原作原理主義 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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オタク、ギークの本質は、根幹となる強烈なオリジナリティに肉薄していく、あくなき探究心が尋常でなさがエネルギーですからね?熱烈になれてる何かがあれば、そんでいいってな、そんなクソアマな怠慢を自身にゆるしゃしませんて。突き詰める、が本質の人らだもん。
 

日本から中国のオタク界隈に広まったオタク関連の言葉は少なくありませんが、そんな言葉のひとつに「魔改造」やそれが短縮された「魔改」という言葉があるそうです。

 

この「魔改」は、「オタク」から転じてインドア趣味などを意味する言葉として使われるようになった「宅」や、日本のアニメや漫画、ゲームなどの流れにある作品やジャンル全般を指す「2次元」といった言葉のように一般レベルで普及しているわけではないものの、中国ではオタク的な活動をする際に何かと意識する機会のある言葉になっています。

中国のオタクな方々から教えていただいた話によると、この「魔改」という言葉は日本で使われる「フィギュアの魔改造」や出典とされる「プラモ狂四郎」のプラモの改造的な意味などで使われることもあるそうですが、現在の中国のオタク界隈では主に「映像化の際の改変」、特に「原作とは違うストーリーやキャラにしたり、世界観などの設定を変更したりする」ことに対してよく使われているとのことです。

またこの言葉は中国のオタク界隈にあるという強めの「映像化は原作どおりにするべきである」という考え方に関連して何かと使い勝手のいい言葉として広まってしまっているとのことで、原作付きアニメに対して批判的な文脈で使われがちな言葉にもなっているのだとか。

なるほど。原理主義ですな。

元にたどり着けてること自体にも価値を見出せもするのでしょうし、「たどり着けない社会構造」も反映にあるのかしら?

中国では日本よりもさらに原作を重視する考えが強く、漫画やラノベを原作としてアニメが制作される際には「原作どおりに作るべき」「原作どおりでなければならない」という考えがオタクにとっての正解、それを主張するのがオタクとして正しいという空気が存在します。

 

この原作重視の姿勢に関しては中国の文化的な背景も影響していると思います。中国では伝統的に古典名著などに関して「改変せずにオリジナルのままでなければならない」という考えがあり、名作の「改変」や「翻案」に対しては現代でもかなり強烈な批判が発生します。たとえば日本と違って中国国内では三国演義が娯楽の題材として使われることが少なかった原因のひとつがこの考え方です。

わお!この説得力すごいな。

中国では映像化の際に制作関係者に対してだけでなく、制作に直接関わったとされる原作者に対しても「魔改」だという批判が巻き起こることがあります。日本のように原作者が関わっていた場合はファンもある程度許容するのではなく、作者に対して「原作の設定を無視する、キャラや世界観を崩壊させるのは許せない」という怒りになってしまうケースもあります。

 

もっとも、原作そのままでアニメ化すれば人気になって評価されるとは限りませんし、「原作どおりのアニメ化」や「原作を超えた表現」に対する解釈も個人で異なるため現在の中国のオタク界隈でも「原作の扱い」は難しいものがあります。

 

もちろんメディアに合わせた改変に関しては原作を尊重している、原作を理解しているというのが感じられればあまり問題ではないのですが、こういった部分に関しては明確な基準が無いうえに中国では個人レベルでも非常に攻撃力のある国へ「通報」が可能なのでリスクを意識せずにはいられません。

などといった話もありました。

図らずも上に「原理主義」って書いたけど、遠からず・・になってきたな。

作品の受益者側が原作者の介在部分までもまでも看過出来ぬとするのは行き過ぎに思うし、返せば「それくらいには一旦は世界に生まれ落ちた原初の作品をば讃える」なる崇高とも言えなくもない。

 

に、したって、過激が過ぎる。

頻度高く、幾層もの作品群の坩堝(るつぼ)にあって、原作者が乗り込み直してくるのにも一理があるし、「まだ叶えられる何か」の方を希求しても、原作は無くなってはいないのだから、寛容であってくれた上で、「もう一つ楽しみが増えた」でもいいんじゃないかしらって、日本人は思ってしまうのでした。