食器類の収納の配置にはわけがこもってる | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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母が台所に立たなくなってから優に一ヶ月は経っていますし、入院後は冷蔵庫の中の「もうたぶん母も捨てるかどうかすら検討もしてなかったもの」を断捨離し、スッカスカの冷蔵庫状態にようやく至れた昨今。

 

炊事もすれば洗い物もするわけですが、🐼は大の「セスキ炭酸ソーダ」信奉者であり、洗い物や焦げ付き、端々の汚れに「これでもか!」とこのアイテムを多用し、ピッカピカにします。

三角コーナーもピッカピカにします。

 

お風呂場・洗面所もパイプユニッシュを多用し、髪ゴミや不浄を洗い落とせる限りおとしまくています。

 

これら流れもの付近の洗浄をするのは、自分なりの訳がありました。

水回りの最後の出口付近ってものはですね、その都度の「自分の口の中」くらいに思え、ってな教えが自分にはあってですね。実際そこが磨けないくらいの精神状態では、その他のことも「同じくらい気づけない」なるポリシーが根付いています。

 

精神論、みたいにうがって見られると少々狼狽(ろうばい)しちゃうんですけれど、困ってる時、弱ってるときはまっさきに「トイレ掃除」をはじめるんです。

そこの状態も、やっぱ「自分の体内の状況」に見立てて多分に間違いないです。

 

体から出たものを通す場所、って意味では、体の口腔内を「経由した先」って意味では、「そこも体」です。根詰まりは阻止すべきですし、そこが軽妙にキレイで使い勝手が良ければ、体内に摂り込むもまた快適にスムーズで有益に作用させる余地があります。

 

断捨離の精神性もこれに通じてると思うんです。

 

実際、今回の母の入院中、🐼はしきりに掃除をする回数を増やしました。

そして手の入り込んだ念入りの清掃日は、決まって母か病院から吉報が舞い込む日になりました。

 

返せば、「手抜いて黙ってぼんやり過ごした日」は本当に改善もなければ、吉報も訪れませんでした。見事なほど、明暗がつくんです。

 

これらを気のせい、と呼ぶ人は、少し間違ってる気すらしてます。

やってることは、つながってますので、結果があるんです。

 

報いを🐼は求める人です。そういう気質がいつもあるのです。

そう合ってほしい、であって、報いがないから、と凹むとか怒るってのはないにしても、「あって欲しい」は損なった心持ちがないのです。

 

ですので、おおごとにまみれ、さいなまれ、逃げおおせないときほど、大急ぎでおおがかりな清掃に走るんです。

自分の周りを整頓しにかかり、スムーズに使いやすく、見つけやすくしておく。適う準備は済ませておき、有事のおおがかりに集中できる余録を自身に用意しておく。

 

そしてそれは、今回も有効でした。

 

朝の食事を終えた後、洗い物を食器棚に戻しながら、母が「その配置」にした各食器類の概ねの順番、配置に倣う収納を踏襲(とうしゅう)しています。

なるほど、母の置いてたとおりに置くことで、皿も陶器も倒れにくく、互いにぶつかりもしない配置が適ってました。

 

そして、母が帰ってきて、食器の位置を見失うことなくこれらを使えるように、🐼は待ってたのですから。