バイスタンダーの孤独 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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病気やけが人が出たときにその場に居合わせ、応急処置にあたる人を「バイスタンダー」と呼び、英雄視されることも多い。しかし突発的な事態に対処するため巨大なストレスがかかり、西村さんも救命活動の後に体調を崩し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患った。

この過酷。

「16年経った今でもPTSDの治療を受けています。普段から体の倦怠感がありますし、気圧の変動などで体調を崩します。一度崩れると1カ月以上不調が続くので、作業や仕事に差し支える状態です。特に電車の中で小さい子が突然騒ぎ出したり、不意打ちで大きい衝撃があったときにフラッシュバックの症状が出て、救急搬送されることもありました。

 1年に1回くらいの頻度で救急搬送されていて、事件後から今までに19回ありました。最近は減って来たのですが、まだ完全にはコントロールできていません。救急搬送までいかなくても発作は日常的にあり、そのときのために薬を持ち歩いています」

よしなにした事柄が、人生の以後の生活に支障をきたすほどのインパクトとぬぐいきれなさ。

西村さんは秋葉原での事件以前にも救命活動の現場に遭遇したことがあったが、複数の患者がいる現場は初めてだった。しかも、当初は医療従事者は現場に西村さん1人だけ。そのため、もし救急車が到着した場合、治療の優先順位を決めるトリアージをすることになった。

秋葉原では、同時に複数の人を見なければいけなかったうえに、刃物の傷なので命に関わります。

 何より辛かったのは、トリアージ(治療の優先度を決めること)の判断を自分1人でしなければいけないことでした。その人が助かるのか、誰を後回しにするかを判断するのはとても怖いことで、すごく精神的な負担になりました。なので後にテレビ報道で、2人が助かったことを知った時は本当にほっとしました

自分の手の内に、「そこから生き死に」を分岐させる岐路が生じだす。

誰かは生き延び、誰かは人生を途絶える。その刹那に居合わせる、自分の判断の重さ。

「テレビ報道で、3人目の男性が亡くなっていたことを知りました。さらに事件当時、トリアージにミスがあったという報道もありました。私自身も目の問題もあり、混乱した現場で自分が把握している情報をちゃんと伝えられたとは言えません。ミスのニュースを読んで、『自分がミスをしたのではないか』と不安になり、辛かったです。事後検証が行われていることも知らず、後から知りました。なので私はヒアリングを受けていないんです」

志と英断を果たした人が負うにはあまりに不憫です。

多くの人が「手を出さないで済ます」局面で、意思と良識とで臨んでくれた救出の報いがこれというのは、あまりに酷い。

こうした辛い気持ちから、『もう二度と救命なんかやらない』って思うこともあります。事件後に休学して地元に帰りましたが、たまたま市の広報誌で、応急手当てを市民に教えるためのボランティア団体ができたことを知りました。それでしばらく考えて、市民の方に応急手当てを教える資格を取り、市民に教える活動にも参加しました」

この「反対に振り切る」心象になるのもなるのもなるのもムリからぬと分かります。

手を出さないで済ませば、後々にまで繋がる苦痛は起きはしなかった。

されど「そこで手をかさなかった」方こそが、こういう人は自身を苛み続けるとも思うのです。

「僕は事件の直接の被害者ではありませんが、僕の人生もぐちゃぐちゃになりました。犯罪被害者等支援給付金や、PTSDで通院していた6年間の医療費の支給は受けられましたが、大学を卒業後にPTSDの症状が悪化しました。

生活の支障はあっても給付金の算定基準は事件当時の収入で、僕は大学生だったので、支給額は0円。もともと視覚障害があり、さらに精神疾患があるとどこも雇ってくれない。だからブラック企業でもやめられず、倒れるまで働きました」

ここだと思うんです。

こういう目に重なる思いをする人の数がものすごく多いと思うんです。

彼の成したことが社会的な評価と存続をかなえさせるのではなく、むしろ比較するなら「手をだなさい人の穏便さ」の方が「まし」だと見やる世界のつれなさ。

 

大勢の人が、ここにいう「手を出さなさ」を選択しますね。

余計なことに手を出さない・・・はとても世間に多く見やるし、スタンダードは発想にも見える。

 

であるなら、「助かる命が助からない」の回数も、暗黙に増えもするでしょう。

亡くなった方の命は「今世は人を助けてくれないところだった」の業をもって、次の人生に渡るわけで・・・それは弱いコミュニティだと思う。

 自力ではどうにもできない人生を送るようになっていた西村さんは自殺を図ったこともある。

「今でもやっぱり月単位で体調を崩してしまう状況です。本当に就業はできないだろうなって感じます。今後は、お金のかからない論文博士を目指しています。普通の仕事にはもうつけないなって感じます」

「救命処置にあたって、その後遺症によってその後の人生が崩れてしまった人間がいることを知ってほしいです。また、今後、私と同じように応急手当てにあたって後遺症を受けた人がちゃんと助けられる社会システムが構築されてほしいと思います」

為すべきを為した人が讃えられはすれ、「生きていく」を何ら加味しないほど「君がした勝手のこと」然とした社会の側の態度。そういう冷たさも果たして社会の中では積み上がるのだから

応分に劣化を重ねてると思うのです。

 

この方の社会復帰の叶わなさへの、社会の側からの妙なほどの今の冷たさって、🐼は致命的な欠陥と思ってる側です。評価し、報えないのは、非常に粗末で、つたなく未熟にも感じます。