あびるように聴くということ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは何年も前に書かれたエッセイです)

 

ライブってのがどーもなんだかよく分からなかった。

ずっとずっとわからなかった。高校までとかにはバンド好きな連中がライブするから見にきてくれよ、みたいなのがあっても、実際なんかテレ恥ずかしくって直視できなかった。

ま、演奏が下手なのに演奏側が勝手にいい気になって!ってんだから、「ライブ」ってのが悪いってんじゃないな、とは思った。

実際、大学に入ってから見たライブってのはまだ上手な人たちだったりするので、へー、そーかー、ふーんとかは思ったけれど、やはり生で聴くってのはどーもなんだかピンとこなかった。

いい音楽を聞かせようってんなら、CDやレコードの方がアレンジにつけ曲目につけ、凝ることもできるし十分ジャン、とか思ってた。

「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」みたいに、ビールのんで昼間っからうだうだして、カーニバル気分で半日以上ダランダランと聴く、のはああ、たしかにアリだな、とは思った。でもこれは「聴いてる」ってのとはちーと違うような気がした。騒ぎたい、とでもいうのか。

 

 

 

ブルーノートみたいな店でムードごと生音を聴く、というのも悪くはないけれど、これもなんだか「音楽を聴きたい」と言ってる人間にはなんだかどこか的が外れているような気がして、やっぱり腑に落ちない。(あ、でもトゥーツ・シールマンズのようなおじいさん演奏は好きだな)

 

 

友人に誘われて見に行くライブってのも、バンドが顔見知りだったりするとなんだかノッていいのか、ダンマリで通すか、どっちにつけ「ただ楽しむ」をハナから許してくれなさそうで、つくづくイヤになってる。

んーで、そんな時に「アジアンのライブ、とりましたよー」と知人に言われて「おー!」とは言ったものの、大好きなアジアンカンフージェネレーション(我々は身内コールでアジアン、と略称しております)をミルには嬉しいけれど、はたしてライブてのはどーよ?的猜疑心でんー、好きゆえに、好きゆえに、どーしよ、という変な躊躇が重なって押し寄せる。

ライブかぁ、と。
CDのアレンジ大好きなだけに、木っ端みじんにそのイメージを壊されてもイヤーンだしなぁ、とか思いつつ、当日。

ナナイロ・エレクトリック・ツアーってことで、知らないバンドがアジアンの前にふたつあって、ひとつめはなかなかプロ意識に富んだ楽しいバンドさんでそれなりに楽しめた。
ふたつめのバンドは演奏も歌も上手なのに、やけに自分の方から「次はアジカンなんで」とか言葉の端々にすねた台詞があった上、やけに暗転も多く、んむー、ライブ、これだからぁ・・・とやけにシンミリきて、
さー、アジアン!ってことになって「ドカーン」とその演奏を聴いて、「ああ、そうか!」って思った。

曲が大好きで、こうしてここまでライブ聴いてるけど、じゃあ、なにをしにきてるのか、とやけにしちめんどくさいこと考えてたけど、実際「体験」してみてそーか、と唸ったのは「あびる」ように音楽尽くしになりてー!ってことだったんだな、と思った。

「未来の破片」「エントランス」「はるか彼方」などの曲を耳からだけでなく、デッカイスピーカからの空気圧、揺れてる床、跳ねてる客、叫んでるヴォーカル、ピカピカギランギランの照明、ここいらへん全部ひっくるめて「あびる」!そう!あびるように音楽でマンタン!な状態に身を置く、ためにおるのだな、俺は!とよーやく分った。

なんせアジアンのよーな音楽はあびた方が断然楽しいし素敵だし、CDもいいんだけど、ここが音楽の妙なるところで、時には本のように自宅でしみ入り、買い物のように屋外で楽しめ、今や演劇よろしくライブとしてふだん知らないアレンジの生演奏を聴く。あびるように聴く。

いや、これが、
これがなんとも気持ちよかった。
目の前に空気の読めないポッチャリ系がいたので、友人が体当たりして撤去してる姿も楽しかったし、ダイブをいさめてるヴォーカルのさめ具合もなんだか大人でよかった。つまりは、浴びにくる音楽に伴うどれもがオイシイ気持ちになって体にこもるのだ。

こもるものを体に貯えて、ちょっとした熱となって、小出しにぼっ、ぼって自分の考え方やスピードのコントロールってのをジリーッとおん曲げてきて、どーよ、アジアンのテイスト、ってみすみす自分にちっちゃな狂気を試しはじめられる。

モッチロン、CDのアジアンも素敵よ。
「はるか彼方」って曲の西部劇みたいなドラムもサイコーよ。
あーれをさ、浴びたら、ちょっと、もう、大変じゃない?

うれしかったなぁ。
これで少しはライブ恐怖症が減ったかな。
浴びるために聴くってのはひとつのいい正解でしたよ、ハイ。