アリーテ姫 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは数年以上前に書かれたエッセイの再掲載です)

 

ある種の「そう明さ」というものをわたしはとってもほしがっているわけでして、それはやっぱりなんだか自分に欠けているなにかだと思ってるわけでして、それを気にしてるから、どこかにそうした「そう明さ」を予感させるものがあると聞くなれば、よいとこさ、と近付いてみて、せめてなにかをと、うろうろしてしまう。

アリーテ姫という作品が単館上映されている映画で、極めて短い期間にこっそり上映を終えている、までは知っていて、それをジャガ(後輩)が見ててほめていたし、地味な作品だという話にも大変気になるものを感じていたので、やっぱりどうしても見たかった。

地味な作品で、単館上映で、わたしがそう明さ、ってものを期待してるという複数の理由から、アリーテ姫という作品を見ました。

 

 

童話でした。童話って昔、読みましたか?わたしは幼少のおりに父も母も童話を読んでくれた記憶があります。

アリーテ姫を見終わって、その童話を思い出しました。

随所にCGによる高い映像表現がちりばめてあるにも関わらず、この作品は地味な色ばかりを使っているし、派手な演出もないし、露骨な「どうだい!この映像美!」なんてな無駄な誇りもなく、ただ「見やすい」、そして「よい、作品」でした。

主人公のアリーテ姫は本が好きで、人々の生活を思い遣ることのできる少女で、ゆえに世界から魔法の宝を持ってくる騎士にも、あまりふつうでない対応をみせますし、そう明な解釈を語り、言われた方はいつも自分のことをすこし顧(かえり)みるのです。

きちんとした言葉で、少なく、ものごとは語ることができます。
それには聞く側というものにも、相応の想像力とか、解釈とかある程度のそう明さがいるものですが、ただそれは一見退屈な形をしていますので、その地味さやのんびりさに「つまんねー!」ってかたづけやすくもなってますから、なかなかみんながそうであることは期待できません。

言葉が増えてしまうのは、相手か自分かに壁があるか、怯えがあるか、その取り壊しからはじめないといけない手間に時間がかかるのです。

アリーテ姫はその年令からは大人びた言葉を使いますが、つまらない遠慮やかけひきのない分、忌憚(きたん)なく本音に近い言葉でスイ、と人様の気持ちに入ってきます。柔らかく、短く、人の気持ちに入っていける言葉を発する人は、そう明なものです。

そう言った意味から、私は暴力より、大声より、ある種の「そう明さ」の方が威力があると思ってます。そう明さは多くの人に長く潜伏して、広く考える視野を与えて、その人のやり方にあわせた豊かさを発想させます。

アリーテ姫という作品に感じるそう明さは私にはうらやましく、好ましく、豊かだな、とうれしかったです。

日本のアニメが世界を席巻し始めている時に、スタジオ4℃ってところがこうした作品をみせてくれたのは実にうれしかったでです。

わたしが親ならアリーテ姫は子供にみせます。自分が言葉を探し出すあたりから子供の着想はグングン伸びることができます。

童話のもつ威力は「子供向け」なんてなたやすいところのものじゃなく、もっと生きざまの奥底に届く場合が多いでしょう?この作品はそこにすとん、と立っている作品なのです。柔らかく、2時間過ごしたい人はこの作品を見て下さい。