いるべきところにたどり着くまでにも時間はかかる | アメブロなpandaheavenブログ

アメブロなpandaheavenブログ

最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 image

 

便乗するようでいささか心苦しいのですが、昨今の我が母の闘病に至る前にも、母自身の「大病院嫌い」が災いしてて、今の病巣が悪化した暁に、母がせいぜい自分にも他人にも許した「通院」が、地元の小さなクリニックだったため、そこすらもかなりの手こずりを経た後の診療だったが、その際に「熱冷まし」しか処方されず、母自身、そこから大きな病院への紹介状をもらえるつもりで通ったあてが外れ、無為に1ヶ月位は本格治療を遅延させ、現在の病状の悪化を招いた事実があるんです。

 

とどのつまり、息子らの激怒を経て、強引に現在の大病院に通い始め、10日間はひたすら検査検査の連続で、治療行為は目先の解熱だけで、根本治療に入る前に病巣の特定のため、その大病院の各課、各種所定検査の綿密さが延々外来のまま続けられた。

 

母自身はもはや立ち上げれも声も出なくなってたし、自身の取り掛かりの遅さを悔いもしてましたので、責めるわけにもいかず、検査は苦しいしで、「いつこれら検査がおわるのか?」の見当も初見も示されず、ひたすら頭を出してくる、これまで聞いたことのない名称の検査の羅列に付き合う時間となった。

 

ここで思い出すのが、亡くなった父の、肺がんの極初期の時点での検査です。

父は内臓を覆う被膜部分をがん細胞にやられ、食べたものが傷んだ内臓壁を突き破って、体内に漏れ出して自宅で倒れてるところを義妹が発見して病院に行ってます。

 

その時、「原因の特定」の検査の収斂のために、幾人もの先生が父の治療方針を大忙しで話し合ってくれてるのは判るのですが、父はその間、内臓内に漏れ出した吐瀉物(・・・でいいかたあってるのかな?)を腹部内で痛めながら4時間も治療方針の選定がきまるまでこらえる時間を経ていました。

 

迂闊に、軽々に思いつきで治療するわけにはいかないのも理解できなくもないのですが、目先に今痛みで失神しかけるほどの状態を据え置かれるのは身内にも地獄でした。

 

でもそこで安逸に打った手が、後々しくじりの原因にも動機にもなるわけで、引いた目線でみやれば、病院のとってた態度は正しかったと言わざるを得ません。

 

事前検査が丹念で丁寧なほど、病巣の特定は収斂(しゅうれん)されるし、無駄な探りなしに、一点病巣への対処で病気を対処できる。ただ、いくつもの課をまたぐほどの連携された検査手段があればあるほど、あれもみとこう、ここも怪しい、と無限に思えるほど「心当たりのしらみつぶし」も適うわけです。治療開始までの時間は後ろに押していかれます。方針の策定ですらずんずん押していきます。

 

そうしたいくたあまたにみえた検査の応酬は、母の場合随分消耗疲弊をひどくしました。

されど方針が確定したあとの手早さと深さはさすがの大病院だったのです。大学教授の肩書の先生に、母の対処の機会を得たのは幸いでした。


専門医の所見の威力ははその肩書だけではないですけれど、造詣の深い先生ほど深く切り込める事実は、現状続く治療の過程でも心強く感じるのは間違いないのです。

 

あのまま、地元クリニックだけで忸怩(じくじ)としてやり過ごしてたら、母は亡くなってたのです。

発病を察したらなるべく地域の中核病院に位置する場所へ、正鵠を射た初演と治療方針を適える医療施設の充足したところで出向くべきです。

 

その「最初」を適う限り軽微なうちにできるのは、発病者当人とその家族でしかできないことですから。治せる処方と手段の数が多いうちに、出向くべきです。


個人の解釈や思い込みが、人生の長さを左右する事実に、もっと真摯で辛辣であったほうがいいのだと、この記事の引用元を読んでも感じたので、書きました。