掃除多めで | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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母の入院の後、🐼が手を付けたのは、掃除でした。

 

部屋の掃除から、廊下の水拭き、永らく洗ってなかったかもしれない家屋や母では「分解清掃」が適わないでいたところなどを、手を入れだしたのでした。

 

理由が自分で全くわかりません。

 

ただ時々、事態に進捗なり打開なりが必要な際には、私は決まって「まず掃除」に着手してるんです。

 

二つの意味合いを覚えるのですが、

ひとつは「これから進むあらゆる事態に、即応できる身なり、しつらえ、下ごしらえは整えておき、急な困りごとの要因を払しょくさせておくことで、自身の心の安定を図る」です。

 

それこそ庭の掃除も花の水やりなどもある種「新鮮さ」の確保までやりだすんで、延々やることが見えだすことで、こころに活気を持ち込もうとしてるのかも、ですね。

 

もう一つは「断捨離(だんしゃり)」の効果を私は信じる者です。

「要らぬものを身の回りに留め置く」ことが、ある種の停滞や淀みをまとうことを、私は自身の性格のうちに感じます。ゆえに、「要らぬものをこの機に取っ払い」「故障してるものや、繕いのいるものを生活圏から外す」ことで、軽量化を図ります。

 

正味な話、「起こってる事態そのもの」への働きかけじゃないんですよね。

わかっております。

 

ですが、こうした「事態の周り」に施(ほどこ)すものは触れるのです。

昔はこんなこまめなことはしませんでしたが、、生きて過ごしてるうちに、「それをしといたとき」には活路がありました。

 

それはおおむね「事前に見えていた」材料も結果もありません。ただ、無心に「自由になる空間」とか「自在にしとく心地」は用意できるのです。

結果に「直結」するなにかが事態を変えるというよりは、その時には見えてなかった方の地平から、解決が起こることがある、みたいなニュアンスが強いですね。

 

つまり、「今見えてるものだけでなんとかする」なる真正直ではなく、ふんわり・やや広めの心持で「なんとかなる」を気取るだけの素地があった方が、周囲も手の出しやすくなるってことを経験則から覚えだした感じかしら?