漫画講座の受講生で、西尾維新に心酔してる子がいます。
多分その子は「なんで魅かれてるか?」を自分自身に言葉にしてませんが、停滞期やスランプ時にも「面白い自体が色あせてなさ」を自身に疑ってもいなかったんですよね。
それって心の方に灯し続けてるだけの「自分が魅かれる理由」を作品や作者に疑ってなくて、今つまらないのは「自分のモチベーションやスキルの足りなさのせいだろう」くらいに位置させてると思うんです。
「信じ切って疑ってもいない」ところに、答えがゴロゴロ転がってるのに、そこは、見てない。
この記事を読んでみれば、言外に「狙い」を持ち、実際に「威力」を放つのは「見えにくくしてるサブテキストやコンセプト」の良さであり、その卓越の仕方の心地よささ、近年で言えば「葬送のフリーレン」がアウラに勝つときの「勝ち方」が比喩に使いやすいし、呑み下しに易いでしょうね。
真っ向からで戦わない。
卑怯とか姑息でもなく、「一層の大枠」の方をチート気味に見舞う、と言うやり口。
「仕組みやルールの方をいじり出す」なるゲーム世代のチート観念まで日々目の当たりにしてても、それを自らに取り込み、応用に足るだけの峻別とか再構築をするだけの野心も目線も持ち得ない。
ただ、受けて、心地よくして、済ます。
んー。
こたえはさー、そこに転がってるんだけどなあ。プロがさ、絞り出して魅せた手管が、いかにももうそれじゃん!になれないのが、惜しいのよなあ。