ばらまきのありようでは結果にならず | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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コロナ禍で、経済人を気取る人らの何人もが「経済を回さないと!」と叫ぶみたいに言い出したとき、「そこなのか?」って🐼はひどく狼狽し、違和感をもって眺めてました。

 

理屈はわかります。

経済の停滞が、婉曲的に多くの人の生業を途絶させ、終焉させ、路頭に迷わすかいなくなるを選択させるってことなんでしょうけれど、この記事のように、古い理念に則(のっと)った基準線で振る舞っても、中途で砂にしみる水みたいに消え去るんでは、具体的な効用をまのあたりにしないまんまです。

しかも「どこに消えたのか」さえも判然としない事柄に、「乗っかれ!」と大声で迫られたような違和感。公金をそう使われるのも「どうよそれ?」でしかなかった。

 

お金を刷って金融経済がいくら膨張しても、実体経済の側で増えているわけではない。両者の間の乖離はますます広がり、いつかクラッシュ(財政破綻)することが目に見えている。

 

実体経済と金融経済の差は長い間1.4倍程度で推移していたものの、リーマン・ショック前の2006年には約3倍に広がった。ここまで実体経済と金融経済の乖離が広がると、クラッシュは不可避になる。

 

安倍元首相も黒田元日銀総裁も、実体経済を回すべくお金を刷った。しかし結局、実体経済の側でお金が増えることはなく、経済は破綻しようとしている。

ここについて、「それでも遠巻きにもみ合う行動だった」の証左を覚えた記憶もないし、その解説もアナウンスも望んで削れれてますよね?みたことがないもの。

なぜ実体経済の側でもお金が増えなかったのか。多くの経済学者が考えたが、理由は単純である。いくらお金を刷っても、都市銀行などをはじめとする社会の上の階層は悲観的なためお金を流すことをせず、結果的に滞留し、国民のいる下のほうまで流れていかなかったからだ。

 

本来、産業の革新やイノベーションは階層の下側や端っこから生じる。つまり、社会階層の上側に位置する霞が関から産業が生まれるわけではないのだ。

では、社会階層の下側へ直接お金をばらまけばいいのだろうか。話はそう簡単ではない。下のほうは砂漠のように乾いており、ばらまかれたお金を吸収してしまう。お金が新たな富に変換される生産活動に回らず、単なる消費活動か貯金で終わってしまうのだ。

 

その意味で現在、岸田政権が進めようとしている少子化対策金(出産育児一時金の増額など)も意味をなさない。

 

本来重要なのは、社会階層の上から下へバケツリレーのようにお金が適切に流れつつ、それが消費ではなく、生産や創造活動に使われてゆく新たな仕組みを作ることだ。

一般論だけだなあ。具体性に欠けてる。

皮肉にも、コロナウイルスによって奪われる生命と引き換えに、弱者救済という形で下層部にお金が流れることになり、経済的に一命をとり止めた人々がいるのも事実である。

あー。

総じてこの記事を読み通しても「どうしたらいい」のヒントはなく、総括めいた見渡しは叶うが、生きやすさには程遠い結論しか見えない。

 

されど「ばらまいても無意味っぽいわね」は声になってて嬉しかった。