父と兄弟 | アメブロなpandaheavenブログ

アメブロなpandaheavenブログ

最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは何年も前に書かれたエッセイです)

 

10/13、前の夜は4時に床についてたので、朝8時の電話に起きられるのは、私が比較的朝に強いおかげだと思う。
末弟からの電話で「父さんが事故った。母さんが救急車に一緒にのって病院にいってる。俺は警察が来るから家に残ってる」と言うので状況を聞くと、出勤するために家からスクータで出たところを車にはねられたという。

ひとまずその病院に向かうが、弟から聞いた病院には今朝急患はないと言われた。弟に聞き直すと別の病院だというので向かった。

母は心配性で、一番悲しいことを考えてしまって、その気持ちを引っ張ってしまう人なので、ひとまず整形外科のそとのソファでみつけたときは少しホッとして話しかける。

母は洗濯をしていて、ドン、という音が外でして、みると交差点のまん中に父が倒れているのをみて、かなり動揺してしまっていた。

「死んじゃったかと思った」
と言われた時、私はその事故現場にいなかったのに悲しくなった。

父はキャリアみたいなものに載ってレントゲン部屋から出てきた。

あまり表情がなかったのが怖かった。
命に別状はないものの、相手の車のボンネットに乗り上げてからしたたかに腰を打ち付けたのだ、と母は父から聞いていたらしい。

結果は右足の骨折だった。でも父は右手親指付け根と腰の痛さを言っている。
うちの父は「つらい」と「痛い」を言わない。
母は常々、それは言って欲しい、といってる。
その父がお医者さんに触られるところに音もなく顔をゆがめているとそれはとんでもなく痛いのだと推察する。

本家のおじさん夫婦がきてくれた。父の兄だ。忙しい最中にきてくれた。父と顔を会わすと、目に見えて、父は安心した顔をして話してた。

ああ、父にとっておじさんは大きいんだ、と静かに思った。

父、母、おじさん、おばさんの中にあって、フイに思ったのは
こんなに小さな人たちに、私は守られてきてたのだ、という気持ちだった。
私は身長170ごろで決して大きい人ではない。それでも、母、おじさんたちに囲まれていると、自分が頭ひとつ分くらい大きいことが分かった。

父は入院の段取りになった。

 


これが事故直後に書いてたエッセイ。今は事故からおおよそ1ケ月ほど経過して、父は足にギプスをしていたが、先週着脱可能なところまできたし、まだ松葉づえながら退院して家で奥様系のテレビ番組に強くなった。保険のこともおおむね山を越え、ひと段落であります。

父が、おじさんに会った時の和らいだ表情がとても心に残ったのだ。
家族も身内なんだけれど、おじさんにみせた表情は特別だったように見えた。

歳を重ねた兄弟ってこういうものかな、ってうっすら考えた。
おじいちゃんもおばあちゃんも父方は他界してるし、父もおじさんもおじいちゃんの鉄筋屋さんに勤めているから仕事でも一緒にきてた。
お互いの性格も、お互いの欠点も補完しあう兄弟のような気がする。本当にずっと一緒だったのだ。

私が成人式に着る服はおじさんが買ってくれたものだし、大学の学費もおじさんにお世話になっていた。父の兄だけでないものを感じてはいたが、今回の事故、そのあとに会う父の表情の和みが、いっそうこの気持ちを確信に変えた。

本当にヘコみきってる時の人間を、ただひとつ「ニコ」ってさせることのできる人間が一番すごいと思う。
 

本当に苦しい時、苦しすぎる人間は感情を出してる余裕がないし、愚痴もこぼせないほど切羽詰まるし、心根がギュウって畏縮してしまうものなんだけれど、そんな時に会って話すだけで「ああ・・・」ってただ微笑ませることができるのは、すごいことだ。

おじさんには父にそれをさせるものがある。父だけにじゃない。
おじさんを知ってる人にはだれでもそれが感じてるように思う。
おじさん自身が目を煩って入院してたときに、私がお見舞いにいったら、やっぱりなんだかどこか楽し気に思えたのだ。「看護婦さん、おいしい御飯お願いね」とかいってたのは父もおじさんも同じだったと今になって思い返す。

一方で、私の兄弟も事故には相応の対応があって、わたしが交渉、次男が資金面、末っ子が電話対応と、応分の位置に立ち回ってくれて非常に頼もしかった。父・母ほどには困惑しきることのない動きが確保できたと思う。

兄弟ってやっぱりなんか違うんだろうな、とこの歳にして思う。
私の兄弟はやはり両親が教えてきたように育っているんだし、父の兄弟はやはり祖父祖母の教育の上に成り立つ性格なのだ。

誰に囲まれて生きているか、は本当に大切なことなんだと今さら思いました。

そしてもうひとつ。
事故の直後、父と話しても母と話しても、ああ、俺、口下手だ、ということでした。

父には開口一番「事故っちゃあかんじゃん」と言ってるし、母には気に効いたことでなぐさめることができてなかった。

女の子に生まれてたら、もうちょっと違っていたかも、とは思うのだ。
特に母は4人姉妹で、やたらに仲がいい。よく喋る。それだけに、わたしがもし女性に生まれていたら、もっとうまく母の心情を感じ取れて、もっともっと話し相手になれたかも、と思ったのだ。

けっきょく、私は黙っていることが多かったような感じがするのだ。
つまらないことを騒ぎたてるよりは、賢明な気がしたのだ。

「つまらないことを騒ぎたてるよりは、賢明な気がした」のがすでに男性の考え方のつまらないところだ。なんというか、気が効かないよな、って自覚あるだけにションボリくるのである。

もう少し感情に任せて怒ったり喋ったりできたら、父と母が楽になれたような感じがしてならない。うっとおしいだけになるかも知れないけどね。

でも事故って感情の部分が大きいんだし、もっともっと話して心から事故のことを出してあげなくちゃ、とは思うのだ。下手なんだよなぁ、こういうところが、俺。本当にヘタなんだよなぁ。