この内田さんでなにか書くって思わなかったですよね?このコラムに来てくれるみなさんなら。
この方自身を印象させるものが、杖を掲げて「ろっくんろぉる」と声に出す以外を、パンダはついぞ見つけれないまま、この方の生涯は閉じられた印象なのです。
有名人枠にあらせられるってからには、なにかきっとやったんだろう?くらいのみやりで、滔々って感じだったので、この記事のスタンスはとても飲み下しやすいものでした。
相棒に「あの悪役みたいな人って、なにやった人?」と聞かれても、有耶無耶な返事しかできないんですよね。
よろずなアプローチに見える振る舞いに、一貫性のなさも周囲は覚えるけれど、ロックンロールのそばに居合わせさえ適えば、良しとしとく腑の落とし方をされてたんじゃないかしらって思う。特段の理論武装も、他者へのけしかけも感じないある種ののんきを気配に覚えてたんです。
内田裕也は、相手によって裏と表を使い分けるような大人社会の中で、器用に世渡りをするといったことができない人だった。
だからいつだって正攻法で、相手が誰であろうと自分で会って話し合い、言葉以上に「目の力」「全身の勢い」をぶつけることで、気合もろとも正面突破で前へ前へと進んでいった。
ある意味まんまで、まんまさ以外は別に気にしてるふうでもない。
持とうとしたかもあやしく思う。
ロックンロールじゃないから。
Rockerをめざす多くのグループに少しでもチャンスを与えてやることが、Rockの持っている共同体意識だと思う。テメエ一人でエラくなったんじゃないぜ」
ね?
言い草がそれよね。
でもそれってロックンロールの主体ではないとも思える。
でもこれを落とし所にしとくしかなかったのかもな、とも感じる。
「俺の場合、邸宅からいきなり長屋住まいになったとき、ガキながらも、俺はなにかやってやろうと思ったんだと、いまになって思う。そしてRockerになれたから、今生きていることを感じている! 自分自身を表現できる唯一のもの、それがロックだと俺は信じている」
🐼の持ってる手牌のうちで、もっともこの言い分に似通う言い回しがあります。
「俺は音楽がないと生きていけない」と言い出すヤングの精神構造です。
それを口にして、音楽とセパレートな生き方になった人が、死んでしまった帰国がただのひとりもいません。ただ、言うんです。言っときたいだけ、で先走って、言うんです。
言ったけれど、言ったまで、です。
この感慨の枠から、🐼には内田さんが遠出された感慨を抱けないでいます。
人のために尽くした、か。
この言い方なら、そうかもしれんですね。
そして深掘りにかかる必要も、特に覚えないのでした。