「好き」で始めるものは高くつく(やめる理由は自分で作り出すところ) | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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やりたいことをやる、を価値のうちで至高におく人はいるんです。

その念が濃くて本意なほど、実生活にふつふつと実相を求めだすので、「今のままじゃ飽き足らず」の形で表出してきちゃうんです。

 

そうした刹那(せつな)、「食えなくても続ける」が一つの節目で、「本当に食えなくても、そこにいる」人は、なにかにはなります。

希望通り、ではないかも知れんです。でも居残った人は、なにかにはなれます。

 

努力なくても才覚があれば、、他者の目に付き、引き上げてもらえますが、「それほどでもない」という凡庸にまみれて見つけてもらえない手合いの才能才覚では、「そこにあっても邪魔」とどれだけ違うかもうわからなくなってます。

 

頑張れば、とか好きだから、は「当人の事情」を他者に「聞いてくれ」と言ってるだけで、ニーズでもないし、日銭を稼ぐモーションでもモチベにもならない。「そうでいたい!」と心で叫んでる人がいるだけ、の図式になるのが、外野なら、まだわかる。当人にはそれはわからないし、「わかりたくない」バイアスを自身に呪文みたいに諳(そら)んじる毎日だ。

 

だから言うのよ。

食えなくともそこにいますか?って。

 

自分でしちゃった決断の、切れ味が悪くって苦悶するのはそれなりに得るものがあります。

自分で自分を許せないことの苦しみに、価値を見出せるかどうかはその人の人柄にもよるでしょうけれど。

 

京アニの放課犯人じゃないけれど、自分を見いだしてもらえない気持ちになって、他人を苛み出して、殺害までできてしまう。この人の弱さを直視できる人でないと、希望というのは毒でしかない。体内と心で醸成する猛毒。

 

専門学校、養成所、ボイトレ、研究所に支払ってることで、「そういうビジネス」を潤わすだけって人も多いと思う。

 

そこの先生なら食っていける。

業界の周辺は、そーゆー食い扶持のあるところだし、東京はその底辺の裾野の広さが日本一でやたら広い。

食っていけばプロ、と言いはれもする。プロには違いない。

 

なまじ「食えだせてしまう」が故に、中年や老境になるまでずるずる居合わせれば、帰郷か場違いな転職の憂き目にもあう。プロってののはらむファクターだ。

 

でも合点づくにはなれる。

 

でもそこでしたっけ?ともなる。

 

お金を支払ってる間に、「気が済んでる」になっちゃってませんかね?何かを自分はしてるんだから・・・で心を落とし込んでやいませんかね。

そうじゃないでしょうに。

 

生涯オーディションで「勝ち抜き続ける」業界に入りたくて、常勝する自分を思い描けるほどの才覚を、自分に見出せもしないのにそこに居るには、「滞在費」がかかります。

 

その時に、「その自分の念は割り合うか?」などと天秤にかけだすようなら、節目でしょうね。

習い事みたいな手応えでいいなら、支払い続けるのは合点づくでしょう。

 

自分の「好き」は高くつくんです。

それに見合ってる、と自分でしてられる胆力のうちなら、続けられます。

そうした念が途絶え次第、退場は理(ことわり)ってものです。

 

やってみて、結果が出たし、、得心してください。

周りが悪い、運が悪い、くらいにしか思わないのなら、向いてなかったんです。

その見え方では、業界では続かないと思うのです。きついようですが、夢とかいうのはそういう鍛錬を経由した先に花開くところです。