインバウンドの増加に複雑な思いを抱いているのではないか。 彼らの“行為”だけを非難するにしては、いささか過剰な反応のようにも思える。 むしろ「日本に来てほしくない」という印象さえ受ける。

向こうが受ける印象が、正解と見做(みな)すべきでしょう。

実際、日本の心の方の「門戸の開き方」は奔放であるとは言い難い狭き門であるのは事実。

受け入れ予定がない等の回答の理由としては
 

・人手不足や人材不足
・インバウンドを受け入れる余裕がない
・多言語インフラの整備が不十分
・外国人対応スタッフの雇用
 

などが、上位に挙がっている。観光業界は総じてインバウンド観光に期待しているように思われている。しかし、この調査によると、回答者の少なくとも30%はなんらかの問題を抱えており、インバウンドに頼るつもりはないことがわかった。
 

 また、別項目である「インバウンド観光客受入の課題」については、2024年1月の調査では、2023年7月の調査と比較して、多言語対応スタッフや通訳案内士の不足を課題として挙げる回答が増加した。
 

 多言語対応スタッフのニーズが高まっていることは、単なる人手不足の問題ではないことを示唆している。インバウンドとのコミュニケーションが難しいことが原因で、さまざまな摩擦や誤解が生じている可能性があるのだ。
 

 また、通訳案内士の需要が増えていることは、案内する人材が不足しているだけでなく、“文化の架け橋”となる人材も必要とされていることを意味する。つまり、インバウンドの増加は、単に人数が増えるという量的変化だけでなく、より複雑な問題を引き起こしているのだ。

だねえ。起こるべくして起こる摩擦だし、メリットだけ甘受できるもんではないわけで、その天秤への掛け具合が、今の日本は酷く下手な印象が強い。

「思った通りの(つまりコントロール下にある程度での)来訪を歓迎」では済まなさを、日本側が覚悟してないってのが、この「準備のしなさ」でもあると感じますがいかに?

 

統計はある意味正直だけれど、方針を掲げ決めるのは日本側の姿勢なわけで、そこにどうも一貫した気概を感じない。「来てください!」を標榜して見せても、「こっちの意に沿わないならもうこないで!」を言い出すのはゼノフォビアの根幹をなす要因だと思うんです。

京都ではインバウンドのトラブルがたびたび話題になるが、実際に誰が、どのように迷惑を感じているのかを

「定量的」

に示す公開された調査研究は限られている。ここで取り上げた関門地域の調査研究の重要性は、

・感情論
・個人的な経験談

に偏りがちなゼノフォビアの問題に対し、具体的な数値や統計的な裏付けを提供している点にある。

そう。判断に足る情報量に達してないし、その範囲・範疇も恣意的なものからでてもいない。

SNSを見ると、ゼノフォビアの理由としてマナーの悪さや犯罪への関与などを挙げることが多い。しかし、実際にはこれらはきっかけでしかない。根底には、グローバル化そのものへの疑問や反発があるのかもしれない。

 重要なのは、誰もが外国人に対して少なからずネガティブな感情を抱いていることを認識することだ。もし、国際派を自称し、そのような感情を抱いていないという人がいるのなら、それは自分を欺いているか、うそつきだ。

さてと、感情的にしてても済む部分と、そうはいかない部分はセパレートにして考えを集約しておく必要がありますね。今のままの支度では、混濁した解釈の入り乱れ状態で、「もう嫌だ!全部なしにして!」とヒステリックにいやんなる声を拾うことになるだけでしょう。

 

感性的に相容れない人ですら、請け負うことがツーリズムの根底にはあるし、その覚悟もなしに引きうてたのか?って外国の方が思えば、嘘つきは印象としては日本の側になるでしょうね。

 

どのラインで「これを日本の意思としておく」という看板でいくのかを支度してないように見えます。遠からず、日本は避けられだすかも知れんです。

 

さもありなん。

もう起こり始めてるのかもね。