肉付き、美的感覚の差だけかなっておもってたけれど、同族同民族の系統のうちにも、その見た目の感覚を同じくする同志がいてくれて正直ほっとしました。
日本のアニメを見て、アメリカの方などがアニメの主人公たちを「なぜ白人なんだ」」と言い出す人らもいるときに、そこにおののくほどの自己本位さが透けて見えて、「すげえな、そこまで『自分のテリトリー化』ってできちゃえて、ひるみもしないんだ」とおののきました。
されど、世界がこんだけ連結して、同時性をネットなんかでかなえていく道すがら、感覚も互いに共有しだすんで、「価値観」もおのずから似通いだし始めます。
おのずと、外見に関する感覚も「共通言語化」を開始しだして、「互いの言い分」に齟齬があったり、意外に同意見だったりの推敲が進みだし、大きく欧米とアジア、黒人みたいな大くくりが妙な溶け具合になってきてもいます。
従来のアメリカの映画やアニメに見える「民族性」の妙な誇張は、「された・あてつけられた側」は不快に感じるほど「妙」な偏見交じりで、気持ち悪かったですけど、日本アニメの浸透などで、むしろおとしどころはこっちに利する部分もでてきまして、アニメに関しては日本の無用なほどの無差別アナーキー発想が浸透しだしてもいます。
そうなると、いよいよ画面映えにかかってくる俳優などの生の「見え方」にもバイアスがかかりだしてもきてるんでしょうね。さーて、どこが落としどころになっていくんでしょうなあ。