映画「2001年宇宙の旅」に覚える未来観(追記あり) | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!



ケーブルで「2001年宇宙の旅」を見てておもいました。今時のヤングはこれを見ないで大人になっていく子もいるんだなって。


「ソイレントグリーン」

「サイレントランニング」

「ブレードランナー」

「惑星ソラリス」

「ノスタルジア」

「不思議惑星キン・ザ・ザ」

「汚れた血」

など、反骨精神や批判精神を涵養するかつてからの大きな贈り物のいくつかは、そうした作品の存在すら知らずに済んでしまうんだなって。



成長の過程で、多感な時に心の拠り所になれる礎があることを知ってる人と知ってないままとでは、堪えられる幅や量を変えてしまうと思うのです。


老婆心に過ぎないんでしょうね、こんなのは。


私の世代は、しきりに映画が感性の拡張を大いに潤わせたと感じます。そしてそうした世代は、似通う世代を経ずに、「次のフェーズ」の登場で彩られるのでしょう。


不思議な感じです。

音楽の流行の変遷も、文学やテレビの流行も、不可逆に一過性に過ぎてゆく。溜まるでなし、澱むでもないのに、交差するというでもなく、「そうであった」だけで過ぎ去りますね。


「ダッコちゃん」ブームを知る世代の方には、あれの意味を振り返られるでしょうが、🐼世代では「なぜにあれが?」なる感慨です。


世代世代の共通言語は、世代ごとの背景を静かに持っています。その当時では「当たり前」だった空気は、のちの世代には思案が及べないのでした。想像を駆使するしか手がありませんね。


「2001年宇宙の旅」のHAL9000の洗練は、とても美しく、冷酷で、有意義に見えます。

「コンピューター」が司れる空間のうちに、凌駕されてる側の人類が描かれます。

それは道具の描写ではなく、見えざる意思との対話です。


「おかしいな」と言い出すHALと、目配せするクルー。地球上に据えられた同型双生HALは、兄弟筐体それを故障と称し、返す刀でディスカバリー号の方のHALは「ミスをし出すのはいつも人類の方だ」と口にし出す。


猜疑心芽生えのようなこの描写が、この後の事態の深刻の深淵さ、その突端だった・・・こういった「常軌を逸し出す」、が我々世代にはカタストロフィを伴う、思索の切り口そのものだったのです。


現代から見やれば、純朴な古い時代の方から眺め出したレトロフューチャーの一環に過ぎません。これが「未来」に見えてた世代には、たまらん良さでした。


脳が、あの時代の、欠落を埋めてくれる求め出しがあるのです。ショックだったもんなあ。